
イタリア戦闘者ファッシを設立したムッソリーニ
不明 – Illustrazione Italiana, 1922, n. 45, パブリック・ドメイン, リンクによる
第一次世界大戦が始まるとムッソリーニが所属していたイタリア社会党は反戦派と参戦派に分裂。ムッソリーニは非主流の参戦派となり除名されます。そこで自衛組織を発展させて自らイタリア戦闘者ファッシをつくりました。
第一次世界大戦の復員兵を組織化
イタリアの中流階級である小地主達は、第一次世界大戦で下士官や将校として戦っていました。そのような退役軍人たちは、自衛組織をつくって武力衝突を繰り返すようになります。
彼らの共通のユニフォームは黒シャツ。それはのちに黒シャツ隊とも呼ばれるようになりました。彼らのリーダーとなったムッソリーニがつくったのがイタリア戦闘者ファッシです。
ファッシの国政入りを目指すように
さらにムッソリーニはファッシの勢力を拡大させて国政入りを目指すようになります。1919年の総選挙における当選者はゼロ。創設メンバーの9割近くが離党します。
そのようなとき詩人のダンヌンツィオが自治区であるフィウメに進軍。自治政府にクーデターをしかけます。このフィウメ進軍がムッソリーニのファシスト活動に影響を与えました。
ダンヌンツィオに影響されてローマ進軍を計画
ムッソリーニはイタリア戦闘者ファッシを解散させ、国家ファシスト党に発展させていきます。各地の自衛団も組織化。それは黒シャツ隊と呼ばれるようになりました。
次にムッソリーニが思い立ったのが黒シャツ隊を動員させたローマ進軍です。これはダンヌンツィオのフィウメ進軍に感化されたものでした。
ファシスト党単独の内閣を実現
ローマ進軍の表明は水面下でさまざまな交渉が行われるきっかけになりました。ムッソリーニは複数の支援や擁護の約束を取り付けて足場を固めていきます。
さまざまな攻防の末、最終的にイタリア国王はムッソリーニ側にまわり、組閣を命じるに至りました。政権を獲得したムッソリーニは、法律を変えて独裁体制を確立するに至ります。
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