彼の政治の概念や理想は「ウィルソン主義」と呼ばれ、現代の合衆国の外交に影響を与えている。そんなウィルソンの政策とその後の評価を、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- ウッドロー・ウィルソンとはどんな人?
- 敬虔なキリスト教牧師の家庭に生まれる
- 幼少期は学習障害を抱えていたウィルソン大統領
- 政治学の学者として経験を積んだ「ウィルソン大統領」
- 米国大統領として唯一博士号を取得
- 法律学と政治経済学の教授に就任する
- 政治学者「ウィルソン大統領」の学問的貢献
- 政治学から行政学を分離させる
- アメリカ政治学会の会長として活躍
- 学者としての政治的コメントが評価され政界に進出
- 政治問題の論客として知名度を獲得
- 1912年の大統領選で民主党から立候補
- 「ウィルソン大統領」の政治政策
- 新自由主義と呼ばれる経済政策を推進
- 棍棒外交を批判するものの改革には至らず
- 第一次世界大戦に参戦した「ウィルソン大統領」
- 中立政策により大統領に再選を果たす
- 日本の軍事的台頭が参戦決断の理由のひとつ
- 「ウィルソン大統領」は反ドイツ感情を理由に参戦を決意
- ドイツの無制限潜水艦作戦によるアメリカ人の犠牲
- 「十四か条の平和原則」を発表
- パリ講和会議の中心人物となった「ウィルソン大統領」
- 「十四か条の平和原則」が人格者のイメージアップ
- ドイツに対する賠償金をめぐりフランスと対立
- 理念と現実のギャップにさらされた「ウィルソン大統領」
この記事の目次
ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。世界史をたどるとき「ウィルソン大統領」を避けて通ることはでいない。彼は大学の教授や学長を務めていた知性派。国益を追求するために他の国家の民主主義を侵害することを批判した。そんなウィルソン政権に関連する出来事をまとめてみた。
ウッドロー・ウィルソンとはどんな人?
By G. V. Buck, from U. & U. – Liberty’s Victorious Conflict: A Photographic History of the World War. Chicago: The Magazine Circulation Co. 1918. p. 71., Public Domain, Link
トーマス・ウッドロー・ウィルソンとは、第28代アメリカ合衆国大統領で、政治学者としての顔も持っている人物です。第一次世界大戦後のパリ講和会議でも存在感を発揮しました。
敬虔なキリスト教牧師の家庭に生まれる
ウィルソン大統領は1856年12月に、敬虔なキリスト教の牧師であった父と、学者一家の娘であった母のあいだに生まれました。とくに父親は合衆国長老教会の創設者のひとりとして、宗教界をけん引する存在でした。
ウィルソン大統領の両親は、南北戦争のときには南部軍を支持。奴隷制を擁護する立場をとり、実際に奴隷を所有していました。ただ労働に従事させるだけではなく、彼らのための日曜学校を開いていました。
幼少期は学習障害を抱えていたウィルソン大統領
ウィルソン大統領は、教育面では恵まれた環境で育ったものの、自身は学習障害をかかえていました。ディスレクシアのため文字の読み書きの習得に時間がかかります。
しかしながらウィルソン大統領は独学で速記を習得。父親の指導のもと勉学に励みます。ノースカロライナのデイビッドソン大学からプリンストン大学に編入し、政治史や政治哲学を学ぶようになりました。
政治学の学者として経験を積んだ「ウィルソン大統領」
By Library of Congress ”Catalog:” http://lccn.loc.gov/2008679655, Public Domain, Link
幼少期は学習障害で苦労することがあったものの、知能明晰で勉強熱心だったウィルソン大統領は、政治学の学者として頭角をあらわします。研究成果により博士号を授与され、大学の総長をつとめるという本格派でした。
米国大統領として唯一博士号を取得
ウィルソン大統領は、アメリカの大統領としてただひとり、研究者として博士号を授与されたことでも知られています。博士号を授与したのはメリーランド州にあるジョンズ・ホプキンス大学でした。
アメリカの歴代大統領のなかには博士号取得者そのものはいます。しかし、基本的に「名誉」という位置づけ。それに対してウィルソン大統領は、学問上の功績が認められた唯一のケースと言えるでしょう。
法律学と政治経済学の教授に就任する
ウィルソン大統領は、政治学の研究を深めたあと、1885年にブリンマー大学で歴史学や政治学を教えるようになります。博士号を取得したあと、コネチカット州にあるウェズリアン大学で経験を積みました。
そして1890年、彼の母校であるプリンストン大学にて教授に就任。さらに1902年にはプリンストン大学の学長に選ばれます。政治学の権威であるアメリカ政治学会の学長をつとめたのもこの時期でした。
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