
「火の車」の使い方・例文
「火の車」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
・お店を経営して悠々自適に見えた彼女だが、経営不振に陥っており、実際は多額の借金を抱えて火の車の生活を送っていたらしい。
・たまには外食にしましょうと母が言ったので、うなぎにするか海鮮丼にするか悩んでいたら「うちは火の車なんだから」と、勝手にラーメンにされてしまった。
・幼い頃、家庭はいつも火の車だったが、月に一回、親はレストランに連れて行ってくれて、ハンバーグでもステーキでもお寿司でも、何でも食べさせてくれたのが幸せな思い出だ。
「経済状況がとても苦しいこと」のイメージがつきますでしょうか。語源の通り、とてつもない苦しみを表す言葉でしたので、状況によっては簡単には使わないほうがいいかもしれませんね。
もし日常的に使うとしたら、その大げさ加減から逆に、ちょっとした可笑しみや、それくらい「お金を大切にしなければいけないよ」という教えを感じられるかもしれません。

家計が火の車、という言い回しは年配の方から聞くことは結構あるぞ。仏教と合わさって、日本では広く知られている言葉だということがわかるな。
「困苦窮乏」
「困苦窮乏(こんくきゅうぼう)」は、「生活できないほどお金や物がなく、困り苦しむこと」を意味する四字熟語です。同様の意味で「困苦欠乏(こんくけつぼう)」という言葉もあります。「困苦」「窮乏」「欠乏」といった熟語だけでも使われることがあり、字を見ても「何かが足りない、苦しい」というニュアンスが伝わってきますね。
この中で難しいのは「窮」という漢字ですが、「究」と同様に「何かがきわまること」や「行き詰ること」という意味を持ちます。「窮屈(きゅうくつ)」や「窮鼠(きゅうそ)猫をかむ」という言葉はきっと聞いたことがあるでしょう。
「地獄に連れていかれるほど苦しい」も「生活ができないほどきわまって苦しい」も、どちらも味わいたくないものですね。