今回はマイケル・ファラデーについて解説していきます。

ファラデーは、ほとんど初等教育も受けずに大科学者になった珍しい人物です。ファラデーは実験の名手だった。電磁気学のファラデーの業績とともに学んでみよう。

今回は物理学科出身のライター・トオルさんと解説していきます。

物理学科出身のライター。広く科学一般に興味を持つ。初学者でも理解できる記事を目指している。

マイケル・ファラデー について

image by iStockphoto

今回はマイケル・ファラデーについて紹介します。マイケル・ファラデーは満足な初等教育も受けずに大科学者になったことで有名です。特に実験の名手であり、シンプルな実験から自然の構造を解き明かすのに稀有の才能を発揮しました。ファラデー自身は教育を受けていないため数学を苦手としていたようですが、後年ファラデーらの業績を数式にまとめ上げたジェームズ・クラーク・マクスウェルは、数学を知らなくてもファラデーの思考は高度に数学的だったと評しています。

ファラデーは実験を通して自然を理解する能力が非常に高かったため、現在にもつながる自然に対する革新的アイデアを数多くもたらしました。多数の業績があるファラデーですが、今回は特に有名な電磁気学の業績について紹介します。

ファラデーの生涯

Michael Faraday 001.jpg
National Portrait Gallery - http://www.npg.org.uk/collections/search/largerimage.php?search=ap&npgno=269, パブリック・ドメイン, リンクによる

マイケル・ファラデーの生涯はある意味サクセスストーリーです。貧しい生い立ちから、歴史的な科学者になるという小説のような人生だったといえるでしょう。

その1.生い立ち

ファラデーは1791年、イギリスのニューイントン・バッツで鍛冶屋の三男として生まれました。家が貧しくほとんど教育を受ける機会もなく14歳の時、近所の製本屋に見習いとして働きはじめますファラデーの幸運は、働いていた先が製本屋だったことです。ここで7年間働く間に大量の本を読むことができたため、学校へ行けなくても多くの知識を獲得することができました。その中でも特に科学に興味を持ち、化学・電気化学がお気に入りだったようです。

その2.青年期

20歳になったファラデーはロンドン市立協会の会合に出席し、勉強するようになりました。また、当時イギリスで有名だった化学者ハンフリー・デービーの講演を何度も聞く機会に恵まれたようです。デービーの講義の際つけていた300ページにもわたるノートをデービーに送り、科学の仕事に就きたいと嘆願します。すぐに希望はかなえられませんでしたが、1813年ファラデーは王立研究所の化学助手になることに成功しました。

その3.壮年期

ファラデーは上流階級の多いイギリスの科学会で、身分差による苦労もあったようですが、多くの発見をして1824年には王立協会フェローに選ばれ、1825年には英国王立実験研究所の所長となります。1833年には講義する義務のない王立研究所の初代フラー教授職に任命されました。しかしながら、生涯一研究者でいたいということで、ナイト称号や王立研究所の会長、ロンドン王立協会の会長の要請さえ断ったそうです。ちなみに、1832年オックスフォード大学から名誉博士号を授与されています。

\次のページで「その4.晩年」を解説!/

その4.晩年

生涯ナイトの称号は辞退し続けたファラデーでしたが、ハンプトン・コート宮殿に無料で住める権利を与えられ、1858年の引退以降晩年はここに住みました。ファラデーは多くの業績を残して、この宮殿内で1867年に静かに息を引き取ります。著名な人物の眠るウェストミンスター寺院に埋葬する案があったようですが、国教徒ではなかったファラデーはウェストミンスター寺院への埋葬を拒否していたため、アイザック・ニュートンの墓の傍に記念碑が設置されました。遺体はハイゲイト墓地に埋葬されたそうです。

電磁気学に関する業績

Faraday magnetic rotation.jpg
Michael Faraday - Experimental Researches in Electricity (volume 2, plate 4), パブリック・ドメイン, リンクによる

ファラデーには多くの業績がありますが、彼を最も有名にした電磁気学の研究について紹介しましょう。ファラデーが行った最初の電磁気学の実験はまだ科学者になる前に行った、7枚の半ペニー貨と7枚の亜鉛に6枚の塩水に浸した紙を挟んでボルタ電池を作ったことのようです。彼はこの電池で硫酸マグネシウムを電気分解したりしました。

電磁気学に関する業績.その1

エルステッドが電気と磁気の関係に気づくと、デービーとウォラストンとともに電磁回転とよばれる二つの装置を作り上げます。その1つは水銀を入れた皿の中央に磁石を立て水銀に浸るように針金をたらし、その針金と水銀に電流を流すと針金が磁石の回りを回転し続ける装置です。もう1つの装置では逆に磁石が針金の回りを回るようになっていました。

電磁気学に関する業績.その2

その後、1831年頃にファラデーは電磁誘導を発見します。それは鉄の環に絶縁されら導線を巻き付けてコイルを二つ作り、一方のコイルに電流を流すともう一方のコイルにも瞬間的に電流が流れるという現象でした。さらに空芯の中でコイルを動かしても電流が流れることも発見しています。また、1839年には当時は常識だった電気の種類が存在するという説を一連の実験により否定しました。

さらに、反磁性の発見や、電磁場によって偏向の偏光面が回転する現象帯電した導体では電荷がその表面にしか存在しないことも発見しています。ちなみに、電気力線と磁力線はファラデーが発明した概念です。上記の画像は電磁気力による回転実験の模式図になります。

ファラデーの電磁誘導の法則

次に、ファラデーの名前がついている電磁誘導について詳しく見てみましょう。

\次のページで「ファラデーの電磁誘導の法則.その1」を解説!/

ファラデーの電磁誘導の法則.その1

ファラデーの電磁誘導の法則.その1

image by Study-Z編集部

まず磁場の中で電子が移動すると力を受けます。これがローレンツ力と言われる力で、磁束密度をB、電子の電荷をe、電子の速度をvとし、位置をrすると1式で表される力です。これは2式のような電場がそこにできているのと同じ意味になります。そこで、任意の閉じた動く経路Cを考えそこに磁場が存在していると考えると、閉じた経路には起電力が発生しその起電力EVは3式になるでしょう。

ファラデーの電磁誘導の法則.その2

一方経路Cが動くことによってCを貫く磁束が変化するはずです。C上の点rとそこから微小な長さ線分drを考えます。この線分は、微小な時間dtの間にvdtだけ動くため、それによる磁束は磁束をΦとすると4式だけ変化するはずです。これをC上で積分し、両辺をdtで割ると5式がでてきます。先ほどの起電力と比べると6式の関係が導かれ、これがファラデーの電磁誘導の法則です。

ファラデーは磁場の中にある回路を動かすと回路に電流が流れることを発見し、これは回路を貫いている磁束が変化するためであることを見抜いたのでした。この法則は現在でも発電機や、変圧器など多くの電気機器の原理になっています。

発電機と電動機

つぎは、ファラデーの電磁誘導の法則の応用である、発電機と電動機の原理について見てみましょう。

発電機と電動機.その1

発電機と電動機.その1

image by Study-Z編集部

左上の図に示すように、左方向を向いた磁界の中に、方形の導体線ループがあるとします。この導体線ループは自由に回転するが、導体線の両端は固定された他の二本の導体線に接触しているとしましょう。導体線ループが回転するとき、右側の導体線は常に右側の端子に、左側の導体線は常に左側の端子に接続される構造になっているとします。

発電機と電動機.その2

この装置を真ん中の図のように、外部の力によって導体線ループを半時計方向に回転させてみましょう。導体線からみれば磁力線はv方向に移動しています。この時、導体線の内部にはH×vの方向に力が働き電荷は右上では紙面奥へと左下では紙面手前の方向に移動するのです。このため、右側の端子を生を正の電極とし、左側の端子を負の電極とする発電になります。このように、磁束と導体線の相対運動によって導体線中に電圧が発生するというファラデーの法則を応用したのが発電機なのです。

この端子に電池を接続したのが右上の図になります。こうすると導体線には電流が流れ、電子qがローレンツ力によって力を受けるため、導体線ループを反時計回りに回転させる力が発生するのです。これがモーターの原理になります。

\次のページで「自然と科学を愛したファラデー」を解説!/

自然と科学を愛したファラデー

今回は主に電磁気学についてのファラデーの業績を紹介しましたが、ベンゼンの発見など化学の分野においてもファラデーは多くの業績を残しています。本人が十分な教育を受けられなかったためか、晩年は教育にも熱心で一般向けの科学講演たくさんおこないました。その内の一つである1860年のクリスマス・レクチャーをまとめた本がロウソクの科学という本であり、この本は現代でも高い評価を受けています。

科学を愛するというのはよい科学者でいるための条件だと思われますが、その点で自然と科学をファラデーほど愛した科学者はそう多くないでしょう。彼の天才は自然と科学への愛によって支えられていたように思われます。

" /> 3分で簡単「マイケル・ファラデー」何した人?天才実験科学者を理系ライターがわかりやすく解説 – Study-Z
物理理科電磁気学・光学・天文学

3分で簡単「マイケル・ファラデー」何した人?天才実験科学者を理系ライターがわかりやすく解説

今回はマイケル・ファラデーについて解説していきます。

ファラデーは、ほとんど初等教育も受けずに大科学者になった珍しい人物です。ファラデーは実験の名手だった。電磁気学のファラデーの業績とともに学んでみよう。

今回は物理学科出身のライター・トオルさんと解説していきます。

物理学科出身のライター。広く科学一般に興味を持つ。初学者でも理解できる記事を目指している。

マイケル・ファラデー について

image by iStockphoto

今回はマイケル・ファラデーについて紹介します。マイケル・ファラデーは満足な初等教育も受けずに大科学者になったことで有名です。特に実験の名手であり、シンプルな実験から自然の構造を解き明かすのに稀有の才能を発揮しました。ファラデー自身は教育を受けていないため数学を苦手としていたようですが、後年ファラデーらの業績を数式にまとめ上げたジェームズ・クラーク・マクスウェルは、数学を知らなくてもファラデーの思考は高度に数学的だったと評しています。

ファラデーは実験を通して自然を理解する能力が非常に高かったため、現在にもつながる自然に対する革新的アイデアを数多くもたらしました。多数の業績があるファラデーですが、今回は特に有名な電磁気学の業績について紹介します。

ファラデーの生涯

Michael Faraday 001.jpg
National Portrait Gallery – http://www.npg.org.uk/collections/search/largerimage.php?search=ap&npgno=269, パブリック・ドメイン, リンクによる

マイケル・ファラデーの生涯はある意味サクセスストーリーです。貧しい生い立ちから、歴史的な科学者になるという小説のような人生だったといえるでしょう。

その1.生い立ち

ファラデーは1791年、イギリスのニューイントン・バッツで鍛冶屋の三男として生まれました。家が貧しくほとんど教育を受ける機会もなく14歳の時、近所の製本屋に見習いとして働きはじめますファラデーの幸運は、働いていた先が製本屋だったことです。ここで7年間働く間に大量の本を読むことができたため、学校へ行けなくても多くの知識を獲得することができました。その中でも特に科学に興味を持ち、化学・電気化学がお気に入りだったようです。

その2.青年期

20歳になったファラデーはロンドン市立協会の会合に出席し、勉強するようになりました。また、当時イギリスで有名だった化学者ハンフリー・デービーの講演を何度も聞く機会に恵まれたようです。デービーの講義の際つけていた300ページにもわたるノートをデービーに送り、科学の仕事に就きたいと嘆願します。すぐに希望はかなえられませんでしたが、1813年ファラデーは王立研究所の化学助手になることに成功しました。

その3.壮年期

ファラデーは上流階級の多いイギリスの科学会で、身分差による苦労もあったようですが、多くの発見をして1824年には王立協会フェローに選ばれ、1825年には英国王立実験研究所の所長となります。1833年には講義する義務のない王立研究所の初代フラー教授職に任命されました。しかしながら、生涯一研究者でいたいということで、ナイト称号や王立研究所の会長、ロンドン王立協会の会長の要請さえ断ったそうです。ちなみに、1832年オックスフォード大学から名誉博士号を授与されています。

\次のページで「その4.晩年」を解説!/

次のページを読む
1 2 3 4
Share: