世界史

スペイン継承戦争後に締結された「ユトレヒト条約」を歴女が5分で解説!

よぉ、桜木建二だ。今回はユトレヒト条約についてだ。この条約は1701年に起こったスペイン継承戦争が終戦した際に結ばれた条約だ。

ここではこの条約の内容についてやそもそもなぜスペイン継承戦争が起こったのかなどについて歴女のまぁこと一緒に解説していくからな。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/まぁこ

ヨーロッパ史が好きなアラサー歴女。中でも700年間もヨーロッパに君臨したハプスブルク家について関心が高い。今回はスペイン・ハプスブルク家の断絶が原因で起こったスペイン継承戦争とユトレヒト条約について解説していく。

1 スペインの王位を巡る問題

image by iStockphoto

ユトレヒト条約のきっかけとなったのは1701年に起こったスペイン継承戦争でした。この戦争は200年にもわたりスペインに君臨したスペイン・ハプスブルク家が後継者を残さず断絶したことが原因で起こることに。まずは原因となったスペイン・ハプスブルク家について詳しく見ていきましょう。

1-1 スペイン・ハプスブルク家

スペイン・ハプスブルク家はフェリペ1世から始まった王朝です。2代目スペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝としてはカール5世)はドイツ、オーストリア、スペイン、南イタリアなど多くの広大な領土を支配することに。ちなみにフランス王だったフランソワ1世と神聖ローマ皇帝の座を争い、お金で買収して皇帝の座を得た人物でもありました。

もともとは1つのハプスブルク家でしたが、カルロスはオーストリアを弟のフェルディナントへ、スペインを息子のフェリペに譲ったことで王家が2つに分かれることに。ちなみに前者をオーストリア・ハプスブルク家と呼び、後者をスペイン・ハプスブルク家と言います。スペインを継承したフェリペ2世ですが、イングランドとのアルマダの海戦の敗北から次第に没落していくことに。フェリペ2世の孫、フェリペ4世の時代では王女の持参金が払えなくなるほど財政難に陥ることになりました。

1-2 後継者問題に直面したフェリペ4世

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ディエゴ・ベラスケス – The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., パブリック・ドメイン, リンクによる

さてカルロス1世から4代目に当たるフェリペ4世の時代では、後継者問題が浮上することに。フェリペはブルボン家アンリ4世の娘イザベルを娶っていました。彼女との間には後に太陽王と呼ばれたルイ14世の妃となったマリア・テレサ皇太子バルタザールが誕生。しかし妃は産褥で命を落とすことに。バルタザールも17歳という若さで亡くなったため、後継者問題に直面したフェリペ。するとなんと彼はバルタザールの婚約者であり自身の姪のマリアナと結婚することに。

こうして生まれたのは、マルガリータ王女カルロスでした。マルガリータと言えば、スペインの巨匠ベラスケス「ラス・メニーナス」「青いドレスの王女」の主役となった人物ですよね。ちなみにカルロスが生まれる前までは、マリア・テレサはルイとの結婚が決まっていたため、後継者はマルガリータだと考えられていました。(ラス・メニーナスは王女が次期後継者だというプロパガンダという見方も。)しかしフェリペが56歳の時にカルロスが誕生したことで彼女はオーストリアへ嫁ぐことが決まることに。

1-3 39年生きた王

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フアン・カレーニョ・デ・ミランダ – Schloss Rohrau, Graf Harrach’sche Familiensammlung, パブリック・ドメイン, リンクによる

こうしてスペインの後継者となったカルロス。ちなみに彼の名は偉大な初代王の名から取ったそう。しかし奇跡の子と呼ばれたこの王子はやがて呪われた子と呼ばれるようになりました。カルロスはこれまでの歴代の王たちが血族婚を繰り返したため、その影響をかなり受けてしまうことに。カルロスはハプスブルク家の遺伝である先端肥大症の他にも知的障害、精神障害も患うことに。フェリペはそんな息子を恥じて人目にカルロスを出さないといけない場面ではヴェールを被せたというエピソードも。

このためすぐに亡くなると思われていたカルロスでしたが、万が一のことを考え、妃を娶ることに。1人目の妃はルイ14世の弟の娘でした。しかし彼女はストレス等から亡くなることに。次にドイツのプファルツ選帝侯の娘が嫁いできましたが、その頃にはカルロスの症状はより重症化していくことに。なんと前妃の墓を暴いたのです。結局世継ぎを残すことなく彼は39歳で息を引き取りました。

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父フェリペ4世が亡くなったため、4歳で即位したカルロス2世。だが彼は精神も身体も疾患を抱えており、彼の周りには常に医師、祈祷師、占星術師など多くの人に囲まれていたそうだ。その甲斐があったのか、彼は生まれた時から死に瀕していたと言われた割には39年もの人生を生きたんだ。

1-4 スペインの次の王を決めることに

スペイン・ハプスブルク家の様子をうかがっていたオーストリア・ハプスブルク家。しかしそれはスペイン・ハプルブルク家と婚姻関係があったフランスのブルボン家も同様でした。ルイ14世はピレネー条約によってスペイン王女マリア・テレサと結婚しました。しかしこの時契約した持参金を父フェリペ4世が彼女に持たせることができず嫁がせることに。そのためスペインが断絶した時にルイは堂々と継承に関して口を挟み、持参金を貰っていないため次の後継者はブルボン家が継ぐべきだと主張しました。こうしてフランスとオーストリア・ハプスブルク家は水面下で互いにスペインを狙って争うことに。

2 スペイン継承戦争勃発

スペイン・ハプスブルク家のカルロス2世の死によって起こったスペインを巡る後継者問題。彼が亡くなる前から、子のいない彼の後を誰が継ぐのか水面下では争いが起こることに。ここではブルボン家とオーストリア・ハプスブルク家の対立の行方や戦争の経緯について見ていきましょう。

2-1 ルイ14世の孫が継承することに

1700年に亡くなったカルロス2世の後継者を巡って、オーストリア・ハプスブルク家とフランスが水面下で対立することに。しかしカルロスは遺言状においてルイ14世の孫であるアンジュー公フリップを指名します。カルロスは継承条件として、フィリップのフランスの王位継承権を放棄することが条件となることに。これによってアンジュー公はフェリペ5世としてスペイン王となりました。ところが、フェリペはフランスの王位継承権を放棄していなかったため、将来フランスとスペインが合同する可能性が出ることに。これに対して、オーストリア・ハプスブルク家やイギリス、オランダ、そして大同盟を結んだ諸身分らが反発し継承戦争へと突入することに。

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