

その辺のところを江戸時代も大好きなあんじぇりかと一緒に解説していくぞ。
- 1-1、柳沢吉保は江戸の生まれ
- 1-2、吉保、綱吉の小姓となる
- 2-1、綱吉が将軍後継者となり、吉保も江戸城入り
- 2-2、吉保、綱吉の寵臣となり、出世街道まっしぐらに
- 2-3、吉保、側用人に就任し大名に昇格
- 2-4、吉保、老中格に
- 2-5、吉保、武田信玄の子孫を高家に推薦
- 2-6、吉保、甲府15万石の大名に
- 2-7、吉保、家門に列して大老格となる
- 2-8、晩年の吉保
- 3-1、吉保の逸話
- 3-2、六義園をつくった
- 3-3、学究肌で文化人だった
- 3-4、吉保の息子吉里の綱吉御落胤説は
- 3-5、儒学者を保護し、儒学の発展に尽力
- 3-6、吉保の名言
- 3-7、甲府、大和郡山領民に慕われた
- 若くして5代将軍綱吉に仕えて認められ、出世街道まっしぐらに
この記事の目次

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/あんじぇりか
子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女、江戸時代にも興味津々。例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、柳沢吉保について5分でわかるようにまとめた。
1-1、柳沢吉保は江戸の生まれ
柳沢吉保(やなぎさわよしやす)は、万治元年(1658年)12月、江戸市ケ谷で生まれました。父は館林藩士柳沢安忠で、母は側室の佐瀬氏の娘、吉保は長男で、姉妹が2人。
母は父安忠の所領のあった上総国一袋村の出身で、安忠の正室青木氏の侍女で吉保を出産後、実家へ戻ったために、吉保は安忠の正室青木氏のもとで養育されたが、成人後に実母の存在を知り、江戸へ呼び寄せたということ。
吉保は通称吉十三郎、弥太郎、諱は、はじめは房安、佳忠、信本、保明で、綱吉から吉を拝領して吉保、号は保山。
1-2、吉保、綱吉の小姓となる
1664年12月、吉保は7歳で当時の館林藩主で19歳だった徳川綱吉に初めてお目見え。そして1672年、甲斐国恵林寺での武田信玄百回忌の法要では、父安忠とともに奉加帳に名を連ねています。1673年11月に元服、1675年7月、父安忠が隠居して17歳で家督を相続し、保明(やすあき)と改名。家禄は530石で小姓組番衆として出仕し、1676年2月、旗本曽雌盛定の娘定子と結婚。
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柳沢家とは
柳沢氏は清和源氏の流れをくんだ河内源氏の支流で、甲斐源氏武田氏一門の甲斐一条氏の末裔。戦国時代は甲斐国北西部の在郷武士団である武川衆の所属だったが、甲斐武田氏の滅亡後に武田家の遺臣が多くが徳川家康に仕官。
柳沢家も吉保の祖父にあたる信俊が家康に仕官し旗本となり、父安忠は祖父信俊の4男で分家し、甲州舘林藩主となった3代将軍家光の弟忠長に仕えたが、忠長が改易されて浪人したそう。そして7年後に後の5代将軍綱吉が舘林藩主となったときに再雇用され、綱吉の勘定頭として神田屋敷を建築したなど、父子2代で綱吉に仕えたのですね。
なお、吉保は長男だったが、父の晩年57歳のときの庶子なので、柳沢家は姉の夫の信花がすでに養嗣子となって継承したとありますが、吉保は父の隠居にともなって家督を相続しているので、綱吉の意向で吉保が父の跡を継ぎ、養嗣子だった信花はもともと父安忠の兄の息子なので旗本として分家したとみるべきでは。
2-1、綱吉が将軍後継者となり、吉保も江戸城入り

1680年、館林藩主の綱吉が長兄4代将軍家綱の後継者として江戸城に入ると、吉保も幕臣になり、小納戸役に任命されました。小納戸役は、将軍が起居する「中奥」で若年寄の支配に属し、御場掛、御膳番、奥之番などの掛に分かれて、将軍身辺の雑事を担当した将軍の身の回りの世話をする役目で、側近くに仕えて将軍と気が合うとか気働きが出来るなどで、気に入られ、目をかけられると出世コースという役どころ。
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2-2、吉保、綱吉の寵臣となり、出世街道まっしぐらに
1681年4月、吉保は300石を加増されて830石となり、6月には綱吉の学問上の弟子となって、7月に江戸の市ヶ谷から愛宕下に転居し、生母の了本院を江戸へ引き取ったということです。そして翌年には従六位下となり、布衣を許されて、1683年1月200石加増で1030石に。この年の6月、義兄の信花が江戸城西の丸前において高橋源大夫と喧嘩し、殺害される事件がぼっ発。 義兄家はお家断絶となったが、子孫は吉保家の家臣となったそう。
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