世界史

オスマン帝国「スレイマン1世」とは?ウィーン包囲でヨーロッパの脅威となったスルタンの生涯を歴女が5分で解説!

よぉ、桜木建二だ。今回は16世紀のオスマン帝国のスルタン、スレイマン1世についてだ。彼はヨーロッパでは「壮麗者」、トルコでは「立法者」という異名で知られている第10代のスルタンだ。ちなみに日本では「大帝」とも呼ばれているぞ。

そこで今回はスレイマン1世の業績について触れながら、世界史に詳しいまぁこと一緒に彼の生涯について解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

totocco0630

ライター/まぁこ

ヨーロッパ史が好きなアラサー歴女。特にヨーロッパ王室について書かれた関連書籍を愛読中。今回は16世紀のオスマン帝国のスルタン、スレイマン1世の生涯について詳しく解説していく。

1 スレイマン1世とは?

image by iStockphoto

世界史において16世紀の登場人物たちはとても魅力的な人物たちが登場します。王妃を次々に処刑し再婚を繰り返したイングランド王ヘンリー8世。スペインやオーストリアを継承し、神聖ローマ皇帝の座に就いたカール5世。そのカールと皇帝の座を巡った争ったフランス王フランソワ1世。そして今回の主人公となる、オスマン帝国の10代目のスルタンとなったスレイマン1世。ここでは彼の出自や即位後すぐに戦果を挙げた様子を見ていきましょう。

1-1 誕生

スレイマン1世は1494年に生まれました。父は冷酷王という異名を持つセリム1世。母については、セリムが王子時代にクリミア・ハン国から王女アイシェと結婚したという伝承からアイシェではないかと考えられてきました。しかし実際には奴隷身分だったハフサという女性との間の子であったそう。

スレイマンは王子時代からカッファの太守を務めており、セリムが即位した後はマニサの太守を任されていました。またセリムが東方へ遠征の際には父王に代わり敵国からの侵攻に備えていたそう。セリム1世にとってスレイマンは唯一の男子だったため、後継者争いは起きることなく、セリムの死後スレイマンは25歳で即位することになりました。

1-2 即位してまもなく大きな戦果を挙げる

EmperorSuleiman.jpg
Anonymous after Titian – Kunsthistorisches Museum Wien, パブリック・ドメイン, リンクによる

25歳で即位したスレイマン1世。即位した後にすぐに大きな戦果を2つ挙げることに成功しました。1つはベオグラート、もう1つはロードス島です。

1521年、スレイマンはベオグラートへ親征することに。このベオグラートとは、ドナウ川とサヴァ川の交差する地域で、オスマン帝国がヨーロッパ圏へ侵攻する際いつも食い止められていた地域でもありました。しかしスレイマンはわずか2か月で陥落させることに成功。これによってヨーロッパの人々はスレイマンを脅威に感じるように。またそのわずか1年後にはロードス島を攻略。ここはヨハネ騎士団の本拠地であり、彼らは東地中海を行き来するムスリムの船を襲って略奪を繰り返していました。5か月間の戦いの末、ついにヨハネ騎士団は降参することに。こうしてロードス島はオスマン帝国の支配下となりました。

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