1.いくら趣味のキャンプを楽しむためとはいえ、そんな危険な作業はやりたくないよ。命あっての物種だからね。
2.命あっての物種だ。投稿のために、素手でエミューやカンガルーを捕まえるなんてやめなよ。
3.昔から命あっての物種と言うように、これからの人生きっといいこともあるさ。
「命あっての物種」は、「危険な行為」を注意する際によく使われています。たとえば、人に注目されたいがために危険な行為に及ぶ場合。ほかにも、無謀ともいえる無茶な挑戦に対して、引き止めるために「命あっての物種」を使います。また、安全装置がしっかりしていない場所で危険な作業を強要された際に、「命が大切だから私はやりたくない」という気持ちを込めて、断るために使ってもよいでしょう。
さらに、「命あっての物種」は「何事も生きていればこそ」という意味が含まれているため、励ましの言葉として用いられることがあります。やはり、生きていれば苦しいことも辛いこともたくさんありますよね。それでも、嬉しさや喜びを感じられるのも生きていればこそ。諦めずに前を向いていれば良いことが待っているかもしれません。「命を粗末に扱ってはいけない」という思いを込めて「命あっての物種」を使ってみてください。
「命は法の宝」
「命あっての物種」は「物事」でしたが、「命は法の宝」は「仏法」になります。意味は、ありがたい仏の教えが聞けるのも、命あればこそできるということ。「命は法の宝」の由来は、江戸前期に作られた俳句集「毛吹草(けふきぐさ)」からだといわれています。注目すべきポイントは、「命あっての仏法」ではなく「命は法の宝」と表現した点ではないでしょうか。「仏法」以上に「命」は宝ともいうべき「大切なもの」という、俳人の強い思いが伝わってきますね。
「死んで花実が咲くものか」
多くの植物は花が咲いて散っていき、そのあとに立派な実をつけます。植物自体が枯れてしまっては、きれいな花を咲かせることも、大きな実をつけることもないでしょう。そのような植物の様子から、意味は死んでしまったら全ておしまいであるということ。生きていれば良い時もあるはずなのに、先に命を落としては意味がありません。「命あっての物種」に比べて、より励ましの言葉に近い言葉といえますね。「死んで花実が咲くものか」でなくとも「死んで花実が生るものか」という言い方でも問題ありません。
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