第二次世界大戦後に出島の復元がはじまる
しかしながら第二次世界大戦が終わったあと、オランダの提案で出島を復元するプロジェクトが進みだします。出島のなかの民有地を買い取り公有化していきました。そして公有化が完了したら、出島に関連する史跡を整備していきます。
出島を復元する際は19世紀初頭の出島が基準。陸続きになっていた出島の境界線を調査して、その範囲を調べました。本格的な出島の整備が始まったのは平成8年。当時の建物などが復元されました。
観光地としての「出島」のおすすめスポット
現在、出島は長崎県の観光地のひとつ。扇形に復元された出島の姿を見ることができます。オランダ貿易に関わる建物も存在。当時の生活が部分的に再現されるなど、歴史が学べるスポットとなっています。
江戸時代にタイムスリップする出島表門橋
鎖国時代に出島の出入り口として通行許可書が発行されていたのが出島表門橋です。この橋は明治時代に壊されて消滅。しかしながら復元プロジェクトを通じて再び作られました。
江戸時代、橋を渡ると表門があり、探番(さぐりばん)が出入りする人をチェック。この橋を渡って出島の中に入ると、当時のオランダ人の気持ちを共有できそうですね。
オランダ商館長が住んでいた「カピタン部屋」
江戸時代、オランダ商館長はカピタンと呼ばれていました。もともとカピタンは仲間の長を意味するポルトガル語。オランダ商館長が住んでいた家がカピタン部屋は、かわいらしさがあるカラフルでレトロモダンな雰囲気が特徴的です。
畳のうえにじゅうたんが敷かれ、天井にはシャンデリア。遠い異国の地でなんとか西洋風の空間をこしらえていました。カピタン部屋は、パーティーを開いたり要人を接待したりと、大使館的な役割も担っていたようです。
旧長崎内外クラブは文明開化の出島版
明治時代に関連する建物が明治36年につくられた旧長崎内外クラブ。外国人と日本人の交流の場という文明開化を象徴する建物でした。鹿鳴館の出島バージョンと言ってもいいでしょう。
建物は現在、レストランとして使用。長崎のご当地グルメであるトルコライスのほか、長崎ちゃんぽんやミルクセーキをいただけます。旧長崎内外クラブの2階は展示室。歴史を学べるスペースになっています。
出島は江戸時代の異文化交流のすべてが詰まった場所
日本には歴史を感じさせるさまざまなスポットが残っています。そのなかでも出島は世界でも珍しい歴史的背景に持った場所。人工の島をつくって、そのなかに外国人を住まわせたことで、不思議な空間が生まれました。そのような不思議な場所だからこそ、オランダは出島の復元を提案したのでしょう。出島の歴史は、ポルトガル人の駐在だけではありません。幕末に幕府軍の養成に使われ、明治時代に陸続きになり、戦後に復元が始まる、これらすべてが出島の歴史です。現在の長崎に行くと、そんな稀有な歴史を持った出島を楽しめますよ。






