「宝塚歌劇団」とは兵庫県の宝塚市にある歌劇団。阪急電鉄の一部門です。劇団は、花組、月組、雪組、星組、宙組の5組から構成されている。男役と娘役のデュエットにうっとりした経験がある女性も多いでしょう。数あるラインナップのうちでも、池田理代子のマンガが原作の「ベルサイユのばら」は不動の人気。入団を希望する若い女性が殺到した。

それじゃ、第二次世界大戦の期間は苦難の道のりだった「宝塚歌劇団」の歴史のほか、浪漫あふれるクリエイティブなステージやタカラジェンヌなどの情報を、現代社会に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。「宝塚歌劇団」と言えば、ハリウッドを彷彿とさせる和製ミュージカルとして独自の文化を作ってきた。演目のラストで繰り広げられる幻想的なフィナーレは感動もの。そんな「宝塚歌劇団」の不滅の世界観を関連する写真等と共にまとめてみた。

宝塚歌劇団とは?

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宝塚歌劇団といえば、華やかに演出された舞台上で歌い踊る姿が印象的です。退団の後に女優として活躍する人も多いこと特徴。日本を代表する本格的な女優さんが、実は宝塚歌劇団の出身だったということも少なくありません。

兵庫県宝塚市を中心に展開

宝塚歌劇団は、兵庫県にある宝塚市に拠点がある歌劇団。宝塚市のほか東京都千代田区有楽町にも劇場がつくられました。この2つの劇場で定期的に公演が開催されています。

付属の宝塚音楽学校にて劇団員の育成が行われ、選ばれたエリートだけが舞台で活躍できるシステムを採用しました。そのため生徒たちは、舞台で活躍することを夢みて、寄宿舎生活をしながら厳しいトレーニングを積んでいます。

宝塚音楽学校の卒業生限定の出演

宝塚音楽学校では、ダンスや歌などあらゆることを学びます。バレエ、タップダンス、モダンダンス、日舞など、踊りの基礎は必須。さらに、声楽やピアノもレッスンに含まれています。

宝塚音楽学校の教えは「朗らかに、清く、正しく、美しく」。宿舎では礼儀やマナーを厳しく教育され、独自の上下関係が維持されています。そのため厳しい生活に耐えきれず脱落する人も少なくありません。

宝塚音楽学校の「朗らかに、清く、正しく、美しく」という教えは昔の日本の女性観。宝塚歌劇団は大正時代に設立されたことから、かなり古風な教えが残っています。宝塚歌劇団は、寄宿舎生活を送りながらさまざまな作法を学ぶため、花嫁学校として評価される一面もありました。そのためスターになれなくても、卒業生は条件の良い嫁ぎ先が見つかるとされ、親が積極的に学校に入れるケースも多かったようです。今は、そのような考え方はありません。

宝塚歌劇団は男性の入団は禁止

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宝塚歌劇団は、かつて女の園と呼ばれていました。宝塚音楽学校を含めて、入学そして入団できるのは女性のみ。また、未婚であることも必須条件です。そのため宝塚歌劇団に入った女性は、結婚することになったら退団しました。

5つの「組」から構成

宝塚歌劇団は、花組、月組、雪組、星組、宙組のつの5組から構成。それぞれの「組」には組長と副組長がおり、組子の指導にあたっています。

公演は組ごとに行われ、それぞれにトップスターが在籍。宝塚のファンは、お気に入りの組を応援し、公演に足を運びます。組の人気はどんなトップスターが在籍しているかにより変わりました。

男役と娘役により演じられる

宝塚歌劇団は女性のみの劇団ですが、上演される演目には男性の登場人物も存在します。そこで、女性が男装して演じることが一般的になりました。

そこで宝塚歌劇団に入ると、団員は男役と娘役に分かれます。背の高い女性は男役になることが多数。話し方や振る舞いなど、男性風に演じました。とりわけ男役に人気が集まり始め、宝塚ブームの火付け役となります。

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宝塚歌劇団の歴史は大正時代にスタート

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投稿者がスキャン - 「夢を描いて華やかに 宝塚歌劇80年史」, パブリック・ドメイン, リンクによる

宝塚歌劇団の創始者は小林一三。阪急電鉄の前身である鉄道会社の創始者でもありました。宝塚歌劇団のはじまりと言える団体が生まれたのは第一次世界大戦が始まる直前の1913年。大正2年のことでした。

温泉劇場の余興のために組織

明治時代の文明開花政策の影響もあり、大正時代になると日本の小売業の西洋化が進展。とくにデパートは、西洋風の新しい文化の発信基地として、活気に満ち溢れていました。

デパートの屋上で催されていた少年・少女音楽隊の演奏をヒントに、小林一三は宝塚唱歌隊を結成します。温泉劇場の余興として少女たちが歌を披露しました。そこから宝塚少女歌劇養成会に発展。当時は「桃太郎」の公演などが行われました。

1924年に宝塚大劇場が完成

温泉の入場者は観覧が無料だったこともあり公演は大盛況。そこで宝塚少女歌劇団として生まれ変わり、養成所のシステムもできあがりました。

人気に火が付きつつあるなか、公演で使用していた大劇場が消失。そこで専用の劇場として大正13年に宝塚大劇場を作りました。それは今でも宝塚歌劇団の拠点となっています。

宝塚歌劇団の目玉は光線が彩るレビュー

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投稿者がスキャン - 「夢を描いて華やかに 宝塚歌劇80年史」, パブリック・ドメイン, リンクによる

宝塚歌劇団といえば公演のクライマックスとなるレビューを思い浮かべる人も多いでしょう。大階段を使った迫力満点のステージは、観客を非日常的な世界に連れて行ってくれます。

ラインダンスと大階段が登場

宝塚歌劇団のステージにラインダンスと大階段が登場したのは昭和2年。宝塚歌劇団の演出家であった岸田辰彌がヨーロッパ周遊から戻って、日本で初めてのレビューを実現しました。

レビューのタイトルは世界旅行をテーマとする「モン・パリー我が巴里よ!ー」でした。ちょうど日本は昭和モダンの時代。西洋の最新の文化に対する高い関心から大成功をおさめました。

男役の人気に火がつき始める

レビューのクライマックスでは、背が高く凛々しい男役が大階段を颯爽と降りてきます。このような演出の効果もあり、レビューの人気が高まるとともに男役に注目が集まるようになりました。

昭和7年に角田芦子と佐保美代子が断髪。それ以降、男役は断髪することが定着しました。男装の女性団員に熱い視線を送るファンが増加。宝塚歌劇団の男役を中心とするスターシステムができあがっていきました。

宝塚歌劇団の男役は、日本独自の「男らしさ」を生み出しました。男役は、実際の男性の話し方や振る舞いを模倣するわけではありません。男役が作り出す「男らしさ」は女性の願望のようなもの。少女漫画に登場する王子様のような存在です。日本の伝統文化である歌舞伎には、男性が演じる女形がいます。女形の動作も「女らしさ」のステレオタイプ。現実と虚構のあいだのギャップを分析することも舞台芸術の楽しみ方のひとつです。

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第二次世界大戦期は改変に迫られた宝塚歌劇団

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第二次世界大戦が始まると宝塚歌劇団の公演内容にも変化があらわれます。「太平洋行進曲」「揚子江」「満州より北支へ」など、アジア植民地政策を思わせるテーマが増えてきました。

西洋風のタイトルは不許可

西洋の演劇の影響を強く受けていた宝塚歌劇団は、公演内容を日本風に改変することを余儀なくされます。昭和15年に大日本国防婦人会宝塚少女歌劇団分会を設立。すべての生徒はこれに加入することになりました。

軍隊への慰問活動も開始します。外来語のタイトルも消滅。軍国主義の影響が色濃く反映されていきます。日本が中国東北部を占拠してつくった満州国で公演を行いました。

宝塚歌劇場は海軍に接収

宝塚歌劇団の公演の拠点であった宝塚大劇場は、日本海軍に接収されて宝塚海軍航空隊の宿舎に。「翼の決戦」を最後に公演活動は中止されました。

「翼の決戦」の最終公演では、最後のステージを見るためにたくさんのファンが集まります。その後の団員は、慰問活動をしながら工場などで労働奉仕を行いました。

スターシステムの確立で人気を回復

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663highland - 投稿者自身による作品, CC 表示 2.5, リンクによる

第二次世界大戦が終わったことで、宝塚歌劇団は本来の華やかなレビューを取り戻します。戦時中に入団した団員は「カルメン」のなかで初めてラインダンスを披露しました。

フランス王家の悲劇「ベルサイユのばら」は社会現象に

第二次世界大戦の後の日本は経済的にも発展。一般家庭にテレビが普及します。テレビに取って代わられ、宝塚歌劇団の公演に足を運ぶファンが減っていきました。

そのような状況を打破するきっかけとなったのが漫画を原作とする「ベルサイユのばら」。フランス革命を背景とする悲恋は、特に若い女性を熱狂させ、ベルばらブームを加速させました。

絶大な人気を誇るトップスター

1980年代になると男役を中心とするスターシステムが確立。男役を主役とすることを前提に、演出されるようになりました。さまざまな厳しい条件をクリアした男役は、特別な存在として女性たちにあがめられました。

施設のファンクラブも急増。ファンは公演に足を運ぶだけではなく、お気に入りの団員をサポートする習慣が生まれます。タカラジェンヌとファンの独特な関係性が、この頃からできてきました。

宝塚歌劇団のスターシステムはファン参加型。ファンは自分の「推し」がトップスターになれるように、公演に足を運ぶのみならず、チケットを自ら売ることもありました。ファンを巻き込む形でスターを作りあげていく方法は日本独自。このようなスター育成方法は、アイドル業界で継承されていきます。とくに1980年代以降、「スター誕生」や「ASAYAN」のようなオーディション番組、AKBの総選挙などを通じてアイドルが知名度を高めていきました。

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宝塚歌劇団のトップスター

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宝塚歌劇団はトップスターの活躍とともにあると言っていいでしょう。トップスターになる経緯はそれぞれ異なります。ファンはそんな経緯を共有することも楽しみのひとつになりました。

最速就任したトップスター

宝塚歌劇団史上、最速のスピードで就任した男役トップスターは、現在もテレビや映画で活躍している天海祐希。かなりの数の上級生を追い越してトップスターとなりました。

娘役で驚異のスピードでトップスターとなったのが黒木瞳。入団からたったの1年で娘役トップスターになりました。歌やダンスに加えて、男役の魅力を引き立たせる雰囲気も昇進の評価となったようです。

男役から女役に転向する例も

男役から女役に転向し、娘役トップスターになった例もあります。例えば、遥くららや紫城るいなど。同期に不動の男役トップスターがいた、娘役トップスターが退団したなど、人事上の理由も少なくありません。

それに対して、娘役から男役に転向する例は基本的にはないようです。男役は身長や風貌など独自の基準が存在。転向基準をクリアできるケースは滅多にないからです。

宝塚歌劇団は女性の心を捉える舞台芸術

宝塚歌劇団は、日本が西洋の文化に興味を持ち、積極的に取り入れていくなかで、独自に進化していきました。男装した女性に一種の恋心を抱かせ、ファンを増やしていく方法は、日本の少女漫画文化と上手くマッチ。宝塚歌劇団は、女性団員のみという特徴を活かして、世界に類を見ないスターシステムを確立しました。宝塚歌劇団は、現代の女性の心を映す鏡であるとも言えそうですね。

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現代社会

女性の心を捉える「宝塚歌劇団」その輝かしい歴史を元大学教員がわかりやすく解説

「宝塚歌劇団」とは兵庫県の宝塚市にある歌劇団。阪急電鉄の一部門です。劇団は、花組、月組、雪組、星組、宙組の5組から構成されている。男役と娘役のデュエットにうっとりした経験がある女性も多いでしょう。数あるラインナップのうちでも、池田理代子のマンガが原作の「ベルサイユのばら」は不動の人気。入団を希望する若い女性が殺到した。

それじゃ、第二次世界大戦の期間は苦難の道のりだった「宝塚歌劇団」の歴史のほか、浪漫あふれるクリエイティブなステージやタカラジェンヌなどの情報を、現代社会に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。「宝塚歌劇団」と言えば、ハリウッドを彷彿とさせる和製ミュージカルとして独自の文化を作ってきた。演目のラストで繰り広げられる幻想的なフィナーレは感動もの。そんな「宝塚歌劇団」の不滅の世界観を関連する写真等と共にまとめてみた。

宝塚歌劇団とは?

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宝塚歌劇団といえば、華やかに演出された舞台上で歌い踊る姿が印象的です。退団の後に女優として活躍する人も多いこと特徴。日本を代表する本格的な女優さんが、実は宝塚歌劇団の出身だったということも少なくありません。

兵庫県宝塚市を中心に展開

宝塚歌劇団は、兵庫県にある宝塚市に拠点がある歌劇団。宝塚市のほか東京都千代田区有楽町にも劇場がつくられました。この2つの劇場で定期的に公演が開催されています。

付属の宝塚音楽学校にて劇団員の育成が行われ、選ばれたエリートだけが舞台で活躍できるシステムを採用しました。そのため生徒たちは、舞台で活躍することを夢みて、寄宿舎生活をしながら厳しいトレーニングを積んでいます。

宝塚音楽学校の卒業生限定の出演

宝塚音楽学校では、ダンスや歌などあらゆることを学びます。バレエ、タップダンス、モダンダンス、日舞など、踊りの基礎は必須。さらに、声楽やピアノもレッスンに含まれています。

宝塚音楽学校の教えは「朗らかに、清く、正しく、美しく」。宿舎では礼儀やマナーを厳しく教育され、独自の上下関係が維持されています。そのため厳しい生活に耐えきれず脱落する人も少なくありません。

宝塚音楽学校の「朗らかに、清く、正しく、美しく」という教えは昔の日本の女性観。宝塚歌劇団は大正時代に設立されたことから、かなり古風な教えが残っています。宝塚歌劇団は、寄宿舎生活を送りながらさまざまな作法を学ぶため、花嫁学校として評価される一面もありました。そのためスターになれなくても、卒業生は条件の良い嫁ぎ先が見つかるとされ、親が積極的に学校に入れるケースも多かったようです。今は、そのような考え方はありません。

宝塚歌劇団は男性の入団は禁止

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宝塚歌劇団は、かつて女の園と呼ばれていました。宝塚音楽学校を含めて、入学そして入団できるのは女性のみ。また、未婚であることも必須条件です。そのため宝塚歌劇団に入った女性は、結婚することになったら退団しました。

5つの「組」から構成

宝塚歌劇団は、花組、月組、雪組、星組、宙組のつの5組から構成。それぞれの「組」には組長と副組長がおり、組子の指導にあたっています。

公演は組ごとに行われ、それぞれにトップスターが在籍。宝塚のファンは、お気に入りの組を応援し、公演に足を運びます。組の人気はどんなトップスターが在籍しているかにより変わりました。

男役と娘役により演じられる

宝塚歌劇団は女性のみの劇団ですが、上演される演目には男性の登場人物も存在します。そこで、女性が男装して演じることが一般的になりました。

そこで宝塚歌劇団に入ると、団員は男役と娘役に分かれます。背の高い女性は男役になることが多数。話し方や振る舞いなど、男性風に演じました。とりわけ男役に人気が集まり始め、宝塚ブームの火付け役となります。

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