
3-1 ユトレヒト条約
1713年、フランスとスペインはイギリス、オランダ、プロイセンなどの各国と講和条約を結びました。ちなみにこの条約名となったユトレヒトとは、オランダの都市の名。条約では、フランスとスペインの合同は禁止という条件でフェリペ5世の即位を承認されることに。しかしフランスは大きな代償を払うことになりました。イギリスはフランスからアカディア、ハドソン湾地方、ニューフアンドランドを獲得。更にスペインからはジブラルタル、ミノルカ島を得ました。オランダはスペイン領だったネーデルラントのいくつかの都市を獲得し、プロイセン公国は王国へ昇格することに。
更にイギリスはこの条約での付帯事項(1714年に締結)で、スペイン領のアメリカ植民地での黒人奴隷の供給権を得ました。これはアシエントと呼ばれており、これによってイギリスは以後毎年1000人もの黒人奴隷をアメリカへと送ることができるように。こうしてイギリスは帝国が繁栄していくステップを踏むことになりました。
3-2 ラシュタット条約
さてユトレヒト条約よりも1年後に結ばれることになったラシュタット条約。こちらはフランス、スペインとオーストリア・ハプスブルク家が締結することに。内容は、スペインからイタリア諸地域をハプスブルク家へ割譲するというもの。この戦争の勝者はオーストリア・ハプスブルク家側であったため、これまでスペイン・ハプスブルク家領だった南ネーデルラント、ミラノ、ナポリなどの領土を手にすることに。同じ王家が領有していた領土を手にしたハプスブルク家でしたが、念願だったスペインの王位は手にすることができず、その後のスペインではブルボンが王朝を開くことになりました。
スペイン・ハプスブルク家の断絶によって起こったスペイン継承戦争
スペインではカルロス2世の死によって、継承戦争が勃発しました。特に有力候補だったオーストリア・ハプスブルク家とフランスは水面下で争うことに。その結果フランス王ルイ14世の孫、フィリップがフェリペ5世としてスペイン王となりました。ところがフェリペがフランスの王位継承権を放棄していなかったため、反発した各国が宣戦布告し戦争へ。
こうして長い戦争によって次第に劣勢となったフランスとスペイン。ところがオーストリア・ハプスブルクのヨーゼフ1世が死去したことから、弟のカールが6世として即位します。その結果、カールがスペイン王となれば均衡勢力が崩れる恐れがあるとして、各国はフェリペを承認する方向へ向かうことに。
こうして1713年にユトレヒト条約が、翌年にはラシュタット条約が結ばれました。結果的にみれば、実質的に戦争によって得をしたのはイギリス。フランスはフェリペをスペイン王として認めてもらうために多くの海外領土を手放すことになりました。更にオーストリア・ハプスブルク家は領土が増えたことで大国となり、多民族国家を束ねる苦労に見舞われることに。