その辺のところを戦国時代も大好きなあんじぇりかと一緒に解説していくぞ。
- 1-1、三好義継はおそらく畿内の生まれ
- 1-2、義継、伯父長慶の跡取りに
- 2-1、伯父長慶が亡くなり、義継が三好家を継承
- 2-2、義継、永禄の変を起こす
- 2-3、義継の後見の三好三人衆と松永久秀の対立
- 2-4、義継、14代将軍候補義栄と対立し逃亡
- 3-1、義継、松永久秀と組むことに
- 3-2、義継、足利義昭に従い、三好政権は滅ぶ
- 3-3、義継、本圀寺の変などで活躍
- 3-4、義https://study-z.net/10748継、信長の媒酌で義昭の妹と結婚
- 3-5、義継、信長と三好残党軍との和睦に尽力
- 3-6、義継、信長包囲網に加わる
- 3-7、義継の最期
- 初の天下人と言われた三好長慶の後を継いだが、10年と持たなかった
この記事の目次
ライター/あんじぇりか
子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女、戦国時代にも興味津々。例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、三好義継について5分でわかるようにまとめた。
1-1、三好義継はおそらく畿内の生まれ
三好義継(みよしよしつぐ)は、天文18年(1549年)に、十河一存(そごうかずまさ、かずなが)の長男として生まれました。父は三好長慶の末の弟で、母は公家で五摂家の関白九条稙通(くじょうたねみち)の娘(養女説もあり)。異母弟がふたり。
幼名は熊王丸、孫六郎、諱は義詰、最初の名は十河重存(そごうしげまさ)。
こちらの記事もおすすめ

三好長慶の弟で鬼十河といわれた「十河一存」をわかりやすく歴女が解説
1-2、義継、伯父長慶の跡取りに
1561年4月、義継が12歳のときに父十河一存が急死。父の長兄で一族の家長でもある伯父の三好長慶が、5月に十河家の老臣に対して、7月には義継の乳母に対して、それぞれ自分が義継の養育に責任を持つと約束したということです。
そして2年後、義継の従兄で伯父長慶の跡継ぎだった三好義興が早世したので、義継は長慶の養子になり三好本家の跡継ぎに決定、三好姓に改めたそう。
義継が三好家の跡継ぎになった理由は
長慶には早世した義興しか息子がいなかったため、弟の息子たちから後継者を選びました。その候補としては、次弟三好実休(じっきゅう)の3人の息子達のほか、3番目の弟である安宅冬康と、その息子らがいたのですが、長慶は、母が摂関家の九条家の出身、経済的には困窮していても関白の娘であった義継を選んだのではといわれています。
そのわけは、将軍足利義晴、義輝は九条家と同じ五摂家の近衛家と縁組していて、近衛家はこれまた九条家と対立関係にあったので、九条家は足利将軍に対抗する勢力の三好長慶の弟十河一存と縁組してうまれたのが、義継。
また義継の外祖父である九条稙通は公家なのに、娘婿の一存の軍に手勢を率いて加わったほど、三好政権と結びつきが強かったということで、稙通の後押しもあったはずで三好家としても摂関家の血筋の跡継ぎは、京都政権を確実にするために必要だったというなんですね。
なお、十河家は長慶の次弟の実休の次男存保(まさやす、ながやす)が継承することに。
\次のページで「2-1、伯父長慶が亡くなり、義継が三好家を継承」を解説!/




