今回学ぶのは遺子学の発展についてです。親から子へと特徴が受け継がれる遺伝。現在では髪の毛や皮膚片などわずかな細胞で親子関係を調べたり、数万円で手軽に遺伝子検査をして自分に合ったサプリやダイエット方法を提供するというサービスもある。

現代社会ではDNAが二重らせん構造をしているという事は一般常識です。しかし約160年前には遺伝についてはほとんど何も知られていなかった。遺伝についての研究はメンデルが遺伝の法則を1865年に発表し、それ以降急速に進んだんです。

今回は遺伝学史の発展をその研究に貢献した科学者と共に紹介していく。解説は科学館職員のリケジョ、たかはしふみかです。

ライター/たかはし ふみか

電子書籍より紙派、図書館が大好きなアナログリケジョ。わからないことは本で調べたい性格。高校では化学部、大学では工学部の化学系で化学漬けの日々を送っていた。

 

遺伝に関する用語のおさらい

image by PIXTA / 62895987

遺伝学史について解説する前に、遺伝についてのおさらいをしましょう。

遺伝とは生殖によって親の形質(特徴)が子にが引き継がれることです。親が学んで得た技術やけがの傷跡が引き継がれないように、後天的な感染や学習、環境によるものは遺伝しません。親から子へと遺伝情報を受け継ぐのが遺伝子です。遺伝子によって形質の発現が決まり、遺伝子は二重らせん構造をしたDNAからできています。DNAとはデオキシリボースとリン酸、塩基からできるヌクレオチドが連なった物質です。DNAは細胞核にある染色体に含まれています。

染色体とは細胞の核の中に存在する、DNAで作られた棒状の遺伝子情報を担う物質です。染色体は2本で1対となり、生き物によって染色体の本数は決まっています。染色体の本数は偶数で、式で表すと2n本です。

染色体の本数は例えばハツカネズミは20対で40本、人間は23対で46本、犬は39対で78本、金魚は52対で104本の染色体を持っています。この染色体は減数分裂によって半減し、受精によって元の本数に戻るのです。

#1 遺伝学の父、メンデル

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遺伝学の父と呼ばれるグレゴール・ヨハン・メンデル。エンドウ豆の実験でメンデルの法則と呼ばれる遺伝に関する法則を発見した人物です。

メンデルは1822年にオーストリアの農家に生まれました。メンデルは司祭として修道院で生活し、そこで研究を行います。そしてエンドウ豆の交配実験を行い、1865年にメンデルの法則を発表しました。

メンデルの法則

メンデルの法則

image by Study-Z編集部

植物雑種に関する研究」としてまとめられたメンデルの法則。メンデルの方を苦を簡単にいうと「親から子へと受け継がれる形質は粒子のようなものの受け渡しがあるから」という事です。メンデルの法則が知られる前、形質は液体のように混ざると考えられていました(混合遺伝)。それがメンデルによって遺伝形質は遺伝粒子によって受け継がれることが分かったのです。

メンデル法則は3つの法則から成り立っています。

優劣(優性)の法則
形質には優性と劣性がある
親が優性形質のみと劣性形質のみの組み合わせの場合、第一世代には優性の形質が現れ劣性の形質は隠れてしまう

分離の法則
個体が配偶子を作るとき、個体が持つ対立遺伝子は分かれて別々の配偶子に入る

独立の法則
2つ以上の異なった形質(対立遺伝子)は別々の配偶子に入る

メンデルについてはこちらの記事をどうぞ。

メンデルの法則の再発見

メンデルが発表した当時、この研究は世間に受け入れられませんでした。

それがメンデルが亡くなった後の1900年、ユーゴー・ド・フリースカール・エーリヒ・コレンスエーリッヒ・チェルマックらによって再発見されます。この再発見がすでにメンデルによって発表されていたことからメンデルの研究が認められることとなりました。

メンデルの法則の再発見が今から120年ほど前のことです。遺伝についての研究が進んだのは最近のことなのですね。

#2 DNAの発見者、ミーシャー

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遺伝子の話に必ずと言っていいほど出てくるキーワード、DNA。これはデオキシリボ核酸のことです。デオキシリボ核酸とは遺伝子情報を伝える物質である核酸の一種で、デオキシリボースとリン酸、そして4種類の塩基(アデニン・グアニン・シトシン、チミン)でできています。

この核酸を発見したのがスイス生まれの生化学者ネス・フリードリッヒ・ミーシャーです。ミーシーャは1869年に核酸を発見しました。なんと包帯についた膿を集めてその白血球を使って実験したのです。

1871年にミーシャーは核に存在するリン酸を大量に含んだタンパク質とは異なった物質について発表します。この物質は細胞核内の酸物質、という意味で核酸と名付けられました。

#3 染色体説を発表、サットン

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1902年、「遺伝子が染色体上にある」という染色体説を発表したのがウォルター・S・サットンです。サットンはバッタの生殖細胞を観察し、染色体説を提唱しました。バッタは染色体が大きく、観察に適しているのです。そして生殖細胞が減数分裂し、相同染色体が分かれて別の配偶子に入ることが明らかとなりました。

サットンは1877年にアメリカのニューヨークにある農家に生まれました。もともとは工学を学んでいましたが、弟が伝染病でなくなったことをきっかけに生物を学ぶようになり、1898年から染色体の研究を始めました。

\次のページで「古典遺伝学を発展、モーガン」を解説!/

#4 古典遺伝学を発展、モーガン

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アメリカの遺伝子学者、トーマス・ハント・モーガン。彼は黄色ショウジョウバエを使って実験し、染色体説を実証して古典遺伝子学の発展に貢献しました。

1866年にアメリカで生まれたモーガンは動物学や発生学について学んでいました。そしてモーガンは突然変異をしたショウジョウバエを集めて交配実験を行い、染色体地図を作りました。染色体地図とは染色体上における遺伝子の位置を示したものです。

また唾液腺染色体を使って遺伝子が染色体上にあることを確認しました。このような研究の結果、モーガンは1933年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

#5 ハーシーとチェイスの実験

アルフレッド・デイ・ハーシーは1908年生まれのアメリカ出身の微生物、遺伝子学者です。1969年に遺伝子構造に関する発見でノーベル生理学・医学賞を受賞しました。一緒に研究を行ったマーサ・チェイスは1927年生まれのアメリカ出身の遺伝子学者です。

この頃、遺伝子はタンパク質によって伝えられていると思われていました。それがこの研究によって遺伝子情報がDNAに組み込まれていることを明らかになったのです。

DNAが遺伝物質であることが判明したふたりの研究についてはこちらの記事を参考にしてくださいね。

#6 エイブリーによる実験

遺伝情報がDNAに存在することを証明したのがオズワルド・セオドア・エイブリー(アベリー)です。エイブリーは実験によってDNAが遺伝子の本体であることを発見しました。分子生物学や免疫化学の創始者として知られている研究者です。

1877年にカナダで生まれたエイブリーは父が聖職者で本人も牧師を目指し、学生時代は文学や演劇で優秀な成績を残していました。しかしその後、どういったきっかけがあったかは不明ですが医学を学ぶようになったのです。その後微生物学研究所や陸軍大尉を務めます。そして1928年頃からエイブリーは遺伝学の研究をはじめました。

エイブリーについてはこちらの記事を参考にして下さいね。

#7 二重らせんの発見、ワトソンとクリック

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DNAの二重らせんモデルが発見されたのは1953年のことでした。発見したのはアメリカの研究者ジェームズ・ワトソン、イギリスの研究者フランシス・クリックです。

ワトソンは生物学の博士号を取得し、DNA構造の研究をしていました。一方、クリックはもともと物理学を専攻していました。しかし第二次世界大戦後は物理学の知識を生かした生物学者として活躍します。クリックは1947年から生物学者として研究を行い、6年後にDNAの二重らせん構造を示した論文を発表しました。この論文によって分子生物学が大きく発展しとのです。

この功績からワトソンとクリック、そしてふたりが検討の際に参考としたDNAのX線回折写真を収めたモーリス・ウィルキンスとともに1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

遺伝子学の発展と科学者の栄光と影

現在遺伝学とその技術は健康管理や刑事捜査など様々な分野で活用されています。そんな遺伝子学が発展しだしたのは1865年、わずか150年前ほど前に有名なメンデルの法則が発見されてからです。しかし、メンデルの功績は残念ながら生前に認められることはありませんでした。

その後さまざまな研究者によって遺伝子に関する研究が進められ、親から子へと形質がどのように受け継がれるのかが明らかとなりました。遺伝学は今後、どのように発展していくのか楽しみな分野ですね。

" /> 遺伝学はこうして発展した!科学館職員が遺伝学史をわかりやすく解説 – Study-Z
理科生物細胞・生殖・遺伝

遺伝学はこうして発展した!科学館職員が遺伝学史をわかりやすく解説

今回学ぶのは遺子学の発展についてです。親から子へと特徴が受け継がれる遺伝。現在では髪の毛や皮膚片などわずかな細胞で親子関係を調べたり、数万円で手軽に遺伝子検査をして自分に合ったサプリやダイエット方法を提供するというサービスもある。

現代社会ではDNAが二重らせん構造をしているという事は一般常識です。しかし約160年前には遺伝についてはほとんど何も知られていなかった。遺伝についての研究はメンデルが遺伝の法則を1865年に発表し、それ以降急速に進んだんです。

今回は遺伝学史の発展をその研究に貢献した科学者と共に紹介していく。解説は科学館職員のリケジョ、たかはしふみかです。

ライター/たかはし ふみか

電子書籍より紙派、図書館が大好きなアナログリケジョ。わからないことは本で調べたい性格。高校では化学部、大学では工学部の化学系で化学漬けの日々を送っていた。

 

遺伝に関する用語のおさらい

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遺伝学史について解説する前に、遺伝についてのおさらいをしましょう。

遺伝とは生殖によって親の形質(特徴)が子にが引き継がれることです。親が学んで得た技術やけがの傷跡が引き継がれないように、後天的な感染や学習、環境によるものは遺伝しません。親から子へと遺伝情報を受け継ぐのが遺伝子です。遺伝子によって形質の発現が決まり、遺伝子は二重らせん構造をしたDNAからできています。DNAとはデオキシリボースとリン酸、塩基からできるヌクレオチドが連なった物質です。DNAは細胞核にある染色体に含まれています。

染色体とは細胞の核の中に存在する、DNAで作られた棒状の遺伝子情報を担う物質です。染色体は2本で1対となり、生き物によって染色体の本数は決まっています。染色体の本数は偶数で、式で表すと2n本です。

染色体の本数は例えばハツカネズミは20対で40本、人間は23対で46本、犬は39対で78本、金魚は52対で104本の染色体を持っています。この染色体は減数分裂によって半減し、受精によって元の本数に戻るのです。

#1 遺伝学の父、メンデル

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遺伝学の父と呼ばれるグレゴール・ヨハン・メンデル。エンドウ豆の実験でメンデルの法則と呼ばれる遺伝に関する法則を発見した人物です。

メンデルは1822年にオーストリアの農家に生まれました。メンデルは司祭として修道院で生活し、そこで研究を行います。そしてエンドウ豆の交配実験を行い、1865年にメンデルの法則を発表しました。

メンデルの法則

メンデルの法則

image by Study-Z編集部

植物雑種に関する研究」としてまとめられたメンデルの法則。メンデルの方を苦を簡単にいうと「親から子へと受け継がれる形質は粒子のようなものの受け渡しがあるから」という事です。メンデルの法則が知られる前、形質は液体のように混ざると考えられていました(混合遺伝)。それがメンデルによって遺伝形質は遺伝粒子によって受け継がれることが分かったのです。

メンデル法則は3つの法則から成り立っています。

優劣(優性)の法則
形質には優性と劣性がある
親が優性形質のみと劣性形質のみの組み合わせの場合、第一世代には優性の形質が現れ劣性の形質は隠れてしまう

分離の法則
個体が配偶子を作るとき、個体が持つ対立遺伝子は分かれて別々の配偶子に入る

独立の法則
2つ以上の異なった形質(対立遺伝子)は別々の配偶子に入る

メンデルの法則の再発見

メンデルが発表した当時、この研究は世間に受け入れられませんでした。

それがメンデルが亡くなった後の1900年、ユーゴー・ド・フリースカール・エーリヒ・コレンスエーリッヒ・チェルマックらによって再発見されます。この再発見がすでにメンデルによって発表されていたことからメンデルの研究が認められることとなりました。

メンデルの法則の再発見が今から120年ほど前のことです。遺伝についての研究が進んだのは最近のことなのですね。

#2 DNAの発見者、ミーシャー

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遺伝子の話に必ずと言っていいほど出てくるキーワード、DNA。これはデオキシリボ核酸のことです。デオキシリボ核酸とは遺伝子情報を伝える物質である核酸の一種で、デオキシリボースとリン酸、そして4種類の塩基(アデニン・グアニン・シトシン、チミン)でできています。

この核酸を発見したのがスイス生まれの生化学者ネス・フリードリッヒ・ミーシャーです。ミーシーャは1869年に核酸を発見しました。なんと包帯についた膿を集めてその白血球を使って実験したのです。

1871年にミーシャーは核に存在するリン酸を大量に含んだタンパク質とは異なった物質について発表します。この物質は細胞核内の酸物質、という意味で核酸と名付けられました。

#3 染色体説を発表、サットン

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1902年、「遺伝子が染色体上にある」という染色体説を発表したのがウォルター・S・サットンです。サットンはバッタの生殖細胞を観察し、染色体説を提唱しました。バッタは染色体が大きく、観察に適しているのです。そして生殖細胞が減数分裂し、相同染色体が分かれて別の配偶子に入ることが明らかとなりました。

サットンは1877年にアメリカのニューヨークにある農家に生まれました。もともとは工学を学んでいましたが、弟が伝染病でなくなったことをきっかけに生物を学ぶようになり、1898年から染色体の研究を始めました。

\次のページで「古典遺伝学を発展、モーガン」を解説!/

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