
「愁眉を開く」
「愁眉(しゅうび)」とは、心配している時にしかめる眉のこと。悲しい時や心配で仕方がない時、自然と眉の間にシワができているかと思います。すなわち、眉をひそめていますよね。そこへ「愁(うれい)」が加わるわけですから、心配事がなくなり、ほっとした表情になることを「愁眉を開く」と表現します。「胸を撫で下ろす」と同じ感覚で使うとよいでしょう。
「肩の荷が下りる」の対義語は?
では、次に「肩の荷が下りる」の対義語をみていきましょう。
「荷が重い」
「荷が重い」は、本人の力量に比べて、負担や責任が大き過ぎた場合に使うことができます。解放された「肩の荷が下りる」に比べて、「荷が重い」は、まだチャレンジ中だといえるでしょう。「荷が重い」の「荷」も「責任・負担」を差しているため、自身の肩にずっしりと荷物が乗っている状態を想像すると分かりやすいかもしれません。
「荷が重い」状況が続くと、気持ちまで滅入ってしまいがちです。気に病む前に、周囲に相談するか、定期的な息抜きを忘れないようにしてくださいね。
「思案に暮れる」
「思案」とは、考えをめぐらすこと。「暮れる」は、太陽が沈む様子を表すだけでなく、悲しみや見通しが立たない時にも使われます。「思案に暮れる」の意味は、どうしたらよいか迷ってしまい、考えが定まらないこと。
たとえば、任されたプロジェクトを進めていく方法が、2つあったとしましょう。どちらも悪くはありませんが、最善ではないかもしれません。このままで良いのか、プロジェクトを必ず成功させるために必死に考えることでしょう。思案に暮れている時は辛く、気持ちが押し潰されそうになるかもしれません。しかし、諦めず考えていれば、肩の荷が下りる日が必ずやってくるはずですよ。
「骨が折れる」
「骨が折れる」は、骨折していると報告しているわけではありません。困難で苦労した時や、労力がいる時に「骨が折れる」と表現します。普段は挑戦しないような難しい問題に直面したとしましょう。内容を理解するだけでも時間がかかり、苦労しますよね。そのような場合に「骨が折れる」を使うことができます。
なぜ「骨」なのか、気になった方も多いのではないでしょうか。「骨」は、人の骨を差す以外にも、物事を処理する要領や、屈しない気力に対しても使います。そのため、苦労すること、もしくは精を出して働くことを「骨折り」と言いますよね。実際に体の「骨」が折れたら、治るまでは時間がかかるもの。「骨が折れる」は、それだけ簡単には解決できない、大変なことと向き合っている様子を表現した慣用句といえるでしょう。
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