日本史

5分でわかる「元弘の乱」鎌倉幕府滅亡の決定打を歴史オタクがわかりやすく解説

よぉ、桜木健二だ。日本で初めて武士による武士の政府として誕生したのが1185年の鎌倉幕府というのは覚えているか?ここは歴史のターニングポイントだから、教科書なんかにも詳しく載っているだろう。じゃあ、滅亡の方はどうだ?こっちはけっこうあっさり書かれているんじゃないか。

そういうわけで、今回は鎌倉幕府滅亡の決定打となった「元弘の乱」について歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。義経を討った頼朝が作った幕府がいったいどんな課程を辿ったのかを、少し複雑な心境になりながらもまとめた。

1.鎌倉幕府滅亡への序章

image by PIXTA / 5736017

当時の鎌倉幕府の体制

鎌倉幕府滅亡の前に説明しておかなければならないのは、幕府の歴史ですね。ここで軽くおさらいしておきましょう。

まず、鎌倉幕府は武士の源頼朝(みなもとのよりとも)によって開かれました。「1185年(イイハコ)つくろう 鎌倉幕府」の語呂合わせで有名ですね。1185年は頼朝が朝廷から「文治の勅許」をもらい、全国に守護と地頭を設置したことで実質的な支配権を得たのです。一昔前の語呂合わせだった1192年のほうは頼朝が征夷大将軍に任命された年で、最近は征夷大将軍よりも「文治の勅許」のほうが重要視され、1185年が鎌倉幕府成立の年になりました。

幕府で将軍の次に力を持ったのが、「執権」と呼ばれる役職です。執権は頼朝の妻であった北条政子の実家「北条家」が世襲することになります。また、途中で源頼朝の系譜が途絶えると、京都から頼朝の遠縁にあたる藤原摂関家の子どもを連れて来て将軍にし、執権が実質的な幕府の指導者となりました。

大帝国「元」の侵攻

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筆者不明。竹崎季長自身は絵巻を注文しました。 – 蒙古襲来絵詞, パブリック・ドメイン, リンクによる

幕府成立から時は流れ、1200年代。海を渡った向こうのユーラシア大陸では、モンゴルのチンギス=ハンが勢力を拡大し、東の朝鮮半島から西のトルコに至る広大な「モンゴル帝国」を築き上げていました。そして、孫のフビライ=ハンが皇帝となったあとに国の名前を「元」と定め、周辺諸国を次々に支配下におさていきます。そうして、朝鮮半島の「高麗」を手に入れると、次はいよいよ海の向こう、日本への侵攻が始まったのです。

この大帝国「元」との戦いで鎌倉幕府は大苦戦を強いられることになりますが、戦いの最中に台風によって元の船が沈んでいき、結果は鎌倉軍の勝利となりました。それでもフビライ=ハンは諦めずに七年後に二度目の侵攻をしかけてきますが、こちらもまた台風のお陰で鎌倉の勝利に終わります。この二度にわたる元の攻撃をあわせて「元寇」といいました。

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