今回は科学者シュワンについて学んでいきたいと思う。

高校生であれば、彼の名前を聞くのは生物基礎の前半、細胞について学ぶときでしょう。シュワンは細胞説の提唱者として紹介されるが、それ以外にもたくさんの研究成果を残した人物なんです。

大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに解説してもらおう。

ライター/小野塚ユウ

生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。

シュワンとは

テオドール・シュワン(Theodor Schwann)は19世紀に活躍した生物学者です。マティアス・ヤーコプ・シュライデンとともに、細胞説を提唱した最初期の人物として知られています。

生涯

シュワンは1810年、当時フランス帝国だったノイスという街に生まれました。

成長するにつれて生物学に興味を持つようになったシュワンは、ベルリン・フンボルト大学(以下ベルリン大学)やボン大学、ヴュルツブルク大学などを転々しながら自然科学と医学を学びます。

ベルリン大学では生理学者のヨハネス・ペーター・ミュラーに師事しました。ミュラーはプランクトンの研究を発展させたほか、医学にも少なくない功績を残した人物です。

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1834年、23歳の時にベルリン大学へ戻ると、シュワンは前述のミュラーの助手となり、本格的な研究生活をはじめます。動物の神経や筋肉といった組織を調べたり、呼吸や消化、発酵などの生体反応を研究したりと、幅広い分野にチャレンジしました。

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1837年、シュワンは同じ大学の植物学者マティアス・ヤーコプ・シュライデンと知りあいます。

この出会いがきっかけとなり、1839年に『動物及び植物の構造と成長の一致に関する顕微鏡的研究』という論文を発表。「植物だけではなく、動物も細胞からできている」という細胞説を主張しました

その後、1848年にはベルギーのリエージュ大学に籍を移し、生理学や発生学を教えます。30年以上にわたって教鞭をふるい、1879年に引退。その3年後の1882年にケルンで亡くなりました。

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シュワンの功績

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それでは、シュワンが残した代表的な功績を見てみましょう。

ペプシンを発見

1835年、シュワンは動物の消化機構を研究し、ペプシンを発見しました。ペプシンは胃液中に存在する消化酵素の一種で、タンパク質の分解に重要な役割を果たします。このペプシンの存在を確認し、名前を付けたのがシュワンなのです。

シュワンが消化を研究していた当時、消化に寄与する物質として知られていたのは胃液中の塩酸くらいでした。その塩酸に続いて消化を助ける物質が見つかったことになりますが、ペプシンは塩酸と異なり、タンパク質でできた酵素です。

生体内で作られるタンパク質が、体の中で起こる様々な反応に関係してくるという事実の発見は、彼を次の研究に突き動かしました。

発酵の研究

生物がその体内でおこす反応の中でも、発酵という反応は長年多くの科学者が注目していました。ヨーロッパでも、ワインやビールををつくるアルコール発酵や、ザワークラウトでみられる乳酸発酵など、身近な現象であったにもかかわらず、そのメカニズムは未解明だったのです。

一般に、発酵という現象を解明したのはフランスのルイ・パスツールだと紹介されます。しかしながら、シュワンはパスツールよりも早く「発酵が微生物の生体反応によるものだ」と主張していました

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シュワンは高性能の顕微鏡を使い、アルコール発酵したものの中に微生物(酵母)がいることや、発酵が進むにしたがってその数を増やすこと、その微生物がいないと発酵が進まないことなどを実験によって示します。

とても理論的なアプローチだったのですが…このシュワンの研究に対し、多くの生理学者は批判的な態度をとりました。発酵という現象は、生物が関わらなくても、純粋な化学反応によって引き起こされるという考えが根強かったのです。

「代謝」という言葉をつくった

以上のように、シュワンは生物の体内で起きる様々な反応に強い興味を抱いていました。そして、生体内で引き起こされる化学反応を示す言葉として、ドイツ語の「metabolische」という言葉を生みだしたのです。「metabolische」は英語で「metabolism」、日本語では「代謝」と訳されます。

シュワン細胞の発見

シュワンは筋肉や神経の研究をしているときにシュワン細胞を発見しました。シュワン細胞は、神経細胞の軸索を包むようにして存在する神経膠細胞(グリア細胞)の一種。軸索を鞘(さや)のように覆っていることから、鞘細胞ともいわれます。

この、シュワン細胞とオリゴデンドロサイトという細胞が髄鞘(ずいしょう)という構造をつくっているのです。

動物について細胞説を提唱

シュワンの成果の中で最もよく知られているのが、動物の細胞説を提唱したことです。

細胞説とは、「生物の体は細胞からなっている」という仮説。現代の知識からすればあたり前のことですが、逆に言えばこの当時までこういった考え方は一般的ではなかった、ということになります。

シュワンやシュライデンの時代には、顕微鏡の精度が上がったり、細胞の染色技術などが次々と開発されるようになっていました。それらの技術的な発展も相まって、細胞説が誕生したのです。

\次のページで「多彩な科学者だったシュワン」を解説!/

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細胞説のアイデアをひそかに温めていたシュワンは、シュライデンと出会って会話をする中で、自身の考えに確信をもつようになります。シュライデンは植物学が専門でしたが、彼もやはり「植物の体はすべて細胞でできているのではないか」という植物についての細胞説を思いついていたのです。

二人は意見を交換しあっただけでなく、シュライデンがシュワンの研究室を訪れて、動物の細胞を共に確認したこともあったといいます。この交流によって、二人は自分たちの学説に自信を持つようになっていきました。

この出会いの翌年、シュライデンは植物についての細胞説を発表。さらにその翌年に、シュワンが「植物だけではなく動物も細胞からなる」という主張の含まれた論文を発表したのでした。

二人の出会いがなければ、細胞説の始まりはもう少し遅くなっていたかもしれませんね。

多彩な科学者だったシュワン

こうしてシュワンは細胞説の提唱者の一人として教科書にも名前を残す人物になりました。しかしながら、今回ご紹介した通りシュワンはとても多彩な生物学者であり、細胞説以外にも数々の功績を残しています。1845年にはイギリス王立協会から研究業績を表彰するコプリ・メダルが送られ、1875年にはプロイセン王国から勲章も授与されました。

教科書で見かける名前は味気ないもの。それぞれの科学者の背景を知ることは、科学の勉強をより面白くしてくれますよ。

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理科生物細胞・生殖・遺伝

細胞説だけじゃない!多彩な研究者「シュワン」を現役講師がサクッとわかりやすく解説!

今回は科学者シュワンについて学んでいきたいと思う。

高校生であれば、彼の名前を聞くのは生物基礎の前半、細胞について学ぶときでしょう。シュワンは細胞説の提唱者として紹介されるが、それ以外にもたくさんの研究成果を残した人物なんです。

大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに解説してもらおう。

ライター/小野塚ユウ

生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。

シュワンとは

テオドール・シュワン(Theodor Schwann)は19世紀に活躍した生物学者です。マティアス・ヤーコプ・シュライデンとともに、細胞説を提唱した最初期の人物として知られています。

生涯

シュワンは1810年、当時フランス帝国だったノイスという街に生まれました。

成長するにつれて生物学に興味を持つようになったシュワンは、ベルリン・フンボルト大学(以下ベルリン大学)やボン大学、ヴュルツブルク大学などを転々しながら自然科学と医学を学びます。

ベルリン大学では生理学者のヨハネス・ペーター・ミュラーに師事しました。ミュラーはプランクトンの研究を発展させたほか、医学にも少なくない功績を残した人物です。

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1834年、23歳の時にベルリン大学へ戻ると、シュワンは前述のミュラーの助手となり、本格的な研究生活をはじめます。動物の神経や筋肉といった組織を調べたり、呼吸や消化、発酵などの生体反応を研究したりと、幅広い分野にチャレンジしました。

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