女性の心を捉える「宝塚歌劇団」その輝かしい歴史を元大学教員がわかりやすく解説
それじゃ、第二次世界大戦の期間は苦難の道のりだった「宝塚歌劇団」の歴史のほか、浪漫あふれるクリエイティブなステージやタカラジェンヌなどの情報を、現代社会に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- 宝塚歌劇団とは?
- 兵庫県宝塚市を中心に展開
- 宝塚音楽学校の卒業生限定の出演
- 宝塚歌劇団は男性の入団は禁止
- 5つの「組」から構成
- 男役と娘役により演じられる
- 宝塚歌劇団の歴史は大正時代にスタート
- 温泉劇場の余興のために組織
- 1924年に宝塚大劇場が完成
- 宝塚歌劇団の目玉は光線が彩るレビュー
- ラインダンスと大階段が登場
- 男役の人気に火がつき始める
- 第二次世界大戦期は改変に迫られた宝塚歌劇団
- 西洋風のタイトルは不許可
- 宝塚歌劇場は海軍に接収
- スターシステムの確立で人気を回復
- フランス王家の悲劇「ベルサイユのばら」は社会現象に
- 絶大な人気を誇るトップスター
- 宝塚歌劇団のトップスター
- 最速就任したトップスター
- 男役から女役に転向する例も
- 宝塚歌劇団は女性の心を捉える舞台芸術
この記事の目次
ライター/ひこすけ
文化の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。「宝塚歌劇団」と言えば、ハリウッドを彷彿とさせる和製ミュージカルとして独自の文化を作ってきた。演目のラストで繰り広げられる幻想的なフィナーレは感動もの。そんな「宝塚歌劇団」の不滅の世界観を関連する写真等と共にまとめてみた。
宝塚歌劇団とは?
宝塚歌劇団といえば、華やかに演出された舞台上で歌い踊る姿が印象的です。退団の後に女優として活躍する人も多いこと特徴。日本を代表する本格的な女優さんが、実は宝塚歌劇団の出身だったということも少なくありません。
兵庫県宝塚市を中心に展開
宝塚歌劇団は、兵庫県にある宝塚市に拠点がある歌劇団。宝塚市のほか東京都千代田区有楽町にも劇場がつくられました。この2つの劇場で定期的に公演が開催されています。
付属の宝塚音楽学校にて劇団員の育成が行われ、選ばれたエリートだけが舞台で活躍できるシステムを採用しました。そのため生徒たちは、舞台で活躍することを夢みて、寄宿舎生活をしながら厳しいトレーニングを積んでいます。
宝塚音楽学校の卒業生限定の出演
宝塚音楽学校では、ダンスや歌などあらゆることを学びます。バレエ、タップダンス、モダンダンス、日舞など、踊りの基礎は必須。さらに、声楽やピアノもレッスンに含まれています。
宝塚音楽学校の教えは「朗らかに、清く、正しく、美しく」。宿舎では礼儀やマナーを厳しく教育され、独自の上下関係が維持されています。そのため厳しい生活に耐えきれず脱落する人も少なくありません。
宝塚音楽学校の「朗らかに、清く、正しく、美しく」という教えは昔の日本の女性観。宝塚歌劇団は大正時代に設立されたことから、かなり古風な教えが残っています。宝塚歌劇団は、寄宿舎生活を送りながらさまざまな作法を学ぶため、花嫁学校として評価される一面もありました。そのためスターになれなくても、卒業生は条件の良い嫁ぎ先が見つかるとされ、親が積極的に学校に入れるケースも多かったようです。今は、そのような考え方はありません。
宝塚歌劇団は男性の入団は禁止
宝塚歌劇団は、かつて女の園と呼ばれていました。宝塚音楽学校を含めて、入学そして入団できるのは女性のみ。また、未婚であることも必須条件です。そのため宝塚歌劇団に入った女性は、結婚することになったら退団しました。
5つの「組」から構成
宝塚歌劇団は、花組、月組、雪組、星組、宙組のつの5組から構成。それぞれの「組」には組長と副組長がおり、組子の指導にあたっています。
公演は組ごとに行われ、それぞれにトップスターが在籍。宝塚のファンは、お気に入りの組を応援し、公演に足を運びます。組の人気はどんなトップスターが在籍しているかにより変わりました。
男役と娘役により演じられる
宝塚歌劇団は女性のみの劇団ですが、上演される演目には男性の登場人物も存在します。そこで、女性が男装して演じることが一般的になりました。
そこで宝塚歌劇団に入ると、団員は男役と娘役に分かれます。背の高い女性は男役になることが多数。話し方や振る舞いなど、男性風に演じました。とりわけ男役に人気が集まり始め、宝塚ブームの火付け役となります。
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