この記事では「一切衆生」について解説する。

端的に言えば一切衆生の意味は「生きとし生けるもの」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

元塾講師で、解説のわかりやすさに定評のあるgekcoを呼んです。一緒に「一切衆生」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/gekco

本業では出版物の校正も手がけ、一般教養に強い。豊富な知識と分かりやすい解説で好評を博している。

「一切衆生」の意味や語源・使い方まとめ

image by PIXTA / 38944163

一切衆生は「いっさいしゅじょう」と読みます。それでは、さっそく「一切衆生」の意味や由来、使い方についてみていきましょう。

「一切衆生」の意味は?

一切衆生には、次のような意味があります。

 この世に生きているすべての生きもの。生きとし生けるもの。

出典:大辞林 第三版(三省堂)「一切衆生」

一切衆生は「一切」と「衆生」の二つの熟語からできている四字熟語です。一切は「すべて」や「全部残らず」という意味で、日常会話でもよく使われる言葉ですね。衆生は「生きとし生けるものすべて」という意味の言葉で、どちらかといえば仏教用語に近い言葉です。人間を指す場合が多いのですが、本来の意味としては人間に限らずすべての生物が含まれます。この二つを合わせて、「この世に生きているすべての生き物」という意味になるのです。

一切衆生という熟語自体は仏教用語なので、日常会話はもとより文学作品でも、「一切衆生」という言葉が使われていることは稀だといえます。仏教に関連する法話などでは、比較的目にする機会の多い言葉でしょう。

「一切衆生」の由来は?

元々は仏教の経典である「涅槃経」に出てくる仏教用語です。涅槃経に、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」という経文が登場します。これを読み下すと、「一切の衆生は悉く仏性を有する」となり、現代語訳すると、「生きとし生けるものすべてに仏となるべき性質がある」という意味になるのです。この経文に登場する「一切衆生」が、この熟語の始まりだとされています。

\次のページで「「一切衆生」の使い方・例文」を解説!/

「一切衆生」の使い方・例文

先に紹介したとおり、一切衆生は仏教用語です。宗教色の強い言葉なので、一切衆生が日常会話で使用される状況はほとんどないといっていいでしょう。仏教を基軸に生き方や人生について学ぶ講演会などでは、接する機会のある言葉です。

一切衆生を苦しみから解放するために、唯一正しい経典である法華経を説いた。

・凡夫成仏の可能性を信じ、一切衆生を敬い礼拝した。

・法華経を含む大乗仏教では、一切衆生に対して、分かりやすく譬喩を用いて成仏を説いている。

これらの例文をみてもわかるとおり、一切衆生という言葉を使うのはとても限られた場面です。

1つ目と2つ目の例文では、誰かが誰かに仏の教えを説いたり、敬い礼拝している様子が表現されています。つまり、この二つの例文で使われている一切衆生は人間を想定しているのです。

三つ目の例文の場合、大乗仏教である涅槃経では「生きとし生けるものすべてに仏性がある」と説いているので、人間に限らずあらゆる生き物を一切衆生と呼んでいることになります。

・町は一切衆生であふれかえっている。

・森林浴は一切衆生の息吹を感じられるためリフレッシュできる。

一切衆生が「生きとし生けるものすべて」や「あらゆる人間」という意味であることを考えると、この例文も間違いではないはずです。しかし、一切衆生は仏教用語なので、仏教と無関係な場面で使用するのは間違いとなります。そのため、この例文のような使い方はできないことに注意しましょう。

\次のページで「「一切衆生」の類義語は?違いは?」を解説!/

「一切衆生」の類義語は?違いは?

image by PIXTA / 4603135

一切衆生は、「生きとし生けるものすべて」という意味の仏教用語です。そのため類義語は少ないのですが、ここで確認しておきましょう。

「一切有情」

一切有情は「いっさいうじょう」と読みます。「一切」と「有情」の二つの熟語からなる言葉で、「一切」は「一切衆生」と同じです。「有情」は「情のあるもの」、つまり心をもったもののことをいいます。その意味で、有情とはすべての人間のことを指しますが、鳥や獣にも心があるというように、広い意味では生きとし生けるものすべてを指す言葉です。つまり、一切衆生と同じ意味の言葉となります。なお、一切有情も仏教用語です。

意外と多い?仏教用語

image by PIXTA / 65781156

一切衆生や一切有情は仏教に由来する四字熟語で、あまり日常生活で使う機会のない言葉です。この2つ以外にも仏教に由来する熟語はいくつかあり、中には日常的に使用する機会がある言葉もあります。

「因果応報」

因果応報は「いんがおうほう」と読みます。「因果」は「因縁」と「果報」を合わせた言葉で、因縁も果報も仏教用語です。それぞれ現代風にいえば、「原因」と「結果」という意味になります。「応報」も仏教用語で、簡単にいえば「影響」という意味ですが、「応」「報」という漢字が使われていることからもわかるとおり、何かの物事に対して起こる出来事や変化を指す言葉です。

本来は、仏教の教えに基づき、前世の行いが現世の自分に反映している、という意味ですが、現在では前世や現世にこだわらず「自分の行いの良し悪しが自分にかえってくる」という意味で使われています。

「諸行無常」

諸行無常は「しょぎょうむじょう」と読みます。諸行とは、「因果応報」のところで説明した「因縁」によって生じた、この世のあらゆる事物のことです。「森羅万象」と言い換えてもいいかもしれません。その諸行は、常に変化していてとどまっておらず、はかない存在である、という意味の言葉です。この、世の中のあらゆる物事が常に変化していて一定ではない、という考え方は、仏教思想では根本的な発想の一つとなっています。

もちろん、日常生活で諸行無常を使う機会などそうそうありませんが、「平家物語」の冒頭「祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり」に登場することで非常に有名な四字熟語です。ここでは、平家の栄枯盛衰を、諸行無常と表現しています。

\次のページで「「言語道断」」を解説!/

「言語道断」

言語道断は「ごんごどうだん」と読みます。一般的に言語道断とは、「言葉にならないほどとんでもないこと」「もってのほか」といった意味で使われ、主に悪いことに対して使われるネガティブな表現です。この現在の使い方は日本語としては正しいのですが、実は言語道断には別の意味があります。それは、「(真理を)言葉で表すのは難しく、説明しつくせない」という意味です。これは、仏教の始祖である釈迦が、自らが悟った真理を弟子たちに言葉で伝えることが困難なことを表現しています。つまり、釈迦が悟った真理を弟子たちに伝えるのは言語道断だったわけです。

この表現はあくまでも仏教用語としての言語道断の使い方なので、一般的ではありません。

「他力本願」

他力本願は「たりきほんがん」と読みます。かなり一般的な四字熟語で、使われている文字から「自分の力で解決せず他者頼みにすること」といった意味で使われていますね。

日本語の用法としてはこれで正しいのですが、他力本願の本来の意味はまったく異なるものです。

仏教宗派の一つである浄土真宗で教えられているもので、「他力」とは阿弥陀如来の力、本願とは阿弥陀如来が生きとし生けるものすべてと取り交わした真の約束のことを指します。つまり、他力本願とは、阿弥陀如来の力と、阿弥陀如来が取り交わした真の約束について教えた仏教用語なのです。ただし、この仏教用語としての意味で使われることはほとんどありません。

「一切衆生」を使いこなそう

今回の記事では、「一切衆生」の意味や由来、使い方について説明しました。一切衆生とは、簡単にいえば生きとし生けるものすべてを指す仏教用語です。そのため、一般的な文章で使用されることは決して多くありませんが、専門用語として覚えておくとよいでしょう。

また、今回の記事では仏教に由来する四字熟語についても、いくつか紹介し解説しました。特に、言語道断と他力本願は本来の意味と現在の用法がまったく異なる熟語です。二つの意味、二つの側面をもった熟語として覚えておくとよいでしょう。

" /> 【四字熟語】「一切衆生」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説! – Study-Z
国語言葉の意味

【四字熟語】「一切衆生」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

この記事では「一切衆生」について解説する。

端的に言えば一切衆生の意味は「生きとし生けるもの」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

元塾講師で、解説のわかりやすさに定評のあるgekcoを呼んです。一緒に「一切衆生」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/gekco

本業では出版物の校正も手がけ、一般教養に強い。豊富な知識と分かりやすい解説で好評を博している。

「一切衆生」の意味や語源・使い方まとめ

image by PIXTA / 38944163

一切衆生は「いっさいしゅじょう」と読みます。それでは、さっそく「一切衆生」の意味や由来、使い方についてみていきましょう。

「一切衆生」の意味は?

一切衆生には、次のような意味があります。

 この世に生きているすべての生きもの。生きとし生けるもの。

出典:大辞林 第三版(三省堂)「一切衆生」

一切衆生は「一切」と「衆生」の二つの熟語からできている四字熟語です。一切は「すべて」や「全部残らず」という意味で、日常会話でもよく使われる言葉ですね。衆生は「生きとし生けるものすべて」という意味の言葉で、どちらかといえば仏教用語に近い言葉です。人間を指す場合が多いのですが、本来の意味としては人間に限らずすべての生物が含まれます。この二つを合わせて、「この世に生きているすべての生き物」という意味になるのです。

一切衆生という熟語自体は仏教用語なので、日常会話はもとより文学作品でも、「一切衆生」という言葉が使われていることは稀だといえます。仏教に関連する法話などでは、比較的目にする機会の多い言葉でしょう。

「一切衆生」の由来は?

元々は仏教の経典である「涅槃経」に出てくる仏教用語です。涅槃経に、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」という経文が登場します。これを読み下すと、「一切の衆生は悉く仏性を有する」となり、現代語訳すると、「生きとし生けるものすべてに仏となるべき性質がある」という意味になるのです。この経文に登場する「一切衆生」が、この熟語の始まりだとされています。

\次のページで「「一切衆生」の使い方・例文」を解説!/

次のページを読む
1 2 3 4
Share: