
ピューリタン革命は別名清教徒革命とも呼ばれ、1642年から1649年の間起こった内戦です。クロムウェルはピューリタン革命時には鉄騎隊を率いてネイズビーの戦いで国王軍を撃破。その後チャールズ1世を捕えて処刑し、その後護国卿に就任して独裁政治を行ったんです。
それじゃあ世界史に詳しい歴女のまぁこと一緒にピューリタン革命のこと、その後のクロムウェルの独裁について解説していくからな。
- 1 オリヴァー・クロムウェルとは?
- 1-1 チャールズ1世
- 1-2 チャールズ1世の即位と結婚
- 1-3 専制政治を行った国王
- 1-4 スコットランドの暴動
- 1-5 クロムウェルの率いた鉄騎隊
- 2 国王の処刑とクロムウェルの独裁
- 2-1 国王処刑
- 2-2 弾圧を強めていくことに
- 2-3 アイルランドとスコットランドを征服
- 2-4 スコットランドとアイルランドのその後
- 2-5 クロムウェルの独裁
- 3 クロムウェルの死後
- 3-1 身分階級からみたピューリタン革命
- 3-2 なぜ王政復古がなされたのか
- 3-3 王政復古後のクロムウェルの評価
- ピューリタン革命の指導者であり、王殺しであるクロムウェル
この記事の目次

ライター/まぁこ
ヨーロッパ史が好きなアラサー歴女。特にヨーロッパ王室に興味があり関連書籍を愛読している。今回はピューリタン革命を指導したクロムウェルについて解説していく。
1 オリヴァー・クロムウェルとは?

image by iStockphoto
オリヴァー・クロムウェルは、1599年にイングランド東部に位置するハンティントンで生まれました。ちなみに彼が生まれたクロムウェル家はジェントリ階級で、かつてヘンリー8世に仕えたトマス・クロムウェルを輩出した名門。
クロムウェルはケンブリッジ大学に進んだ後、治安判事や政治家という経歴を持つ人物です。しかし最も有名なのは、ピューリタン革命を指導してその後はイングランドの護国卿に就任し独裁政治を行ったことでしょう。そこでここでは、ピューリタン革命に至るまでのイングランドを詳しく解説していきます。
こちらの記事もおすすめ

暴君「ヘンリー8世」から見るテューダー朝の繁栄を歴女が5分でわかりやすく解説!
1-1 チャールズ1世
ピューリタン革命の際にイングランドの国王だったのは、チャールズ1世でした。彼は1600年にスコットランドのダンファームリンで生まれました。そして3歳の時に父王ジェームズ1世(スコットランド王としては6世)がイングランド王となったため、イングランドへ移ることに。これはイングランド女王、エリザベス1世が崩御したためでした。彼女は後継者にメアリ・ステュアートの息子であったジェームズを選んだのです。
ジェームズには優秀な息子ヘンリー・フレデリックがいましたが、わずか18歳の若さで亡くなることに。こうして兄に代わって後継者となったのが、ヘンリーよりも6歳下で小柄で吃音だったチャールズです。彼は父王から帝王教育を授けられ、王権神授説を信奉するようになりました。
こちらの記事もおすすめ

ピューリタン革命で散ったステュアート朝2代目「チャールズ1世」の生涯を歴女が5分でわかりやすく解説!
\次のページで「1-2 チャールズ1世の即位と結婚」を解説!/