
端的に言えば両刀使いの意味は「刀を両手に一本ずつ持って戦う方法」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
語学好きで歴史好き、名古屋出身で5年間のライター経験を持つEastflowerを呼んです。一緒に「両刀使い」の意味や例文、類語などを見ていきます。
ライター/eastflower
今回の記事を担当するのは語学好きで英語、中国語が得意な5年目のライター、eastflower。「両刀使い」とは武士が刀(かたな)を持つようになった時代にできた言葉であるものの現在では違う意味で使われる場合が増えています。「両刀使い」の言葉の起源やどんな場面で使えるのかわかりやすく解説する。
「両刀使い」の意味は?
「両刀使い」には、次のような意味があります。
1.「両刀」の意味:
刀と脇差(わきざし)。大小。
出典:日本国語大辞典(精選版)「両刀」
2.「両刀使い」の意味:
① 刀を左右の手に一本ずつ持って戦う剣法。また、その剣客。二刀遣い。二刀流。
② 二芸を兼ねること。二つの相反するようなことをたくみに使い分けること。
③ 二つの相反するような嗜好を持つこと。特に、酒と甘いものとの両方を好むこと。また、その人。二刀遣い。二刀流。
出典:日本国語大辞典(精選版)「両刀使い」
大名に仕える武士が「刀と脇差」、大小の二本の刀を持つことが普通になってきたのは、徳川時代に入ってからです。徳川家康の子で二代将軍になった徳川秀忠(とくがわひでただ)が1615年発布した「武家諸法度」(ぶけしょはっと)の中で、大小の刀の携帯を義務づけたのだと言われています。
大きな刀、いわゆる太刀(たち)は、戦闘のための武器でしたが、小刀である脇差(わきざし)は、主に護身用や自決の際に使われるものでした。もちろん、脇差が戦闘で使われることもあり、甲冑(かっちゅう)や具足(ぐそく)のすき間を小刀で突き刺したり、相手の首を掻き切るときにも使われました。
日本人に最もよく見られている時代劇に「忠臣蔵」(ちゅうしんぐら)がありますが、江戸城の「松の廊下」(まつのろうか)で浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)がいじめっこ気質の吉良上野介(きらこうずけのすけ)のとどめをさせなかったのは、脇差を上から振りかざそうとしたからだと言われています。脇差は基本的には刺す道具であり、振りかざすのであれば、当然太刀の方が有利です。もし、内匠頭(たくみのかみ)が吉良(きら)を刺していたら、とどめを刺すことができて、後に語られる「忠臣蔵」の物語はできていなかったかもしれませんね。
また、辞書に記載されている通り、最近では、「二刀流」と言えば、二つの相反する嗜好を持つことや、酒も甘いものも両方好きな人に対して使われる場合も多いのです。
「両刀使い」の語源は?
大小の刀、「刀と脇差」の両方の刀で戦うことを実践に取り入れようとしたのは、戦国時代、江戸時代に生きた最強の剣豪(けんごう)、宮本武蔵(みやもとむさし)であった言われています。武蔵は晩年「五輪の書」(ごりんのしょ)を著わし、その中で大小二刀を操ることを推奨し、二天一流兵法の開祖になりました。大小二刀で戦うことの利点を伝えようとしたのです。
武蔵が戦ってきた相手は、多岐にわたっていました。太刀使いに通じている者、槍で戦う者、鎖鎌(くさりがま)の使い手もいました。時には武蔵ひとりで十何人もと戦ったこともありました。吉岡道場(よしおかどうじょう)の門弟たちと戦った「一乗寺下がり松」(いちじょうじさがりまつ)の戦いです。吉岡道場の代表を最初に斬った武蔵は、門弟たちに追われます。逃げながら戦う武蔵には、太刀だけでは十分ではなく、脇差を抜いて応戦しなければならなかった状況があったのかもしれませんね。
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