3分で簡単「マイケル・ファラデー」何した人?天才実験科学者を理系ライターがわかりやすく解説
ファラデーは、ほとんど初等教育も受けずに大科学者になった珍しい人物です。ファラデーは実験の名手だった。電磁気学のファラデーの業績とともに学んでみよう。
今回は物理学科出身のライター・トオルさんと解説していきます。
物理学科出身のライター。広く科学一般に興味を持つ。初学者でも理解できる記事を目指している。
マイケル・ファラデー について
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今回はマイケル・ファラデーについて紹介します。マイケル・ファラデーは満足な初等教育も受けずに大科学者になったことで有名です。特に実験の名手であり、シンプルな実験から自然の構造を解き明かすのに稀有の才能を発揮しました。ファラデー自身は教育を受けていないため数学を苦手としていたようですが、後年ファラデーらの業績を数式にまとめ上げたジェームズ・クラーク・マクスウェルは、数学を知らなくてもファラデーの思考は高度に数学的だったと評しています。
ファラデーは実験を通して自然を理解する能力が非常に高かったため、現在にもつながる自然に対する革新的アイデアを数多くもたらしました。多数の業績があるファラデーですが、今回は特に有名な電磁気学の業績について紹介します。
ファラデーの生涯
National Portrait Gallery – http://www.npg.org.uk/collections/search/largerimage.php?search=ap&npgno=269, パブリック・ドメイン, リンクによる
マイケル・ファラデーの生涯はある意味サクセスストーリーです。貧しい生い立ちから、歴史的な科学者になるという小説のような人生だったといえるでしょう。
その1.生い立ち
ファラデーは1791年、イギリスのニューイントン・バッツで鍛冶屋の三男として生まれました。家が貧しくほとんど教育を受ける機会もなく14歳の時、近所の製本屋に見習いとして働きはじめます。ファラデーの幸運は、働いていた先が製本屋だったことです。ここで7年間働く間に大量の本を読むことができたため、学校へ行けなくても多くの知識を獲得することができました。その中でも特に科学に興味を持ち、化学・電気化学がお気に入りだったようです。
その2.青年期
20歳になったファラデーはロンドン市立協会の会合に出席し、勉強するようになりました。また、当時イギリスで有名だった化学者ハンフリー・デービーの講演を何度も聞く機会に恵まれたようです。デービーの講義の際つけていた300ページにもわたるノートをデービーに送り、科学の仕事に就きたいと嘆願します。すぐに希望はかなえられませんでしたが、1813年ファラデーは王立研究所の化学助手になることに成功しました。
その3.壮年期
ファラデーは上流階級の多いイギリスの科学会で、身分差による苦労もあったようですが、多くの発見をして1824年には王立協会フェローに選ばれ、1825年には英国王立実験研究所の所長となります。1833年には講義する義務のない王立研究所の初代フラー教授職に任命されました。しかしながら、生涯一研究者でいたいということで、ナイト称号や王立研究所の会長、ロンドン王立協会の会長の要請さえ断ったそうです。ちなみに、1832年オックスフォード大学から名誉博士号を授与されています。
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