今回のテーマは天動説です。

太陽を中心にその周りを地球が回っていることは皆知っているな。現在なら小学校で習う常識です。しかし、この太陽の周りを地球が回るという地動説が知られるようになってから500年くらいしかたっていない。それまでは宇宙の中心は地球で、太陽や星座を作る星などの天体が回っていると考えられていた。これが天動説です。今とは正反対の宇宙観です。

今回は天動説を考えたのは誰か、天動説に変わる地動説が発表されたとき世間の反応はどうだったのかなどを科学館職員のたかはしふみかだ解説していきます。

ライター/たかはし ふみか

不思議な現象を解明する科学が好きで理系に進んだリケジョ。高校大学で化学漬けの日々を過ごしていた科学館職員。

天動説の概要

image by PIXTA / 14006218

世界のどこにいても毎日太陽が昇って朝となり、太陽が沈んで夜となりますね。ただし、地軸の傾きによって夏至の頃の北極圏や南極圏には白夜があります。白夜とは太陽が沈まない、沈んでも暗くならない現象のことです。ちなみに白夜と逆でずっと太陽が沈んでいる状態が続くことを極夜と言います。

image by Study-Z編集部

毎日太陽が昇って沈むのは、地球が太陽の周りで自転をしながら公転しているからです。しかし、かつて地球は宇宙の中心にあり、その周りを太陽や他の天体が回っていると信じられていました。静止した地球の周りを他の天体が回っている、これが天動説です。ちなみにコトバンクで天動説は「地球が宇宙の中央に位置して静止し、太陽、月などが地球のまわりを回るという説」と説明されています。

天動説の歴史

天動説のもとを考えたのはアレキサンドリア(エジプト)の天文学者、プトレマイオスです。プトレマイオスの正確な出生や没年数は不明ですが83年から168年頃に生きていたと言われています。ちなみにこの頃の日本は弥生時代(紀元前10世紀から紀元3世紀)で、プトレマイオスが生きていたのは卑弥呼が歴史に登場するよりも少し前です。

プトレマイオスは13冊にもわたる著書「アルマゲスト」に天動説について書き、そこに掲載された惑星の運動モデルはその後1000年以上にわたってアラブやヨーロッパで信じられていました。この本には他に日食や月食についてなども書かれています。この本でプトレマイオスは

・空は球形をしている
・地球は球である
・宇宙の中心は地球である
・地球は恒星までの距離に比べてとても小さい
・地球は動かない

 

としています。簡単にいうと地球は

宇宙の中心にある丸くて太陽よりもずっと小さく移動しない天体で、その周りを太陽やそのほかの天体が回っている

と思われていたのです。

なお、この本は天文学や幾何学の専門書であり、現在では古代ギリシアの天文学や数学を知ることのできる大変貴重な資料となっています。

地動説と科学者

image by PIXTA / 777044

地動説は「宇宙の中心は太陽でその周りを地球は1年かけて公転し、また地球は1日1回自転している」という説です。地球が太陽の周りを回っていることは現在では当たり前のことですね。この地動説には歴史に名の残る有名な科学者達が大きく関係しています。

地動説と言えばニコラス・コペルニクス(1473~1543)です。コペルニクスはポーランドの天文学者であり、カトリック司祭でもありました。コペルニクスは1508~1510年ごろに地動説を考え始め、「コメンタリオルス」という同人誌にまとめています。これは知人の数学者にしか見せておらず、地動説を広めるものではありませんでした。

しかし、地球が太陽の周りを回っていると仮定してた地動説は天体の運動を天動説よりも簡単に示すことができました。そしてコペルニクスの説は友人たちを中心に徐々に知られるようになり、地動説をまとめた書物の出版を進められるようになります。もともと出版する気のなかったコペルニクスでしたが、周囲からの説得で1543年に「天体の回転について」という著書で地動説を主張しました。

image by PIXTA / 39982504

望遠鏡を使った観測でデータを集め、コペルニクスの説を証明したのガリレオ・ガリレイ(1564~1642)です。教授として大学で教えていたガリレオは地動説を支持するようになりました。そして地動説をめぐってローマ教皇庁と対立するようになり、コペルニクスの著書「天体の回転について」が閲覧禁止になってしまったのです。地動説を唱えないようにと言われたガリレオでしたが著書「天文対話」に地動説のことを記し、1633年の宗教裁判によって有罪となりました。この時につぶやいたとされている「それでも地球は回っている」は有名な言葉ですね。

ガリレオ・ガリレイといえば人類で最初に天体望遠鏡で天体観測を行い、土星の輪を見つけた人物でもあります。ガリレオ・ガリレイの発見に関連する記事はこちらでどうぞ。

image by PIXTA / 43686309

地動説が受け入られたのはアイザック・ニュートン(1642~1727)のおかげです。ニュートンが見つけた「万有引力の法則」によって惑星の運動が太陽に引力によるものであることが明らかとなりました。そしてこれによって地球が回っている地動説が確実なものとなったのです。

ニュートンについてはこちらの記事を参考にして下さいね。

天動説・地動説の歴史まとめ

image by PIXTA / 34856276

天動説・地動説の歴史的流れは次のようになります。

紀元前310~230年頃
 古代ギリシャの天文学者アリスタルコスが太陽が宇宙の中心であると唱えるも、広まることはなかった

83年から168年頃
 プトレマイオスが天動説を唱える

1543年
 コペルニクスが地動説を公表

1632年
 ガリレオ・ガリレイ「天文対話」を発刊、地動説に触れる

1633年
 ガリレオ・ガリレイが有罪判決を受け、「それでも地球は回っている」とつぶやく

1665年
 アイザック・ニュートンが万有引力の法則を見つけ、地動説が確実なものとなる

天動説と地動説

今ではすっかり一般常識の地動説。しかしニュートンが万有引力を発見するまでは地球を中心とした天動説が常識とされ、地動説は唱えるだけで罪とされる時代があったのです。

地動説はまだ望遠鏡がなく十分な観測ができない時代から唱えられていました。そして、そのような状況で地動説を考え出した人物もいたのです。文明と発展と共に変わってきた宇宙観。今後、どのような発見や学説が出てくるか楽しみですね。

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地学地球理科

地球の周りを太陽が回る?「天動説」を科学館職員がわかりやすく解説

今回のテーマは天動説です。

太陽を中心にその周りを地球が回っていることは皆知っているな。現在なら小学校で習う常識です。しかし、この太陽の周りを地球が回るという地動説が知られるようになってから500年くらいしかたっていない。それまでは宇宙の中心は地球で、太陽や星座を作る星などの天体が回っていると考えられていた。これが天動説です。今とは正反対の宇宙観です。

今回は天動説を考えたのは誰か、天動説に変わる地動説が発表されたとき世間の反応はどうだったのかなどを科学館職員のたかはしふみかだ解説していきます。

ライター/たかはし ふみか

不思議な現象を解明する科学が好きで理系に進んだリケジョ。高校大学で化学漬けの日々を過ごしていた科学館職員。

天動説の概要

image by PIXTA / 14006218

世界のどこにいても毎日太陽が昇って朝となり、太陽が沈んで夜となりますね。ただし、地軸の傾きによって夏至の頃の北極圏や南極圏には白夜があります。白夜とは太陽が沈まない、沈んでも暗くならない現象のことです。ちなみに白夜と逆でずっと太陽が沈んでいる状態が続くことを極夜と言います。

image by Study-Z編集部

毎日太陽が昇って沈むのは、地球が太陽の周りで自転をしながら公転しているからです。しかし、かつて地球は宇宙の中心にあり、その周りを太陽や他の天体が回っていると信じられていました。静止した地球の周りを他の天体が回っている、これが天動説です。ちなみにコトバンクで天動説は「地球が宇宙の中央に位置して静止し、太陽、月などが地球のまわりを回るという説」と説明されています。

天動説の歴史

天動説のもとを考えたのはアレキサンドリア(エジプト)の天文学者、プトレマイオスです。プトレマイオスの正確な出生や没年数は不明ですが83年から168年頃に生きていたと言われています。ちなみにこの頃の日本は弥生時代(紀元前10世紀から紀元3世紀)で、プトレマイオスが生きていたのは卑弥呼が歴史に登場するよりも少し前です。

プトレマイオスは13冊にもわたる著書「アルマゲスト」に天動説について書き、そこに掲載された惑星の運動モデルはその後1000年以上にわたってアラブやヨーロッパで信じられていました。この本には他に日食や月食についてなども書かれています。この本でプトレマイオスは

・空は球形をしている
・地球は球である
・宇宙の中心は地球である
・地球は恒星までの距離に比べてとても小さい
・地球は動かない

 

としています。簡単にいうと地球は

宇宙の中心にある丸くて太陽よりもずっと小さく移動しない天体で、その周りを太陽やそのほかの天体が回っている

と思われていたのです。

なお、この本は天文学や幾何学の専門書であり、現在では古代ギリシアの天文学や数学を知ることのできる大変貴重な資料となっています。

地動説と科学者

image by PIXTA / 777044

地動説は「宇宙の中心は太陽でその周りを地球は1年かけて公転し、また地球は1日1回自転している」という説です。地球が太陽の周りを回っていることは現在では当たり前のことですね。この地動説には歴史に名の残る有名な科学者達が大きく関係しています。

地動説と言えばニコラス・コペルニクス(1473~1543)です。コペルニクスはポーランドの天文学者であり、カトリック司祭でもありました。コペルニクスは1508~1510年ごろに地動説を考え始め、「コメンタリオルス」という同人誌にまとめています。これは知人の数学者にしか見せておらず、地動説を広めるものではありませんでした。

しかし、地球が太陽の周りを回っていると仮定してた地動説は天体の運動を天動説よりも簡単に示すことができました。そしてコペルニクスの説は友人たちを中心に徐々に知られるようになり、地動説をまとめた書物の出版を進められるようになります。もともと出版する気のなかったコペルニクスでしたが、周囲からの説得で1543年に「天体の回転について」という著書で地動説を主張しました。

image by PIXTA / 39982504

望遠鏡を使った観測でデータを集め、コペルニクスの説を証明したのガリレオ・ガリレイ(1564~1642)です。教授として大学で教えていたガリレオは地動説を支持するようになりました。そして地動説をめぐってローマ教皇庁と対立するようになり、コペルニクスの著書「天体の回転について」が閲覧禁止になってしまったのです。地動説を唱えないようにと言われたガリレオでしたが著書「天文対話」に地動説のことを記し、1633年の宗教裁判によって有罪となりました。この時につぶやいたとされている「それでも地球は回っている」は有名な言葉ですね。

ガリレオ・ガリレイといえば人類で最初に天体望遠鏡で天体観測を行い、土星の輪を見つけた人物でもあります。ガリレオ・ガリレイの発見に関連する記事はこちらでどうぞ。

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地動説が受け入られたのはアイザック・ニュートン(1642~1727)のおかげです。ニュートンが見つけた「万有引力の法則」によって惑星の運動が太陽に引力によるものであることが明らかとなりました。そしてこれによって地球が回っている地動説が確実なものとなったのです。

ニュートンについてはこちらの記事を参考にして下さいね。

天動説・地動説の歴史まとめ

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天動説・地動説の歴史的流れは次のようになります。

紀元前310~230年頃
 古代ギリシャの天文学者アリスタルコスが太陽が宇宙の中心であると唱えるも、広まることはなかった

83年から168年頃
 プトレマイオスが天動説を唱える

1543年
 コペルニクスが地動説を公表

1632年
 ガリレオ・ガリレイ「天文対話」を発刊、地動説に触れる

1633年
 ガリレオ・ガリレイが有罪判決を受け、「それでも地球は回っている」とつぶやく

1665年
 アイザック・ニュートンが万有引力の法則を見つけ、地動説が確実なものとなる

天動説と地動説

今ではすっかり一般常識の地動説。しかしニュートンが万有引力を発見するまでは地球を中心とした天動説が常識とされ、地動説は唱えるだけで罪とされる時代があったのです。

地動説はまだ望遠鏡がなく十分な観測ができない時代から唱えられていました。そして、そのような状況で地動説を考え出した人物もいたのです。文明と発展と共に変わってきた宇宙観。今後、どのような発見や学説が出てくるか楽しみですね。

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