モンロー大統領が発信したことは、当時の国内・国際社会のなかでどのように評価されたのでしょうか。それじゃ、彼の人物像や宣言の項目などを、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- ジェームズ・モンロー大統領とは
- バージニア植民地にて生まれたジェームズ・モンロー
- 愛国心あふれる少年時代を過ごす
- アメリカ独立戦争に従軍したモンロー大統領
- アメリカ独立戦争とは
- 独立にかかわった最後の大統領ジェームズ・モンロー
- ルイジアナ買収に貢献したジェームズ・モンロー
- 買収をサポートするためにフランスに行く
- 広大な領地獲得に成功したモンロー
- 1816年に第5代大統領となったジェームズ・モンロー
- 巧みな交渉術で「好感情の時代」をつくる
- 1819年恐慌を乗り切ったモンロー大統領
- 1820年に再選を果たしたモンロー大統領
- 外交政策としてモンロー主義を発表
- アメリカとヨーロッパの相互不干渉を主張
- 先住民の排除を正当化するモンロー大統領
- スペイン領フロリダが虐殺の舞台になる
- インディアン移住法の原案を作ったモンロー大統領
- モンロー大統領の黒人奴隷に対する態度
- 奴隷制度を反対したジェームズ・モンローの真意
- 黒人奴隷のリベリア移住を支持したモンロー大統領
- モンロー大統領の時代はアメリカの政治の転換時
この記事の目次
ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。世界史をたどるとき「モンロー大統領」を避けて通ることはできない。世界の西半球の脱植民地化を宣言するモンロー主義。それを提供したモンローはアメリカ独立戦争に従軍した最後の大統領でもあった。そんな彼の政治活動の時代背景を、関連する写真と共にまとめてみた。
ジェームズ・モンロー大統領とは
ジェームズ・モンローとは第5代アメリカ合衆国大統領。1817年から1825年にかけての2期、大統領職を務めました。世界史の教科書に登場する「モンロー主義」の提唱者としても知られています。
バージニア植民地にて生まれたジェームズ・モンロー
1758年にバージニア州のウェストモアランド郡に生まれたジェームズ・モンロー。父親であるスペンス・モンローは中流階級程度の農園主。母であるエリザベス・ジョーンズを結婚して5人の子供をもうけました。
父親の曽祖父はスコットランドからアメリカにやってきた移民。スコットランド高地の一族の長の子孫であると言われています。ウェストモアランドに広大な土地を得て、モンロー家の基盤が作られました。
愛国心あふれる少年時代を過ごす
モンロー少年は16歳になるまでアーチボルド・キャンベル牧師が運営するアカデミーで勉強に没頭。勉強がよくできたモンローはウィリアム・アンド・メアリー大学に入学を果たします。
大学ではイギリス支配に対する反発が高揚。モンローを含めた25人の学生たちは、総督宮殿の武器庫を襲撃して銃や剣を強奪します。次の年、モンローは大学を中退して大陸軍にはいりました。
アメリカ独立戦争に従軍したモンロー大統領
By John Trumbull – Yale University Art Gallery, Public Domain, Link
大陸軍の一員となったジェームズ・モンロー。とくにニュージャージー州におけるトレントンの戦いで活躍しました。ジョン・トランブルの絵画「トレントンの戦い」には負傷して横たわるモンローが描かれています。独立戦争の中心人物としてその名を歴史に残しました。
アメリカ独立戦争とは
アメリカ独立戦争とは、1775年4月19日から1783年9月3日までのあいだに、イギリス本国とアメリカ13植民地のあいだで行われた一連の戦いのこと。この戦争に勝ったことでアメリカは政治的に独立しました。
最初は訓練を受けていない民兵を組織して戦っていました。そこで兵力を高めるために大陸会議は正規の軍隊を設立。ジョージ・ワシントンが総司令官になります。そこで採用された兵士のひとりがモンロー青年でした。
独立にかかわった最後の大統領ジェームズ・モンロー
アメリカ合衆国が成立したあとの大統領は、ジョージ・ワシントン、ジョン・アダムズ、トーマス・ジェファーソン、ジェームズ・マディソンと、13植民地を代表する人物が続きました。
ジェームズ・モンローは独立戦争に直接かかわった最後の大統領。彼のあとに大統領になったジョン・クインシー・アダムズ以降は、アメリカの独立運動を伝え聞く世代となりました。
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