親衛隊がユダヤ人狩りを実施
ナチスは、ドイツや占領地に住んでいるユダヤ人をとらえて強制労働をさせる、強制収容所に送るなどしました。ユダヤ人は捕まることを恐れて潜伏。それを見つけ出すのが親衛隊の役割でした。
これは「ユダヤ人狩り」と呼ばれ、ドイツが占領した国でもおこなわれます。そのため、ドイツのほかフランスをはじめとするヨーロッパ各地で「ユダヤ人狩り」が実行されていました。
殺害の方法は多種多様
ユダヤ人迫害の方法はさまざまでした。ひとつは工場に送って強制労働させること。ここでは必要最低限の水と食料だけを与え、ドイツのために死ぬまで働かせることです。主に軍需工場が送り先となりました。
もうひとつが絶滅収容所に送ること。ここでは、銃殺やガス室殺害、人体実験などを通じて直接的に殺しました。労働に適さない、思想に問題があるなど、何らかの基準のもと送られていたようです。
強制収容所のなかでもっとも有名なものがアウシュビッツ強制収容所。ドイツの占領地であったポーランド南部にありました。ここに建設されたのは、交通の便の良さ、炭坑や石炭の産地との距離、ソ連の侵攻の防衛になるなど理由はさまざま。過酷な労働を強いるとともに、それに適さない人はガス室に送りこむ、ふたつの機能を持つ場所でした。現在、二度とおなじ過ちを繰り返さないという反省をこめて、収容所の建物は世界遺産に登録されています。
ユダヤ人迫害の方向性の変化
実は、ナチス政権は最初からユダヤ人を絶滅させるという考えではなかったようです。最初は、中世から存在していたゲットー(強制隔離地区)のような場所をつくり、そこに移送する計画でした。
当初はマダガスカル島に移送することを計画
反ユダヤ主義の学者の一部が、ドイツからユダヤ人を追い出してアフリカ大陸の南方にあるマダガスカル島に移住させるというアイデアを考えます。これがこれがマダガスカル計画。ナチスの指導者たちも注目するようになりました。
マダガスカル計画はナチスの上層部で何度も議論するものの実現には至らず。そのまま強制移住ではなく強制労働・虐殺にシフトしました。実際に移住が行われていたらマダガスカル島は経済破綻しただろうと言われています。
ポーランド占領が迫害の分岐点
ナチス政権がユダヤ人の迫害を本格化させるのがポーランド侵攻の時期。ポーランドにもユダヤ人が数多く住んでいたため、占領することで人口が一気に増えました。
ナチス政権はユダヤ人を隔離すると共に、ソ連に勝利したらそこに送り込むことを思案。しかしソ連に勝利する見込みはなくなり、強制収容所における労働や殺害に方向転換しました。
\次のページで「ユダヤ人迫害の背景にはキリスト教が関係?」を解説!/