この記事では「茫然自失(ぼうぜんじしつ)」について解説する。
端的に言えば、茫然自失は「あっけにとられて我を忘れること」です。中国の故事成語で語源は『列子』です。大まかな意味はわかるでしょうが、ちゃんと使いこなせているか?
日本放送作家協会会員でWebライターのユーリを呼んです。「茫然自失」の意味や語源をチェックし、例文や類義語などを見ていきます。

ライター/ユーリ

日本放送作家協会会員。シナリオ、エッセイをたしなむWebライター。時代によって変化する言葉の面白さ、奥深さをやさしく解説する。

「茫然自失」の意味・語源・使い方

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さっそく「茫然自失」の意味と語源をチェックし、例文で使い方を見ていきましょう。

「茫然自失」の意味

まず、国語辞典で「茫然自失」の意味をチェックしましょう。

あっけにとられて、我を忘れてしまうこと。

出典:日本国語大辞典精選版「茫然自失」

「茫然(ぼうぜん)」には「漠然としてつかみどころがない」「判然としない」「あっけにとられているさま」「気抜けしてぼんやりしているさま」などの意味があります。「自失」は「自分を見失ってぼんやりすること」。「茫然自失」は「あっけにとられて、我を忘れてしまう」と言う意味です。「茫然」は「呆然」と表記することもありますよ。

「茫然自失」の語源は『列子』!

「茫然自失」の語源は『列子(れっし)』「仲尼(ちゅうじ)」です。列子は、中国の春秋時代に活動した思想家のひとり。また『列子』は列子の著書と伝わる思想書のことです。

『列子』には道家の説話が載っており、「茫然自失」という言葉は、孔子と弟子の子貢とのエピソードの中で出てきます。

子貢(しこう)は、孔門十哲(こうもんじってつ)の一人でした。孔門十哲とは、孔子の弟子の中でも特に優れた10人のことです。あるとき、子貢は孔子との問答でわからないことがあり、茫然としてしまいます。一緒に教えを受けていた顔淵(がんえん)は「わかりました」と答えているのに、理解できない子貢は、自分を見失ってしまいました。

子貢茫然自失、帰家淫思七日、不寝不食、以至骨立

出典:『列子』「仲尼」

\次のページで「「茫然自失」の使い方」を解説!/

「子貢は茫然として自失し、帰宅して7日間深く考え込んだ。寝ず食べず、骨と皮ばかりに痩せてしまった」という意味です。自宅に引きこもって憔悴した様子の子貢に、顔淵がいろいろと話して聞かせたところ、子貢の疑問は解けます。子貢は納得して再び孔子のもとで学んだ、という話です。

「茫然自失」の使い方

例文で「茫然自失」の使い方を見ていきましょう。

1.爆撃で破壊された故郷の町を目の当たりにして、彼は茫然自失の状態に陥った。
2.ほんの数時間出掛けていただけなのに、床には足の踏み場もないほどおもちゃが散らばっていた。彼女は茫然自失の状態になってしまい、子どもと一緒に留守番していた夫を問い詰めることも忘れていた。
3.先週会ったときは元気だった知人が事故で急死したという知らせを受けて、彼は茫然自失した。

最初の例文は、ふるさとの町が破壊された様子を目撃して、あまりのことに我を失いぼんやりしてしまったということです。精神的な打撃があまりに大きいと、すぐにリアクションができずぼんやりしてしまいます。

2番目の例文は、数時間外出しただけなのに、室内の散らかし具合がひどすぎて、あっけにとられてしまったという意味ですよ。3番目の例文は、先週元気だった知人の訃報に、放心状態になってしまったという意味です。

衝撃的な光景を目の当たりにしたときだけではなく、予想もしていなかった知らせを聞いたときにも、人は茫然自失の状態になるものですね。

\次のページで「「茫然自失」の類義語」を解説!/

「茫然自失」の類義語

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「茫然自失」と同じような意味あいの言葉には、どのような言葉があるのでしょうか。

「瞠目結舌(どうもくけつぜつ)」:目を見張り声も出ない

「瞠目」は「大きく目を見張る」という意味です。「結舌」は舌を結ぶということなので「口をとざす」「話せなくなる」という意味ですよ。「瞠目結舌」「驚いて大きく目を見張り、声も出せず茫然とすること」です。

「放心」:ぼんやりすること

「放心」「心を奪われたりして、魂が抜けたようにぼんやりすること」という意味です。「彼女の急逝を知らせる手紙を読んで、彼は放心状態になった」という使い方をします。「気にかけない」「心配事を払いのける」「放念」という意味もあり、「どうぞご放心ください」という使い方もしますよ。

「唖然(あぜん)」:あきれて声も出ない

「唖(あ)」という字には「言葉が話せない」という意味があります。「唖然」「思いがけない出来事に驚き、あきれてものも言えないこと」「あっけにとられる」という意味です。「あまりの出来事に唖然とした」という使い方をします。

「茫然自失」の反対語

「茫然自失」と反対の意味あいの言葉には、どのような言葉があるのでしょうか。

「泰然自若」:物事に動じない

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「泰然」は「落ち着いて物事に驚かないこと」、「自若」は「重大事があっても、落ち着きがあり、心や態度に少しの乱れもない様子」という意味です。「泰然自若」「落ち着いて物事に動じない」という意味ですよ。

\次のページで「「茫然自失」の英訳」を解説!/

「茫然自失」の英訳

次は英語で「茫然自失」をどのように表現するか見ていきましょう。

「be stunned」:茫然とする

be stunned「茫然とする」という意味です。

I was stunned when I heard the news of the king’s death.
王の死の知らせを聞いて茫然とした。

「stun「茫然とさせる」「当惑させる」「気絶させる」などの意味があります。気絶させる武器は「stun gun(スタンガン)」ですね。「be stunned」と受身にすると「茫然とする」という意味になります。

「I’m stunned.「びっくりした」「驚いた」という意味です。悪いことだけでなく、良いことで驚いたときにも使えますよ。「驚いた」というと「be surprised」が思い浮かびますが、それよりも驚きが大きく、とっさに反応ができずぼんやりしてしまうというニュアンスになります。

「茫然自失」を使いこなそう!

この記事では、「茫然自失」の意味や語源を調べ、使い方や類義語などを解説しました。

 「茫然自失」は「あっけにとられて、我を忘れてしまう」と言う意味です。語源は『列子(れっし)』「仲尼(ちゅうじ)」ですよ。

人生には、茫然自失の状態になってしまうような出来事がいくつも起きます。泰然自若に受け止められればよいのですが、なかなかそうもいきません。せめて文章の中だけでも「茫然自失」をうまく使いこなしたいものですね。

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国語言葉の意味

語源は『列子』!「茫然自失」の意味・語源・類義語などを日本放送作家協会会員が簡単にわかりやすく解説

この記事では「茫然自失(ぼうぜんじしつ)」について解説する。
端的に言えば、茫然自失は「あっけにとられて我を忘れること」です。中国の故事成語で語源は『列子』です。大まかな意味はわかるでしょうが、ちゃんと使いこなせているか?
日本放送作家協会会員でWebライターのユーリを呼んです。「茫然自失」の意味や語源をチェックし、例文や類義語などを見ていきます。

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日本放送作家協会会員。シナリオ、エッセイをたしなむWebライター。時代によって変化する言葉の面白さ、奥深さをやさしく解説する。

「茫然自失」の意味・語源・使い方

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さっそく「茫然自失」の意味と語源をチェックし、例文で使い方を見ていきましょう。

「茫然自失」の意味

まず、国語辞典で「茫然自失」の意味をチェックしましょう。

あっけにとられて、我を忘れてしまうこと。

出典:日本国語大辞典精選版「茫然自失」

「茫然(ぼうぜん)」には「漠然としてつかみどころがない」「判然としない」「あっけにとられているさま」「気抜けしてぼんやりしているさま」などの意味があります。「自失」は「自分を見失ってぼんやりすること」。「茫然自失」は「あっけにとられて、我を忘れてしまう」と言う意味です。「茫然」は「呆然」と表記することもありますよ。

「茫然自失」の語源は『列子』!

「茫然自失」の語源は『列子(れっし)』「仲尼(ちゅうじ)」です。列子は、中国の春秋時代に活動した思想家のひとり。また『列子』は列子の著書と伝わる思想書のことです。

『列子』には道家の説話が載っており、「茫然自失」という言葉は、孔子と弟子の子貢とのエピソードの中で出てきます。

子貢(しこう)は、孔門十哲(こうもんじってつ)の一人でした。孔門十哲とは、孔子の弟子の中でも特に優れた10人のことです。あるとき、子貢は孔子との問答でわからないことがあり、茫然としてしまいます。一緒に教えを受けていた顔淵(がんえん)は「わかりました」と答えているのに、理解できない子貢は、自分を見失ってしまいました。

子貢茫然自失、帰家淫思七日、不寝不食、以至骨立

出典:『列子』「仲尼」

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