この記事では、「生き馬の目を抜く」について解説する。

「生き馬の目を抜く」って、聞くだに物騒な言葉です。文字通りの状況から『とんでもない早技』って意味を想像しますが、実際はそこからもう一段ひねったニュアンスがあるらしいぞ。

今回はマイペースで単純なライターである、ぷーやんを呼んです。本人の性質とは対極にある「生き馬の目を抜く」について、意味や使われ方を説明してもらおう。

ライター/ぷーやん

webライター歴7年。鍛えられた語彙と文章力は本業でも発揮され、社内ルールの書き換え担当に。基本的にのんびり好きなため生半可な悪巧みでは気づいてあげることもできず、嫌みを言われても肩透かしを食らわせることが多い。

「生き馬の目を抜く」の意味から押さえよう!

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それではさっそく、「生き馬の目を抜く」の意味を辞書と例文で確認していきましょう。

辞書にみる「生き馬の目を抜く」

「生き馬の目を抜く」は、辞書では以下のように説明されています。

生きている馬の目を抜き取るほど、すばやく物事をする。油断のならないさま。生き馬の目を抉 (くじ) る。生き牛の目を抉る。「―・くせちがらい世の中」
出典:デジタル大辞泉(小学館) 「生き馬の目を抜く」

本当に生きている馬の目を抜き取ることができたとすれば、それはとてつもなく速い動きであるに違いありません。「生き馬の目を抜く」はそんなあり得そうもないことに、人の狡猾さをたとえた慣用句です。

悪だくみは得てして、悪意に気づかれないうちに手早く済ませられるもの。気が緩んでいるといつの間にか、『してやられた』状態にされてしまうようなことを指して「生き馬の目を抜く」というわけですね。

「生き馬の目を抜く」の使い方を例文でみてみよう

辞書で言葉の意味を押さえたら、次は例文で使い方をみていきましょう。

1.ビジネスの世界では、「生き馬の目を抜く」ような姿勢でことに当たることが必要なときもある。
2.彼は人当たりのいいのんびり屋に見えるが、要所を確実に押さえてくる「生き馬の目を抜く」ような一面も持っている。
3.うちの部署は「生き馬の目を抜く」ことが当然という雰囲気がある。切磋琢磨しあえる環境ともいえるが、常に気を張っていないといけないので、精神的に休まることがない。

例文1は所属する組織の発展や防衛のために、ときには冷徹とも取れる判断をしなければならない、ということですね。例文2のように強かな人は、社会的には『デキる人』でしょう。『能ある鷹は爪を隠す』が似合いそうな方ですね。例文3のような職場環境では、仲間内といえども仕事や成果を奪い合っていそうです。

いずれの例文も、社会的な組織には必要な態度かもしれません。しかし身近な人や身内には、思いやりをもって接してもらいたいところです。

「生き馬の目を抜く」に類義語はある?

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「生き馬の目を抜く」に関連する言葉として、類義語からご紹介します。

生き牛の目を抜く

馬が牛に変わった慣用句です。役に立たないものを意味する「馬の骨」という言葉も、同じ意味の言い換え表現に「牛の骨」という言葉があります。馬も牛も人の生活に身近にいたため、慣用句に用いられやすかったのかもしれません。

老獪(ろうかい):経験豊富でずる賢いこと

「獪」は「ずるい」という意味の漢字です。「老」はここでは「経験を積んでいる」という意味。これらが合わさった「老獪」のニュアンスとしては、「豊富な経験を背景にしたずる賢さ」となります。

「生き馬の目を抜く」に対義語はある?

類義語の次は対義語をみていきましょう。

愚鈍(ぐどん):頭の回転が遅く、間抜けである

それぞれの漢字を訓読みすると「愚(おろ)かで鈍(にぶ)い」です。したがって「愚鈍」は、「素早くてずる賢い」ことが含蓄される「生き馬の目を抜く」とは、とても対照的な言葉といえるでしょう。

\次のページで「純朴(じゅんぼく):素直で飾り気がない」を解説!/

純朴(じゅんぼく):素直で飾り気がない

「純」はいわずもがな純粋であることです。「朴」は切り出して加工していない木材のことで、飾らない自然体のものを意味します。これらのことから「純朴」は、手を加えて飾られている感じのしない、自然体で人情味のある風情を示す言葉。

「生き馬の目を抜く」の英語訳2選!

類義語・対義語に続いて、「生き馬の目を抜く」の英語訳も確認しておきましょう。

cunning:狡猾・悪賢い

「狡猾」や「悪賢い」と訳される単語。目的を達成するための、ずる賢さや巧妙さといった意味合いで使われるようです。

shrewd:狡猾な

「狡猾な」と訳される形容詞ですが、「鋭い」「洞察力のある」などのポジティブな意味合いもある単語です。

「生き馬の目を抜く」日本人は苦手?

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筆者は知り合いのインドネシア人から、『日本人は優しい』と聞きました。このセリフは、海外の方からみた日本の印象を、端的にあらわしているように思います。ところが先に述べたようにビジネスにおいては、思いやりをさておいて「生き馬の目を抜く」ことが評価されることもしばしばです。この記事の最後に、「生き馬の目を抜く」行為の是非についてすこし考察してみましょう。

ビジネスにおける「生き馬の目を抜く」ということ

『日本は労働生産性が低い』などともよく言われますが、その要因の一端に、歪んだ思いやりのこころがあるように感じられます。

ビジネスにおいては、自社の利潤追求のためや課題解決のために、個人の都合にかまわず「生き馬の目を抜く」ほうが重要であることもしばしば。そこに余計な思いやりがはたらくと、『上司の仕事を増やさないように新しい提案を控えよう』とか、『担当窓口の方が怒られるから、クレームを入れないでおこう』という消極的な行動につながるのではないでしょうか。

\次のページで「フォローは役割分担で!」を解説!/

フォローは役割分担で!

業務を進めていくにあたっては、上司や担当窓口の方を心配するよりも、会社や組織にとってプラスであることが優先されなければなりません。「生き馬の目を抜く」行為によって大変な目にあう人がいるとしても、そのフォローをどうするかは別問題として処理するのが吉。

先の例では言えば、上司のフォローは本人かさらに上の上司が、担当窓口の方の慰労はその方の周囲のだれかがすべきことであり、あなたが気に病むことではないということ。思いやりがねじ曲がって『忖度』の介在が当たり前になると、下の人間は気づかいにより無駄な体力と時間を取られ、上の人間はあぐらをかいて成長しなくなります。

ビジネスとプライベートは別!

これまで考察したように、ビジネスにおいては「生き馬の目を抜く」ことが肝要となる場合もあります。一方で組織としての業務遂行のためには冷徹であることも必要ですが、個人対個人のやり取りのレベルでは、思いやりのこころも大切です。

特に自分の子どもをはじめとした家族に対して、会社の一員としての態度のまま接するのはご法度でしょう。家庭生活では効率など度外視してでも気持ちを尊重したやり取りをしたほうが、幸せではないでしょうか。

「生き馬の目を抜く」を邪険にしない!

この記事では「生き馬の目を抜く」について、言葉の意味を類義語・対義語・英語訳とともに解説しました。また「生き馬の目を抜く」ことの善し悪しについても触れています。

「生き馬の目を抜く」行為はしばしば非難の的となるでしょう。たしかに相手を慮るこころは、良好な人間関係や延いては幸福のために、大切なものです。しかし個々人のことに固執していては、大局的・根本的な問題を見落としてしまうこともあるのではないでしょうか。

この記事が「生き馬の目を抜く」の理解を深め、思いやりの在り方を考えるきっかけになれば幸いです。

英語の勉強には洋楽の和訳サイトもおすすめです。
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国語言葉の意味

簡単でわかりやすい!「生き馬の目を抜く」の意味とは?使い方・例文・類語・英語をwebライターが詳しく解説!

この記事では、「生き馬の目を抜く」について解説する。

「生き馬の目を抜く」って、聞くだに物騒な言葉です。文字通りの状況から『とんでもない早技』って意味を想像しますが、実際はそこからもう一段ひねったニュアンスがあるらしいぞ。

今回はマイペースで単純なライターである、ぷーやんを呼んです。本人の性質とは対極にある「生き馬の目を抜く」について、意味や使われ方を説明してもらおう。

ライター/ぷーやん

webライター歴7年。鍛えられた語彙と文章力は本業でも発揮され、社内ルールの書き換え担当に。基本的にのんびり好きなため生半可な悪巧みでは気づいてあげることもできず、嫌みを言われても肩透かしを食らわせることが多い。

「生き馬の目を抜く」の意味から押さえよう!

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それではさっそく、「生き馬の目を抜く」の意味を辞書と例文で確認していきましょう。

辞書にみる「生き馬の目を抜く」

「生き馬の目を抜く」は、辞書では以下のように説明されています。

生きている馬の目を抜き取るほど、すばやく物事をする。油断のならないさま。生き馬の目を抉 (くじ) る。生き牛の目を抉る。「―・くせちがらい世の中」
出典:デジタル大辞泉(小学館) 「生き馬の目を抜く」

本当に生きている馬の目を抜き取ることができたとすれば、それはとてつもなく速い動きであるに違いありません。「生き馬の目を抜く」はそんなあり得そうもないことに、人の狡猾さをたとえた慣用句です。

悪だくみは得てして、悪意に気づかれないうちに手早く済ませられるもの。気が緩んでいるといつの間にか、『してやられた』状態にされてしまうようなことを指して「生き馬の目を抜く」というわけですね。

「生き馬の目を抜く」の使い方を例文でみてみよう

辞書で言葉の意味を押さえたら、次は例文で使い方をみていきましょう。

1.ビジネスの世界では、「生き馬の目を抜く」ような姿勢でことに当たることが必要なときもある。
2.彼は人当たりのいいのんびり屋に見えるが、要所を確実に押さえてくる「生き馬の目を抜く」ような一面も持っている。
3.うちの部署は「生き馬の目を抜く」ことが当然という雰囲気がある。切磋琢磨しあえる環境ともいえるが、常に気を張っていないといけないので、精神的に休まることがない。

例文1は所属する組織の発展や防衛のために、ときには冷徹とも取れる判断をしなければならない、ということですね。例文2のように強かな人は、社会的には『デキる人』でしょう。『能ある鷹は爪を隠す』が似合いそうな方ですね。例文3のような職場環境では、仲間内といえども仕事や成果を奪い合っていそうです。

いずれの例文も、社会的な組織には必要な態度かもしれません。しかし身近な人や身内には、思いやりをもって接してもらいたいところです。

「生き馬の目を抜く」に類義語はある?

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「生き馬の目を抜く」に関連する言葉として、類義語からご紹介します。

生き牛の目を抜く

馬が牛に変わった慣用句です。役に立たないものを意味する「馬の骨」という言葉も、同じ意味の言い換え表現に「牛の骨」という言葉があります。馬も牛も人の生活に身近にいたため、慣用句に用いられやすかったのかもしれません。

老獪(ろうかい):経験豊富でずる賢いこと

「獪」は「ずるい」という意味の漢字です。「老」はここでは「経験を積んでいる」という意味。これらが合わさった「老獪」のニュアンスとしては、「豊富な経験を背景にしたずる賢さ」となります。

「生き馬の目を抜く」に対義語はある?

類義語の次は対義語をみていきましょう。

愚鈍(ぐどん):頭の回転が遅く、間抜けである

それぞれの漢字を訓読みすると「愚(おろ)かで鈍(にぶ)い」です。したがって「愚鈍」は、「素早くてずる賢い」ことが含蓄される「生き馬の目を抜く」とは、とても対照的な言葉といえるでしょう。

\次のページで「純朴(じゅんぼく):素直で飾り気がない」を解説!/

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