フォローは役割分担で!
業務を進めていくにあたっては、上司や担当窓口の方を心配するよりも、会社や組織にとってプラスであることが優先されなければなりません。「生き馬の目を抜く」行為によって大変な目にあう人がいるとしても、そのフォローをどうするかは別問題として処理するのが吉。
先の例では言えば、上司のフォローは本人かさらに上の上司が、担当窓口の方の慰労はその方の周囲のだれかがすべきことであり、あなたが気に病むことではないということ。思いやりがねじ曲がって『忖度』の介在が当たり前になると、下の人間は気づかいにより無駄な体力と時間を取られ、上の人間はあぐらをかいて成長しなくなります。
ビジネスとプライベートは別!
これまで考察したように、ビジネスにおいては「生き馬の目を抜く」ことが肝要となる場合もあります。一方で組織としての業務遂行のためには冷徹であることも必要ですが、個人対個人のやり取りのレベルでは、思いやりのこころも大切です。
特に自分の子どもをはじめとした家族に対して、会社の一員としての態度のまま接するのはご法度でしょう。家庭生活では効率など度外視してでも気持ちを尊重したやり取りをしたほうが、幸せではないでしょうか。
「生き馬の目を抜く」を邪険にしない!
この記事では「生き馬の目を抜く」について、言葉の意味を類義語・対義語・英語訳とともに解説しました。また「生き馬の目を抜く」ことの善し悪しについても触れています。
「生き馬の目を抜く」行為はしばしば非難の的となるでしょう。たしかに相手を慮るこころは、良好な人間関係や延いては幸福のために、大切なものです。しかし個々人のことに固執していては、大局的・根本的な問題を見落としてしまうこともあるのではないでしょうか。
この記事が「生き馬の目を抜く」の理解を深め、思いやりの在り方を考えるきっかけになれば幸いです。

