日本史

5分でわかる「足利義視」の生涯ー応仁の乱の火種になった人物を歴史オタクがわかりやすく解説

3.父の代わりに将軍となった息子

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応仁の乱は戦国時代の始まり

かくして「応仁の乱」は終わったのですが、しかし、乱が残した爪痕は非常に深く、室町幕府の権威は非常に弱ってしまいます。そのため、各地の守護大名たちはロクに幕府の命令を聞かなくなりました。さらに、実力にものを言わせて他の守護大名を倒して自ら守護大名になったりと、「下剋上」の風潮が生まれていったのです。

このため、「応仁の乱」は戦国時代の始まりといわれています。とはいっても、室町幕府自体は1573年まで存続しますよ。

足利義視のその後

足利義視は、兄・足利義政に許された後も美濃国に留まり続けます。一方、将軍となった足利義尚ですが、これが困ったことに跡継ぎとなる息子がいませんでした。将軍家を継続できなければ、幕府の存続もできません。そして、間の悪いことに足利義尚は1478年に近江(滋賀県)で発生した「長享・延徳の乱」で亡くなってしまいました。

そこで、次の将軍として白羽の矢が立ったのが、足利義稙です。彼は第10代足利将軍に就任し、足利義視は将軍の父「大御所」として政治に関わるようになりました。

しかし、その大御所時代は短く、政務を振るうようになって三ヶ月後に足利義視はこの世を去ってしまうのです。

応仁の乱の火種、振り回された人生

僧侶として安泰な人生を歩むはずだった足利義視。しかし、その思惑は兄の後継者問題によって阻まれてしまいました。継嗣争いはやがて全国に波及し「応仁の乱」に発展したものの、11年の歳月を費やして結局は和解。足利義視は将軍にはなれず、京都を去ってしまいます。その後に息子・足利義稙が10代将軍となり、足利義視自身も大御所としてようやく政治を行うようになりました。

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