ノーベル賞受賞者「江崎玲於奈」の功績って何?科学館職員がわかりやすく解説!
江崎玲於奈の名は有名ですが、その研究内容をきちんと説明できるでしょうか?江崎博士のノーベル物理学賞の受賞理由は「半導体内および超伝導体内の各々におけるトンネル効果の実験的発見」です。理由を見てもよくわからない人が大半でしょう。
そこで今回は江崎博士の研究者としての道のり、そして研究内容についてを科学館職員のたかはしふみかが解説します。
ライター/たかはし ふみか
不思議な現象を解き明かす科学が好きで理系に進んだリケジョ。高校、大学と化学漬けの日々を送っていた科学館職員。
江崎博士の学生時代
江崎玲於奈(えさきれおな)博士は1925年(大正14年)3月12日に大阪で生まれました。国外ではレオ・エサキ(Leo Esaki)と呼ばれています。玲於奈という名前は江崎博士のお父さんがつけ、ラテン語の獅子(レオ)が由来だそうです。世界に通用する男になってほしいという願いの通り、世界に知られる名前となりました。
江崎博士の子供の頃の夢はエジソンのような発明家だったそうです。中学受験に失敗するものの、その悔しさをばねに飛び級で高校に入学、そして東京大学理学部物理学科に進学します。大学時代の同級生に作家森鴎外の孫で光学(こうがく)の第一人者で東芝総合研究所主席技官となった森礼於がいたそうです。江崎博士は東大では高エネルギー物理学(粒子を衝突させ、素粒子などについて研究する)を学ぼうとするもその頃は第二次世界大戦で思うように研究できず、指導教官の勧めで就職します。
江崎博士の研究
江崎博士は真空管を作る会社に入社し、でそこでより長持ちする真空管の研究を始めました。そして1956年、江崎博士はアメリカの研究者が「半導体の研究およびトランジスタ効果の発見」によってノーベル物理学賞を受賞したことからトランジスタ(半導体の一種)にも興味を持つようになります。そして後にソニー株式会社となる(1958年改称)東京通信工業に移り、トランジスタの研究により力を入れるようになりました。
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2年後、江崎博士は不思議な現象を発見します。普通、電圧を上げると流れる電流も増えますね(オームの法則)。しかし、電圧を徐々に増やしていったところ、逆に電流が減少する現象が起こったのです。これは負性抵抗という現象で、トンネル効果によります。負性抵抗、トンネル効果ついては後程解説しますね。
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渡米、ノーベル賞受賞、そして後進の育成
日本では認められなかったもののアメリカで評価され、江崎博士は1960年に35歳で渡米しIBMトーマス・J・ワトソン研究所に移って研究を続けました。そして1973年48歳でノーベル物理学賞を受賞します。
1992年、67歳で人生の半分近くを過ごした米国から日本に帰国し、筑波大学の学長に就任しました。江崎博士は他に芝浦工業大学、横浜薬科大学の学長に就任されています。そして2000年には教育改革国民会議の座長に就任、さらに2003年にナノサイエンスの部門での功績をたたえた江崎玲於奈賞が創立されました。ナノサイエンスとは10‐9mという小さなスケールを扱う技術のことです。また若手の科学者を対象とした日本学術振興会賞の審査員もされています。
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