結果として先住民の生活を脅かし、権利を侵害するなど問題となるところも多かった。そんな「コロンブス」の航海の歴史と、それが与えた影響を世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- クリストファー・コロンブスとは
- 最初にアメリカ大陸の地を踏んだヨーロッパ人
- 船乗りとして若者時代を過ごす
- 航海の夢をふくらませたコロンブス
- マルコ・ポーロ『東方見聞録』の黄金の国ジパング
- 地球球体説から西回りの航路を計画
- 王室に企画を提案するクリストファー・コロンブス
- ポルトガル国王は興味を持つものの採用せず
- スペイン王室はコロンブスの提案を採用
- インドを目指して出航したコロンブス
- 西インド諸島のサン・サルバドル島に到着
- 先住民を使って黄金を探す
- 先住民はどうしてコロンブスを歓待した?
- 未知の来客を歓待する文化がある
- 所有という考え方がなかった先住民
- スペインはアメリカ大陸の植民地化を構想
- 財宝を手にしたコロンブス
- 先住民の土地は植民地化できると判断
- 2回目の上陸から先住民の虐殺が加速
- 土地をめぐって先住民と対立
- 白人の入植により疫病が流行
- 晩年はスペインに冷遇されたコロンブス
- 「黄金の国」ではなかった上陸地
- アメリカ大陸の「発見者」ならなかったコロンブス
- コロンブスが発見したのは「航路」
この記事の目次
ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。「コロンブス」は、世界史を語るうえで欠かせない人物。アメリカ大陸の「発見者」とされているが、先住民の虐殺や黄金の強奪などネガティブな行動も目立った。航海者として活躍した「コロンブス」の歴史的意味を考えてみた。
クリストファー・コロンブスとは
クリストファー・コロンブスは1451年にイタリアのジェノバで生まれた探検家で航海者。あまり注目されませんが本職は奴隷売買でした。世界史の教科書ではアメリカ大陸の「発見者」として紹介されています。
最初にアメリカ大陸の地を踏んだヨーロッパ人
アメリカ大陸を発見したと言われるコロンブスですが、それはヨーロッパの立場からの話。アメリカ大陸には古くから先住民が暮らしているため、発見という表現には語弊があります。
コロンブスは、アメリカ大陸の地を初めて踏んだヨーロッパ人、あるいはキリスト教圏の人と言ったほうがいいでしょう。ヨーロッパ人とアメリカ先住民ははじめて「遭遇した」「接触した」とも言えます。
船乗りとして若者時代を過ごす
コロンブスの父親は、毛織物業により生計を立てていましたが、決して裕福ではありませんでした。そこでコロンブスは10代のころから父親の仕事を手伝うようになり、海に出るようになります。
若者時代のコロンブスがかかわったのは商品の輸出入。イタリアの商人に雇用され、ヨーロッパ各地のほかギリシアやチュニジアやに渡航します。ときには襲撃されて船が沈むこともありました。
航海の夢をふくらませたコロンブス
By Henry Yule – The Book of Ser Marco Polo. London, 1871, vol. I, p. cxxxv (https://archive.org/stream/bookofsermarcopo01polo#page/n145/mode/2up)., Public Domain, Link
当時のヨーロッパでは探検に夢を膨らます少年がたくさんいました。探検は一攫千金のチャンスでもあったからです。コロンブスは、弟と一緒に地図を制作・販売しながら、航海の実績を重ねていきました。
マルコ・ポーロ『東方見聞録』の黄金の国ジパング
一攫千金をあてる渡航先として注目されたのが黄金の国ジパング。マルコポーロは、中国の先にジパングという島国があり、黄金で作られた宮殿があると紹介。そこで日本は黄金の国というイメージが定着しました。
マルコ・ポーロが伝えた黄金の宮殿は平安時代末期につくられた平泉の中尊寺金色堂と言われています。実際に東北エリアで産出された砂金を中国に輸出。中国からその話が伝わったのかもしれません。
地球球体説から西回りの航路を計画
もともと地球平面説が流通していましたが、コロンブスの時代には地球球体説が定着。想定されていた地球のサイズは実際よりも小さかったものの、一周すればアジアにある黄金の国に到達できると考えられました。
コロンブスも地球球体説を根拠に、西廻りで航海することで黄金の国に到達できると考えます。この時点で想定さた未知のエリアはアジア。アメリカ大陸の存在はまだ認識されていませんでした。
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