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5分でわかる「金本位制」ー世界の金融体制の変遷を世界史通がわかりやすく解説

日本の金本位制もうまくはいかなかった

再び日本に焦点を当ててみましょう。

第一次世界大戦を受けて各国が金本位制を停止する中、日本も1917年に金輸出を禁止します。実質的な金本位制の停止です。その後、第一次大戦が終結して主要国が続々と金本位制に復帰する中、日本ではそうはいきませんでした。国内産業の国際競争力が低く、輸入超過が続いていたからです。慢性的な不況の影響もあり、金本位制に復帰するタイミングがつかめませんでした。

ようやく金輸出を解禁したのは、1930年の浜口雄幸内閣のこと。「外国為替相場を安定させて輸出を増加させる」という大義のもと、金本位制に復帰しようとしたのです。けれど、その頃すでに世界恐慌が生じていました。結果として、最悪のタイミングで金輸出を解禁したことになります。日本列島が混乱におちいり、昭和恐慌と呼ばれる不況が引き起こされてしまいました。

主要国が次々に金本位制の廃止を進める中、日本の金本位制への復帰も当然、短命に終わります。1931年の犬養毅内閣において、再び金輸出が禁止されたのです。

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日本の金本位制への復帰は、うまくいかなかったんだな。そして、世界はまた戦争に突入していくのか。第一次世界大戦のあとはまた金本位制に戻ったようだが、第二次世界大戦のあとは金本位制は復活しなかったのか?

戦後の国際金融体制

image by PIXTA / 36135599

ブレトンウッズ体制の成立

第二次世界大戦のあと、国際金融体制がどうなったのかを見てみましょう。第二次世界大戦の戦局が見え始めた頃から、連合国は戦後の国際金融体制を模索し始めていました。そのような状況の中で開かれたのがブレトンウッズ会議です。

1944年、アメリカのニューハンプシャー州ブレトンウッズに連合国44か国が集結し、戦後の国際金融システムが議論されました。その結果、国際通貨基金(IMF)と世界復興開発銀行(IBRD、世界銀行)の設立が合意されます。同時に、「アメリカドルを基軸とした固定為替相場制」の導入も進められました。こうして、ドルを中心とした戦後の国際金融体制が出来上がっていくのです。

ドルは、金1オンスにつき35ドルの比率で兌換されることになりました。一方、その他の国の通貨は金との交換義務は負いませんでした。その代わりに、ドルとの固定相場が維持されることになったのです。各国の通貨をドルの価値に固定してドルを金と交換可能な通貨に定めたこの体制を、「金ドル本位制」と言います。ちなみに、この体制のもとで日本円は1ドル360円でした。

当時のアメリカは圧倒的な経済力を擁していました。そのうえで金が担保となり、アメリカドルは世界の基軸通貨として各国から普遍の価値を認められたのです。アメリカを中心とした戦後の金ドル本位制は、ブレトンウッズ体制とも呼ばれます。

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以前は、日本円は1ドル360円と決まっていたんだ。今は毎日変動しているから、今日の為替を調べて比べてみるのもおもしろいぞ!

アメリカの方針転換によるブレトンウッズ体制の崩壊

ブレトンウッズ体制は、あまり長くは続きませんでした。戦後の世界の経済規模がどんどん膨らんでいく中で、アメリカがこの体制を支えきれなくなっていったからです。

1970年代前後のアメリカでは、戦後復興を遂げたヨーロッパ諸国や日本からの輸入が増加していました。また、ベトナム戦争の泥沼化によって、財政支出もかさんでいたのです。アメリカドルは国外への流出が続き、アメリカの金保有量は減少していきました。他国からの兌換の要望に応じることが、徐々に難しくなっていったようです。

そして1971年8月15日、世界に衝撃が走ります。ニクソン大統領が、ドルと金との交換停止を発表したのです。これは、ブレトンウッズ体制を根幹から揺るがす事件でした。この出来事は「ドル・ショック」「ニクソン・ショック」などと呼ばれています。ドルと金との交換停止がきっかけとなり、世界は変動相場制へとかじを切っていきました。

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amala18