今回はシャルル・ド・クーロンについて解説していきます。

シャルル・ド・クーロンとともに、その名もクーロンの法則についても紹介する。電磁気学を学ぶのに大抵はクーロンの法則から学ぶように、近代電磁気学もクーロンによるクーロンの法則から始まったのです。

今回は物理学科出身のライター・トオルさんと解説していきます。

ライター/トオル

今回は物理学科出身のライター・トオルさんと解説していくぞ。

シャルル・ド・クーロンについて

image by iStockphoto

シャルル・ド・クーロンは電荷の単位にその名を残し、電磁気の基本法則であるクーロンの法則を発見したことで知られています。しかし、彼は人生の大半を科学者というより技術者、特に土木技術者として過ごしたようです。現代は情報化社会と言われますが、情報テクノロジーを根幹で支えているので電磁気学に他なりません。そして、近代電磁気学がはじまったのは、クーロンによるクーロンの法則の発見の時からと言えます。

この記事ではクーロンの生涯とともにクーロンの法則について学んでみましょう。ちなみに、現在では電気や磁力はコインの裏表のような関係であることが判明していますが、当時はわかっておらずもちろん電磁気学という言葉も存在していません。

クーロンの生涯

Charles de Coulomb.png
Louis Hierle - 不明, パブリック・ドメイン, リンクによる

シャルル・ド・クーロンはわりと幸福な人生を送った著名な科学者だと思います。科学者兼技術者である彼の人生を見ていましょう。

その1.生まれ

シャルル・ド・クーロンは1736年フランス・アングレームの裕福な家庭に生まれました。父はモンペリエの役人であり、母は羊毛貿易で財をなした名家の出身だったそうです。少年時代、一家はパリに移住しクーロンも名門校で勉強していましたが、そこでルモニエの数学の授業に感銘を受け、数学の道に進むことを決意しました。

その2.青年期

1759年メジエールの陸軍士官学校に入学、1761年に卒業しイギリス沿岸の地図作成の仕事に関わります。1764年からは8年間マルティーニ島のブルボン城塞建設の監督に従事しました。この仕事の間に石造建築の耐久性や支持構造物のふるまいに関する実験を行ったそうです。しかし、マルティーニ島の風土病により体を壊し帰国を余儀なくされます。

その3.壮年期

その後、大尉として各地を赴任している間に電荷の間に働く力は距離の二乗に反比例しているという、有名なクーロンの法則を発見しました。また1773年には土圧理論を提唱しています。1774年には科学アカデミーの通信会員となり、1777年、磁気コンパスの研究により科学アカデミーの懸賞第一、1781年にも摩擦の研究により再び懸賞第一を獲得し、同年科学アカデミーの会員に選ばれました。

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その4.晩年

1781年からはパリに赴任していましたが、1789年フランス革命の勃発に伴い辞職し、ブロワにて隠居生活に入ります。その後、革命政府による新しい度量衡の制定のためパリに呼び戻され、1801年にフランス学士院会長、1802年に社会教育長官に任命されました。しかし、健康状態が悪化し、1806年に死去しています。

クーロンの法則について

ここからはクーロンの名を冠しているクーロンの法則について詳しく見ていきましょう。電気や磁石に関する事実のいくつかは、古代より知られてはいたのですが、ごく簡単な定性的なものに留まっていました。しかし、クーロンが1785年に行った実験によって近代の電磁気学が始まります。クーロンは二つの小さな電荷を与え、その間にはたらく力が小球間の距離と電荷の大きさによってどう変わるかを測定したのです。

クーロンの法則.その1

クーロンの法則.その1

image by Study-Z編集部

クーロンが実験に用いた小球は小さいとはいえ有限の大きさをもっています。しかし、小球が小球間の距離よりずっと小さいときには、大きさを無視して点状の電荷、点電荷と見なすことができるのです。クーロンは実験によって上記のクーロンの法則を発見しました。式に表すと、二つの電荷をq1、q2として、距離をR12とすれば、両者に働く力F12は比例係数をk(>0)といて1式になります。

クーロンの法則.その2

力の向きは下図です。ここでも、作用・反作用の法則が成り立ち、q1がq2に及ぼす力と、q2がq1に及ぼす力とは大きさが等しく向きが逆になります。同種の電荷の間には斥力異種の電荷の間には引力がはたらくので、q1、q2を正電荷の時は正、負電荷のときは負の値であらわすことにすれば、F12は電荷が正の時は斥力、負の時は引力になることがわかるでしょう。

重ね合わせの原理について

次は電荷が二つ以上あった場合のクーロンの法則について考えてみましょう。ここでは、力学にもでてくる重ね合わせの原理が重要な働きをします。

\次のページで「重ね合わせの原理.その1」を解説!/

重ね合わせの原理.その1

重ね合わせの原理.その1

image by Study-Z編集部

電荷q1にはたらく力が、電荷q2に比例することは何を意味するのでしょうか、いまq2を取り除いて同じ位置に別の電荷q3を置いたとしましょう。このとき、q1に働く力は2式になります。つぎに、二つの電荷q2、q3を同じ位置に同時に置いたとすれば、これは大きさq2+q3の電荷を置いたことになるので、q1に働く力は3式です。

重ね合わせの原理.その2

この式は、二つの電荷を置いたときに受ける力が、それぞれ別々に置いたときに受ける力の和になることを示しています。このような単純な関係が成り立つのは自明なことではありません。これは実験的に確かめられたことなのです。この関係は、二つの電荷q2、q3を離して置いた場合にも成り立ちます。ただし、今度はq2による力とq3による力とでは向きが違っているので、q1にはたらく力は単純な和にならず上記の画像のように二つの力を合成しなければなりません

クーロンの力のこのような性質を重ね合わせの原理といいます。重ね合わせの原理は電磁気学全体を通じて成り立つだけでなく、力学全体を通じても成り立つのです。ただし、もう一度繰り返しますが、これは実験によって発見された経験則であることを確認しておきましょう。

本当にぴったり二乗なのか

クーロンの法則は実験的に決められた経験則です。したがって、分母の指数2もそれが本当に2であるのかどうが、実験の精度が問題になります。クーロン自身の実験は誤差が10%ほどもあって、あまり精度のよいものではありませんでした。しかし、現在では指数の2からのずれはあったとしても2×10−9乗以下であることが検証されているそうです。なので、現在でも正確に2であるとして取り扱われています。

またこの法則がどんなに短い距離、どんなに長い距離でも成り立つかどうかも自明ではありません。しかし、現在のところ、短い距離でも長い距離でもクーロンの法則が成り立たなくなる実験的データは存在しないようです。電荷の間にはたらく力が電荷間の距離の二乗に反比例するという性質は、クーロンの実験より前にプリーストリーとヘンリー・キャベンディッシュにより、間接的な方法で知られていました。しかし、研究論文を発表したのが遅かったため、現在でもクーロンの業績とされています。

単位としてのクーロンについて

単位としてのクーロンについて

image by Study-Z編集部

最後に、単位として使われているクーロンについて解説しておきましょう。現在もっとも広く使われている電荷の単位はクーロン(C)です。もちろんこれもシャルル・ド・クーロンにちなんで名づけられました。昔は他の値からクーロンを定義していたのですが、2019年5月20日より国際度量衡委員会により新しい国際単位系(SI)が設定され、それによって直接定義される定義量になりましました。

それによると陽子、もしくは陽電子一個の電荷、電子の電荷の符号を変えた量を電気素子(e)として、上記のようにe= 1.602176634×10−19C(クーロン)と定義されています。これは定義ですので、ぴったりこの値であると人類が設定したものです。よって誤差は存在しません。これ以外にも上記のように6つの基本定義値があり、これらの組み合わせによってすべての単位が決定されています

電磁気学完成への一歩

電磁気学はマックスウェルが電磁気学の数々の現象を4つの数式にまとめ上げたとき、一応完成したとされています。クーロンの発見はマックスウェルの方程式に至る最初の一歩と言えるでしょう。現代から見るとクーロンの実験は十分に精密な実験とは言えませんが、電気現象を力学のような数式の形で定量的に表したことは、偉大な功績だと言えます。

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物理理科電磁気学・光学・天文学

3分で簡単「シャルル・ド・クーロン」何した人?技術者でもあった彼を理系ライターがわかりやすく解説

今回はシャルル・ド・クーロンについて解説していきます。

シャルル・ド・クーロンとともに、その名もクーロンの法則についても紹介する。電磁気学を学ぶのに大抵はクーロンの法則から学ぶように、近代電磁気学もクーロンによるクーロンの法則から始まったのです。

今回は物理学科出身のライター・トオルさんと解説していきます。

ライター/トオル

今回は物理学科出身のライター・トオルさんと解説していくぞ。

シャルル・ド・クーロンについて

image by iStockphoto

シャルル・ド・クーロンは電荷の単位にその名を残し、電磁気の基本法則であるクーロンの法則を発見したことで知られています。しかし、彼は人生の大半を科学者というより技術者、特に土木技術者として過ごしたようです。現代は情報化社会と言われますが、情報テクノロジーを根幹で支えているので電磁気学に他なりません。そして、近代電磁気学がはじまったのは、クーロンによるクーロンの法則の発見の時からと言えます。

この記事ではクーロンの生涯とともにクーロンの法則について学んでみましょう。ちなみに、現在では電気や磁力はコインの裏表のような関係であることが判明していますが、当時はわかっておらずもちろん電磁気学という言葉も存在していません。

クーロンの生涯

Charles de Coulomb.png
Louis Hierle – 不明, パブリック・ドメイン, リンクによる

シャルル・ド・クーロンはわりと幸福な人生を送った著名な科学者だと思います。科学者兼技術者である彼の人生を見ていましょう。

その1.生まれ

シャルル・ド・クーロンは1736年フランス・アングレームの裕福な家庭に生まれました。父はモンペリエの役人であり、母は羊毛貿易で財をなした名家の出身だったそうです。少年時代、一家はパリに移住しクーロンも名門校で勉強していましたが、そこでルモニエの数学の授業に感銘を受け、数学の道に進むことを決意しました。

その2.青年期

1759年メジエールの陸軍士官学校に入学、1761年に卒業しイギリス沿岸の地図作成の仕事に関わります。1764年からは8年間マルティーニ島のブルボン城塞建設の監督に従事しました。この仕事の間に石造建築の耐久性や支持構造物のふるまいに関する実験を行ったそうです。しかし、マルティーニ島の風土病により体を壊し帰国を余儀なくされます。

その3.壮年期

その後、大尉として各地を赴任している間に電荷の間に働く力は距離の二乗に反比例しているという、有名なクーロンの法則を発見しました。また1773年には土圧理論を提唱しています。1774年には科学アカデミーの通信会員となり、1777年、磁気コンパスの研究により科学アカデミーの懸賞第一、1781年にも摩擦の研究により再び懸賞第一を獲得し、同年科学アカデミーの会員に選ばれました。

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