ニュルンベルク法を通じてユダヤ人とは何かを定義
ニュルンベルク法におけるユダヤ人の定義は非常にあいまいでした。なぜならユダヤ人は混血化が進んでおり、どこまでがユダヤ人でどこからがドイツ人なのか、線引きをすることが難しかったのです。
本人がユダヤ教徒ではなくても、両親や祖父母が信仰しているとユダヤ人とされました。血統については、修正のすえ、4分の1がユダヤ人の場合はドイツ人。半分の場合はユダヤ人とみなされました。
ユダヤ人迫害から守った人々
photo taken by Miaow Miaow in August 2004 – 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンクによる
ユダヤ人を迫害するために法的な整備も進められ、労働力を確保するための強制収容所の数も増やしていきます。迫害が過激になっていく状況下、ユダヤ人を守ろうとした人もいました。そこで日本で有名なふたりの行動をご紹介します。
実業家のオスカー・シンドラー
オスカー・シンドラーは現在のチェコで生まれたドイツ人実業家。工場で製造したものの闇取引で財を成します。その後、彼の工場は軍需工場となり、ユダヤ人が強制労働するために送り込まれました。
シンドラーは、工場の数を増やして殺される前のユダヤ人を労働需要があるとして引き取り、救出し続けました。闇取引でもうけたお金で食料を買って寝る場所も用意。多くのユダヤ人がそれにより救われます。
外交官の杉原千畝
杉原千畝は日本人の外交官。リトアニアに赴任しているとき、ナチスドイツの迫害から逃れてきたユダヤ難民を救済。外務省の指令に背くかたちで、難民にビザを発給したことで知られています。
日本とドイツは同盟を結んでいたため、ユダヤ人を救出したことがばれると、罷免される恐れがありました。それにもかかわらず杉原千畝は大量のビザを発行。それは「命のビザ」と呼ばれました。
シンドラーの名前が有名になったが、ユダヤ系アメリカ人のスティーブン・スピルバーグ監督による映画『シンドラーのリスト』でしょう。彼の名前が世界中に知れ渡ることになりました。杉原千畝はビザ発給の責任が問われて事実上の解雇。夫人の回想『6千人の命のビザ』がテレビドラマ化され、日本人は彼の名前を初めて知ることになります。2009年には「世界に誇れる日本人」のランキングでトップ10入を果たしました。
「ユダヤ人迫害」は現代でも続いている
実は、現代のドイツでも反ユダヤ主義は必ずしも消えているとは言えません。2019年に、反ユダヤ主義政策を担当する高官が、伝統的な帽子であるキッパの着用を控えるように呼びかけます。これはドイツ国内でユダヤ人に対する反発が高まり、迫害を受ける可能性があることが理由。ヨーロッパでは右傾化がすすむと反ユダヤ主義に向かう傾向が今でもあるのです。「ユダヤ人迫害」は過去の歴史ではなく、現在の問題としてとらえる必要があるのですね。