この記事では「万事休す」について解説する。

「万事休す」は単に危機的状況に陥るという意味と認識されがちですが、正確に言えばさらに追いつめられた状況を指す言葉です。正確な意味を理解すれば誤用されがちな「休す」の漢字も間違えることがなくなるぞ。

文学部卒Webライターのリカを呼んです。一緒に「万事休す」の意味や使い方、類語などを見ていきます。

ライター/リカ

文学部卒のwebライター。在学中、様々な言葉について論文を執筆し、卒業後も日常で疑問を持った言葉についてすぐに調べることを習慣付けている。

「万事休す」の意味・語源・使い方は?

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それでは早速「万事休す」の意味や語源、使い方を確認してみましょう。

「万事休す」は「もはや何をしても駄目だという状況」

「万事休す」を辞典で調べてみると次のように記載されています。

1.もう施すべき手段がなく、すべて終わりである。何事も全く見込みがない。
2.俗世間のことからすべて退く。

出典 精選版 日本国語大辞典(小学館) 「万事休す」

辞典では「万事休す」には2つの意味が記載されています。

1つ目は現代でもよく使われている1の「もう施すべき手段がなく、すべて終わりである」という意味です。「万事」は「すべてのこと」を意味し、「休す」は「休む」ではなく、ここでは「休止する・終わる」ことを意味してます。「万事休す」というと単に危機に陥っている状況を指して使用されることもありますが、正確な意味では追いつめられて一通り対処したが全て効果がなく、もはやどうすることもできない状況を指しているんですね。

2つ目は1の意味から転じて、どうにもできない状況から世の中の事をすべて捨て去り隠居してしまうことを指しており、こちらの意味での用例は主に中国の古書で見られますが現代では使われなくなった表現と考えていいでしょう。

休す?窮す?誤用に注意!

「万事休す」はしばしば「万事窮す」と誤用される例が見受けられます。皆さんも文字で書く際にどちらが正しいか迷うことはありませんか?

「窮」という字には「窮鼠猫を噛む」や「窮地に陥る」のように行きづまって身うごきができない・追いつめられるという意味を持つ漢字のため間違えてしまいがちですが、「万事休す」の意味は「もう施すべき手段がなく、すべて終わりである」のため「休止する・終わる」という意味を持つ「休」が正しいです。意味を正しく理解することで誤用しないように注意しましょう。

\次のページで「「万事休す」の語源は?」を解説!/

「万事休す」の語源は?

「万事休す」は中国の故事(昔話)の1つである「宋史」を元に作られた故事成語です。

昔、荊南の王である従誨は王子の保勗を溺愛し極端に甘やかして育てました。それに反感を持つ者から疎まれても彼はにっこりと笑い返したのです。そんな保勗の様子を見た荊南の国民は「万事休すだ」と言いました。その後、保勗が王になると政治が乱れ、やがて国が滅んだのです。この話から何をしてもおしまいでお手上げという状況を「万事休す」と言うようになりました。

「万事休す」の例文・使い方

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次に「万事休す」の使い方を確認してみましょう。

1.大事な試験の日の朝に寝坊してしまった。走ったが電車の時間に間に合わず万事休すだ。
2.仕事で使う書類を無くしてしまった。元のデータやコピーも見つからずまさに万事休すだ。

どちらの例文でも、追いつめられ、どうすることもできない様子を表現していますね。こういった危機的状況であることを一言で言い表せる故事成語として「絶体絶命」「八方塞がり」等と並んで日常での会話や新聞、小説等の文章でもよく使用される言葉です。

「万事休す」の類義語は?

「万事休す」の類義語として先ほど例に挙げた「絶体絶命」「八方塞がり」の意味も確認しておきましょう。

\次のページで「「絶体絶命」:どうしても逃れられない追い詰められた状況」を解説!/

「絶体絶命」:どうしても逃れられない追い詰められた状況

「絶体絶命」はどうしても逃れられない追い詰められた状況を意味しており、九星術という占いが由来となった言葉です。

「体が絶えること」を表す「絶体」と「命の絶えること」を表す「絶命」はどちらも九星術における凶星の名前で、その2つを合わせることで肉体も命も破滅するような追いつめられた状況を表す言葉とされています。

「八方塞がり」:どのようにしても不吉な結果が予想される状況

「八方塞がり」はどのようにしても不吉な結果が予想される状況を意味しており、陰陽道の占いが由来となった言葉です。

昔の人々は何かを行う際、占いをしてその結果から行動を決めており、陰陽道もその1つに数えられます。「八方」は陰陽道におけるすべての方角を指し、つまり「八方塞がり」とはすべての方角から不吉な結果が予想されることを意味しているんですね。

そこから転じて、どの方面にも障害が存在し、手の施しようがないこと・悪い結果が予想されることを意味するようになった言葉です。

「万事休す」の反対ってどういう状況?

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「万事休す」がもう施すべき手段がなく、どうすることもできない状況を指す言葉であることがわかりました。では「万事休す」の反対の状況とはどのような状況でしょうか。いくつか考えられますが、今回は「起死回生」と「順風満帆」を確認してみましょう。

「起死回生」:瀕死の危機から立て直すことができた状況

まず、「万事休す」の反対の状況を考えてみるとそのような危機を脱することができたという状況が考えられます。

「起死回生」は瀕死の危機から立て直すことができた状況を意味する四字熟語です。「起死」と「回生」はどちらも「瀕死の人を生き返らせる」という意味の中国の故事を典拠にした言葉で、元々は医者の腕が優れていることを表す際に使用されていました。そこから転じて「瀕死の危機・絶望的な状況を立て直すこと」を意味するようになったのですね。

「順風満帆」:物事がすべて順調に進んでいる状況

さらに、「万事休す」の反対の状況を考えてみると危機に陥ることもなく順調に物事が進んでいるという状況も当てはまります。

「順風満帆」は物事がすべて順調に進んでいる状況を意味する四字熟語です。「順風」は船が進む方向に吹く風を意味し、「満帆」は帆が風を受け膨らむ様子を意味しており、この2つを合わせて船が追い風を受け順調に進んで様子を意味しています。そこから転じて物事がすべて順調に進んでいる様子を意味するようになりました。

「万事」が使われている故事成語

ここまで「万事休す」について学び「万事休す」の「万事」はすべてのことを意味すると解説しましたが、故事成語には他にも「万事」を使用した言葉が存在します。

\次のページで「「人間万事塞翁が馬」:人生における幸運・不運は容易に判断できないこと」を解説!/

「人間万事塞翁が馬」:人生における幸運・不運は容易に判断できないこと

「人間万事塞翁が馬」は人生における幸運・不運は容易に判断できないことを意味する故事成語で「塞翁が馬」だけで使用されることもあります。

中国の思想書「淮南子」の「人間訓」の中にある塞翁(塞に住む老人)にまつわる話が典拠とされている言葉です。その話は、塞翁が飼っている馬に起きた事柄について一見不運に思えることが後に思わぬ幸運を運ぶことがあったり、反対に幸運に思えることが不運を運ぶことがあるということを伝えており、そこから「人間万事塞翁が馬」は人生におけるすべての幸運や不運は容易に判断できないという教訓の言葉として現代でも幅広く使われています。

「一事が万事」:一つの行動、結果で物事のすべてが推測できること

「一事が万事」は一つの行動、結果で物事のすべてが推し量れることを意味する故事成語です。

はっきりとした典拠は不明ですが、多くが中国の書物を典拠としている故事成語では珍しく日本の書物が典拠とされています。物事や人物に対し1つの事柄に表出した特徴や傾向だけで、他のすべての事柄を推測できること、また1つの事柄における特徴や傾向が全体に当てはまることを意味する言葉です。

古い書物では長所や美点に対して肯定的に使用される例もありましたが、現在では「あの人の言うことは一事が万事大げさだ」というように短所や欠点に対して否定的なニュアンスで使用されることがほとんどになりました。

「万事休す」を使いこなそう!

この記事では「万事休す」の意味や語源、使い方などを解説しました。

「万事休す」は危機的状況に陥り、どうすることもできない状況という意味でしたね。記事内でも解説しましたが「休す」の漢字がなぜ「休」なのか言葉の意味と成り立ちを理解して間違えないようにしたいものですね。

日常生活の中であまり万事休すな状況には遭遇したくないものですが、覚えておくと便利な言葉なので似た意味の「絶体絶命」や「八方塞がり」なども併せてしっかりと覚えておきましょう。

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国語言葉の意味

「万事休す」ってどういう状況?休す?窮す?意味や語源・類義語・対義語など文学部卒webライターがわかりやすく解説

この記事では「万事休す」について解説する。

「万事休す」は単に危機的状況に陥るという意味と認識されがちですが、正確に言えばさらに追いつめられた状況を指す言葉です。正確な意味を理解すれば誤用されがちな「休す」の漢字も間違えることがなくなるぞ。

文学部卒Webライターのリカを呼んです。一緒に「万事休す」の意味や使い方、類語などを見ていきます。

ライター/リカ

文学部卒のwebライター。在学中、様々な言葉について論文を執筆し、卒業後も日常で疑問を持った言葉についてすぐに調べることを習慣付けている。

「万事休す」の意味・語源・使い方は?

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それでは早速「万事休す」の意味や語源、使い方を確認してみましょう。

「万事休す」は「もはや何をしても駄目だという状況」

「万事休す」を辞典で調べてみると次のように記載されています。

1.もう施すべき手段がなく、すべて終わりである。何事も全く見込みがない。
2.俗世間のことからすべて退く。

出典 精選版 日本国語大辞典(小学館) 「万事休す」

辞典では「万事休す」には2つの意味が記載されています。

1つ目は現代でもよく使われている1の「もう施すべき手段がなく、すべて終わりである」という意味です。「万事」は「すべてのこと」を意味し、「休す」は「休む」ではなく、ここでは「休止する・終わる」ことを意味してます。「万事休す」というと単に危機に陥っている状況を指して使用されることもありますが、正確な意味では追いつめられて一通り対処したが全て効果がなく、もはやどうすることもできない状況を指しているんですね。

2つ目は1の意味から転じて、どうにもできない状況から世の中の事をすべて捨て去り隠居してしまうことを指しており、こちらの意味での用例は主に中国の古書で見られますが現代では使われなくなった表現と考えていいでしょう。

休す?窮す?誤用に注意!

「万事休す」はしばしば「万事窮す」と誤用される例が見受けられます。皆さんも文字で書く際にどちらが正しいか迷うことはありませんか?

「窮」という字には「窮鼠猫を噛む」や「窮地に陥る」のように行きづまって身うごきができない・追いつめられるという意味を持つ漢字のため間違えてしまいがちですが、「万事休す」の意味は「もう施すべき手段がなく、すべて終わりである」のため「休止する・終わる」という意味を持つ「休」が正しいです。意味を正しく理解することで誤用しないように注意しましょう。

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