平安時代日本史歴史

3分で簡単「嵯峨天皇」平安京を盤石にしたこの天皇を歴史オタクがわかりやすく解説

平安京に遷都してから二人目の天皇となった「嵯峨天皇」ですが、その後すぐに先代の平城上皇による「平城太上天皇の変」が起こった。ここで危うく平安京から平城京へ都を戻す画策もあったんです。

あわやという事態に嵯峨天皇がどう対応したのか、歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒に解説していきます。

ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。平安時代は得意分野。

1.兄の急病から嵯峨天皇の即位

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嵯峨天皇と父と兄

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不明(伝小野篁) – The Japanese book “kōshitsu no shihō 1 : kaiga I”, Mainichi Shimbun-sha, 1991 ISBN 4-620-80261-1, パブリック・ドメイン, リンクによる

嵯峨天皇は、奈良時代の終盤にあたる786年に生まれ。諱(真名)は乳母にちなんで賀美能(神野)親王といいました。

嵯峨天皇が十歳にならない子どもの頃に奈良の平城京から、京都の平安京へと遷都が行われます。これが794年のこと、語呂合わせで「794(鳴くよ)ウグイス 平安京」とよく聞きますね。

遷都を行ったのは嵯峨天皇の父「桓武天皇」です。また、このとき皇太子(次の天皇)は嵯峨天皇の兄「安殿親王(のちの平城天皇)」でした。父・桓武天皇が譲位し、兄・平城天皇が即位したことで、嵯峨天皇は皇太弟(次の天皇で、現天皇の弟)が指名されます。これは、平城天皇が病弱であり、またその子どもたちが幼かったことを考慮しての決定でした。

親王と内親王の違い

古典などを読んでいると、皇族の名前が「○○親王」や「○○内親王」と書かれているのを見ますよね。「親王」「内親王」は皇族に与えられる称号なのです。なので、臣籍降下で皇族ではなくなった場合には新しい名前が与えられるとともに「親王」「内親王」とは呼ばれなくなります。

また、男性に対して与えられるのが「親王」、女性に対して与えられるのが「内親王」です。性別が一目でわかって便利ですね。

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