この記事では「鉄のカーテン」について解説する。

端的に言えば鉄のカーテンの意味は「第二次大戦後の東ヨーロッパ諸国の秘密主義や閉鎖的態度を風刺した」言葉ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

語学好きで歴史好き、名古屋出身で5年間のライター経験を持つEastflowerを呼んです。一緒に「鉄のカーテン」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/eastflower

語学好きで英語、中国語が得意な5年目のライター。今回の「鉄のカーテン」は、第二次世界大戦中、首相として自国イギリスを守り抜いたウインストン・チャーチルの言葉です。どのような状況の中でこの言葉が発せられ、どんな場面で使われたのかを解説していきましょう。

「鉄のカーテン」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「鉄のカーテン」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「鉄のカーテン」の意味は?

鉄のカーテン」は、国語辞典によれば次のような意味があります。

第二次大戦後、東ヨーロッパの社会主義諸国が、資本主義諸国に対してとった秘密主義や閉鎖的態度などを障壁として風刺した語。1946年、英国のチャーチルが用いた。 

出典:デジタル大辞泉(小学館)「鉄のカーテン」

ウインストン・チャーチルと言えば、後に「偉大なイギリス人の一人」の対象として選ばれたイギリスの第二次世界大戦中の首相であり、多くのヨーロッパの主要都市がドイツの攻撃により陥落していく中、ロンドンが空爆されても耐え抜く方法を選択し、自国を守り抜き、国民を勇気づけ最後にはイギリスを勝利に導いた日本でも有名な政治家です。第二次世界大戦中のイギリスにとっての敵国はドイツでしたが、戦争も末期になるとアメリカ、イギリスを中心とした連合国の中でも、社会主義革命を起こしたソ連が台頭してきて、自由主義、資本主義を目指すアメリカやイギリスと共産主義、社会主義を目指すソ連との考え方の違いは次第に顕著になっていきました。そして戦後、直接的に戦闘行動を起こすことは多くはなかったものの資本主義諸国と社会主義諸国は次第に対立する姿勢を明らかにしていきました。

「鉄のカーテン」の語源は?

次に「鉄のカーテン」の語源を確認しておきましょう。

第二次世界大戦が終結するとウインストン・チャーチルは首相の座を退きますが、1946年アメリカ、ミズーリ州のウエストミンスター・カレッジで次のように演説します。

「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで、ヨーロッパ大陸には、鉄のカーテンが横切って降ろされている。中部ヨーロッパ及び東欧の歴史ある首都は、全てその向こうにある。」
(From Stettin in the Baltic to Trieste in the Adriatic, an iron curtain has descended across the Continent. Behind that line lie all the capitals of the ancient states of Central and Eastern Europe.)

つまり、中央ヨーロッパ、東欧諸国は地理的にソ連の勢力範囲内に位置し、実際に自由主義を掲げる西ヨーロッパ諸国やアメリカを退けてソ連は近隣の国を社会主義体制の国へ誘導し獲得しようとしている。とチャーチルは言いたかったのです。

「鉄のカーテン」とは、実際に金属製のカーテンがヨーロッパ大陸に敷かれたわけではなく、金属製のカーテンが敷かれているようにソ連を中心とした社会主義グループは執拗に自由主義国をシャットアウトして秘密主義をとっているということをチャーチルは比喩的に語ったのでした。

ウインストン・チャーチルが語ったように、世界の国々はその後もアメリカを中心とする自由主義陣営とソ連を中心とする社会主義陣営に分かれ反目しそれぞれの陣営は経済的、政治的、軍事的に結びついていき、東西で対抗しつづける冷戦の時代に突入していったのでした。

\次のページで「「鉄のカーテン」の使い方・例文」を解説!/

「鉄のカーテン」の使い方・例文

「鉄のカーテン」の使い方を例文で見ていきましょう。この用語は、たとえば以下のように用いられます。

1.小学校のときあんなに仲の良かった二人だが、なにがあったのか、今では「鉄のカーテン」が敷かれているように一言もしゃべりかけない。

2.トランプ大統領がアメリカとメキシコの間に壁を作ると言ったとき、「鉄のカーテン」のように政治や経済において南米地域とは距離をおくことだと思っていましたが、本物の壁の制作することを予定した上で、作り始めるなんて信じられないよ。

「鉄のカーテン」は第二次世界大戦後の世界を示す的確な表現として現在でもよく使われていることばです。

「鉄のカーテン」の類義語は?違いは?

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それでは、「鉄のカーテン」の類義語を見ていきましょう。

「目には見えない壁」

「鉄のカーテン」と類似したことばと言えば、近いのが「目に見えない壁」になるのではないでしょうか?「鉄のカーテン」は、実際に存在する物体ではありません。ただ、西側諸国と東側諸国の間には、「考え方、思想の違い」「相手陣営への不信感」「敵対意識」という「目には見えない壁」が存在していて、両陣営は、自らの考え方と合う陣営と組んで経済的な協力関係を築き、敵陣営の影を畏れて軍備増強競争に突入していったのだと言われています。「物体的には存在しないけれども意識的には敵対心が存在した」のであり、「目には見えない壁」だったのです。

「仮想敵国」

「仮想敵国」(かそうてっこく)とは、それぞれの国が国防の計画を立てる上で前提とする相手国のことですが、第二次世界大戦後は「鉄のカーテン」という障壁ができあがり東西諸国はそれぞれ相手陣営を敵国と想定していたのです。

一般的に、「仮想敵国」という場合には、特定の敵対する国を想定しますが、第二次世界大戦後においては、西側諸国にとってはソ連及び東側諸国が「仮想敵国」となり、東側諸国にとっては、アメリカおよび西側諸国が「仮想敵国」になっていきました。

「鉄のカーテン」の対義語は?

次に「鉄のカーテン」の対義語について見ていきましょう。

「コスモポリタン」

「鉄のカーテン」を挟んで、東欧諸国は社会主義陣営に帰属し、考え方や思想によって、あるいは民族などの違いによって、相手陣営に対してかたくなに秘密主義や閉鎖的な態度をとっていきましたが、対局にある考え方のひとつが「コスモポリタニズム」(Cosmopolitanism)です。

「コスモポリタニズム」の「コスモ」(Cosmo)は、もともと「宇宙」を表すラテン語で、「コスモポリタニズム」とは、「国や民族にとらわれず、全世界を自分の国としてとらえ生活する世界主義」のことであり、これを信条にして生きている人を「コスモポリタン」といいます。(英語では、「Cosmo」は「コズモ」と発音。)もし、全世界の人々が世界を自分の国として理解し生活するようになれば、「鉄のカーテン」ができるはずはないのですが、それぞれの国によって経済状況も違えば、抱えている問題も異なる中で、異種の考え方に対してなんらかの摩擦や対立は生じる方が自然なことなのかもしれません。すべての人が「コスモポリタン」として生きることは簡単なことではないのです。

「ボーダーレス」

「鉄のカーテンのある社会」に対しての反対語は、文字通り表現すれば「鉄のカーテンのない社会」になります。「鉄のカーテン」とは「自分の仲間」と「仲間でない人々」とを意識的に区別することであり目には見えない「境界」や「国境」をに作ることです。

カーテンの用途とは、光を遮ったり相手に見えなくなるようにするもので、いわば「境界」や「壁」を作るものと言うこともできるでしょう。「国境」は英語で「Boarder」(ボーダー)といいますし、反対語は「Boarderless」(ボーダーレス)と表現され、「鉄のカーテンのない社会」は「ボーダレスな社会」と言うことができるでしょう。

「鉄のカーテン」の英訳は?

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次に「鉄のカーテン」は英語でなんというかを見てみましょう。

「鉄のカーテン」とは、英語では、「Iron Curtain」(アイアン・カーテン)(άɪɚnkˈɚːtn)になります。文字通り「Iron」は「鉄」、「Curtain」は「カーテン」のことです。「ユーラシア大陸に鉄のカーテンが降ろされている」とは非常に印象的な表現ですよね。

\次のページで「「鉄のカーテン」を使いこなそう」を解説!/

「鉄のカーテン」を使いこなそう

これまで「鉄のカーテン」の意味や類義語、反対語などを見てきましたが、「鉄のカーテン」とは、1946年、アメリカの大学でウインストン・チャーチルが講演した際に、東ヨーロッパの社会主義国が西側諸国に対抗して秘密主義や閉鎖的態度をとっていることを比喩して語った言葉でした。

ウインストン・チャーチルには名言が多く、多くのメディアやホームページなどで紹介されていますが、戦後、アメリカとソ連のスーパー超大国の存在感がますます大きくなっていく中で、超大国に対抗していくのには、ヨーロッパ域内の障壁を取り除き、関税を自由化し、商品の価格安定化を計り、貨幣の統一化をして、経済協力を促進していくことを提案していった人でもありました。そしてヨーロッパはチャーチルの提案通り、見事にヨーロッパ連合(EU)の確立を目指し設立を決済し成し遂げたのです。今日EUはいろいろな問題を抱えてはいますが、さらなる発展を目指し試行錯誤を重ねながらも前へ進もうとしています。

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【慣用句】「鉄のカーテン」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

この記事では「鉄のカーテン」について解説する。

端的に言えば鉄のカーテンの意味は「第二次大戦後の東ヨーロッパ諸国の秘密主義や閉鎖的態度を風刺した」言葉ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

語学好きで歴史好き、名古屋出身で5年間のライター経験を持つEastflowerを呼んです。一緒に「鉄のカーテン」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/eastflower

語学好きで英語、中国語が得意な5年目のライター。今回の「鉄のカーテン」は、第二次世界大戦中、首相として自国イギリスを守り抜いたウインストン・チャーチルの言葉です。どのような状況の中でこの言葉が発せられ、どんな場面で使われたのかを解説していきましょう。

「鉄のカーテン」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「鉄のカーテン」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「鉄のカーテン」の意味は?

鉄のカーテン」は、国語辞典によれば次のような意味があります。

第二次大戦後、東ヨーロッパの社会主義諸国が、資本主義諸国に対してとった秘密主義や閉鎖的態度などを障壁として風刺した語。1946年、英国のチャーチルが用いた。 

出典:デジタル大辞泉(小学館)「鉄のカーテン」

ウインストン・チャーチルと言えば、後に「偉大なイギリス人の一人」の対象として選ばれたイギリスの第二次世界大戦中の首相であり、多くのヨーロッパの主要都市がドイツの攻撃により陥落していく中、ロンドンが空爆されても耐え抜く方法を選択し、自国を守り抜き、国民を勇気づけ最後にはイギリスを勝利に導いた日本でも有名な政治家です。第二次世界大戦中のイギリスにとっての敵国はドイツでしたが、戦争も末期になるとアメリカ、イギリスを中心とした連合国の中でも、社会主義革命を起こしたソ連が台頭してきて、自由主義、資本主義を目指すアメリカやイギリスと共産主義、社会主義を目指すソ連との考え方の違いは次第に顕著になっていきました。そして戦後、直接的に戦闘行動を起こすことは多くはなかったものの資本主義諸国と社会主義諸国は次第に対立する姿勢を明らかにしていきました。

「鉄のカーテン」の語源は?

次に「鉄のカーテン」の語源を確認しておきましょう。

第二次世界大戦が終結するとウインストン・チャーチルは首相の座を退きますが、1946年アメリカ、ミズーリ州のウエストミンスター・カレッジで次のように演説します。

「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで、ヨーロッパ大陸には、鉄のカーテンが横切って降ろされている。中部ヨーロッパ及び東欧の歴史ある首都は、全てその向こうにある。」
(From Stettin in the Baltic to Trieste in the Adriatic, an iron curtain has descended across the Continent. Behind that line lie all the capitals of the ancient states of Central and Eastern Europe.)

つまり、中央ヨーロッパ、東欧諸国は地理的にソ連の勢力範囲内に位置し、実際に自由主義を掲げる西ヨーロッパ諸国やアメリカを退けてソ連は近隣の国を社会主義体制の国へ誘導し獲得しようとしている。とチャーチルは言いたかったのです。

「鉄のカーテン」とは、実際に金属製のカーテンがヨーロッパ大陸に敷かれたわけではなく、金属製のカーテンが敷かれているようにソ連を中心とした社会主義グループは執拗に自由主義国をシャットアウトして秘密主義をとっているということをチャーチルは比喩的に語ったのでした。

ウインストン・チャーチルが語ったように、世界の国々はその後もアメリカを中心とする自由主義陣営とソ連を中心とする社会主義陣営に分かれ反目しそれぞれの陣営は経済的、政治的、軍事的に結びついていき、東西で対抗しつづける冷戦の時代に突入していったのでした。

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