この記事では「○○」について解説する。

端的に言えば、富国強兵は日本が欧米に追いつき、追い越すことを目標にした大久保利通が掲げた明治維新のスローガンですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

元塾講師で、解説のわかりやすさに定評のあるgekcoを呼んです。一緒に「富国強兵」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/gekco

本業では出版物の校正も手がけ、一般教養に強い。豊富な知識と分かりやすい解説で好評を博している。

「富国強兵」の意味や語源・使い方まとめ

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富国強兵は「ふこくきょうへい」と読みます。それでは、早速「富国強兵」の意味や使い方について詳しく見ていきましょう。

「富国強兵」の意味は?

富国強兵には次のような意味があります。

国を豊かにし兵力を増強すること。国の経済力・軍事力を高めること。明治政府の基本政策の一。

出典:大辞林 第三版(三省堂)「富国強兵」

明治維新後の、日本の政治スローガンとして非常に有名な言葉です。歴史の教科書で見たことがある方も多いのではないでしょうか。

富国」は国を豊かにすること、つまり経済力の強化を意味します。

強兵」は兵力の強化、という意味です。

「富国強兵」の語源は?

明治政府のスローガンとして有名な言葉なので日本発祥の言葉と思われがちですが、実はそのルーツは中国です。意外に古く、紀元前770年ごろまでさかのぼります。紀元前770年~紀元前220頃の中国は春秋戦国時代と呼ばれ、大小さまざまな国が中国大陸に誕生し、各地で戦争を繰返していました。この頃、中国の各国が諸子百家と呼ばれる優秀な人材を登用し、こぞって新しい兵器や戦術の導入を進めました。この政策が富国強兵と呼ばれていたのが始まりです。

日本においても、最初に富国強兵を主張したのは明治政府ではありませんでした。江戸時代中期の儒学者が、富国強兵という概念の必要性を書物の中で説いています。

幕末の時代になり、日本が海外に目を向けざるを得なくなり、他国との力の差を痛感するようになると、対外的な富国強兵の必要性が高まりました。そうした流れを受けて、明治政府が富国強兵をスローガンに掲げるようになった、というのが、我々の知る富国強兵の由来なのです。

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「富国強兵」の使い方・例文

それでは、富国強兵を使った例文をみていきましょう。

富国強兵を掲げる明治政府は、西洋をモデルに日本を発展させるため、様々な改革を断行した。

富国強兵へ向かう時代の流れの中で、武士という特権階級は急速に失われていった。

富国強兵はあくまでも概念や方向性の名前であり、具体的な法律の名前でもなければ、動詞のような使われ方をする言葉でもありません。名詞として使うことに注意しましょう。

富国強兵により学校が設置された。

富国強兵することで、日本の国際的な地位を確保した。

この例文の1つめでは、富国強兵という制度のようなものにより学校が設置されたように読み取られます。実際には、富国強兵という考え方に基づいて発布された法律によって設置されました。

2つ目の例文では、「〇〇を富国強兵する」という使い方をしています。富国強兵は概念や考え方の名前なので名詞であり、このような使い方はできません。

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「富国強兵」と一緒に覚えたい四字熟語

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富国強兵は、明治政府が打ち出した明治維新の柱となるスローガンのひとつです。富国強兵以外にも、この時代を象徴する四字熟語がいくつかあります。ここで確認しておきましょう。

 

「大政奉還」

大政奉還は「たいせいほうかん」と読みます。それまで、幕府のトップである将軍が握っていた政治に関するすべての権限(統治権)を、天皇に返上するという意味です。厳密には、徳川慶喜が朝廷に統治権返上を申入れ、翌日朝廷が受け入れることまでを含めて大政奉還といいます。

「廃藩置県」

廃藩置県は「はいはんちけん」と読みます。江戸幕府では各地に「藩」をおき、各藩を大名が統治していましたが、明治政府はこの藩という仕組みを廃止しました。代わりに、現在の都道府県の前身となる府県を設置し、国内の統治に関わる権限が政府に集中するよう改変しました。

「中央集権」

中央集権は「ちゅうおうしゅうけん」と読みます。国家の政治体制で、統治権を地方に分散させるのではなく、王や政府の下に集中させることです。江戸時代の日本では、各地に藩がおかれ、藩の統治は藩を治める大名が任されていました。明治維新後、廃藩置県により各地の統治権は直接明治政府が握ることになったのです。

「王政復古」

王政復古は「おうせいふっこ」と読みます。王政とは、王が政治を行なうことを意味する言葉です。日本においては、この言葉での王とは天皇を指しています。幕府による摂政・関白政治が行なわれるまでは、政権は天皇が直接握っていました。その後、江戸幕府が200年もの間、政治の実権を握っていましたが、大政奉還により幕府が政権を把握することがなくなります。これにより、再び天皇が直接統治する仕組みへと変わりました。かつて政権を握っていた天皇に、再び統治権が復活するので、王政復古といいます。

富国強兵を詳しく知ろう

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富国強兵をスローガンとして打ち出した明治政府は、様々な改革制度を推し進めました。富国強兵のもとでどんな改革が行なわれたのかみていきましょう。

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富国強兵を掲げたのは誰?

新時代のスローガンとして富国強兵を掲げたのは明治政府ですが、その明治政府の中で富国強兵を主張し進めたのは、大久保利通でした。

大久保はもともと薩摩藩の藩士であり、西郷隆盛とも面識がありました。明治政府に登用されると、岩倉使節団の一員として欧米視察に参加します。列強と呼ばれていた欧米の豊かさや強さに衝撃を受けた大久保でしたが、ドイツ訪問の際、当時の首相ビスマルクと会談し、日本政治の参考にして欧米に追いつき、国際社会に進出しようと考えました。

帰国後、自身の理想を形にするため、明治政府で内務卿の職に就きます。内務卿は実質的な最高権力者で、明治政府内で強い発言力をもっていました。

その内務卿に就いた大久保が掲げたスローガンが、富国強兵なのです。

富国強兵の「3つの柱」

大久保が掲げた富国強兵には、3つの柱ともいうべきポイントがありました。

1つ目は、税制です。

江戸時代の日本では、収穫量に応じて収穫物を納める物納が主要でしたが、土地の広さに応じた金額を納める金納に変えました。土地の広さによって納める税が決まるので、収穫量が上がれば上がるほど、その土地の所有者個人の財産になります。これにより、国民の勤労意欲を高めることがねらいでした。この改革を地租改正といいます。

2つ目は、学制です。

諸国を視察し、国民の学力を高めることが国力向上につながると痛感した大久保が、最初に取り組んだ改革が学制といわれています。日本全国を学区に分けて、小学校、中学校、大学校を設置し、国民の誰もが学校に通えるようにしました。

3つ目は、兵制です。

江戸時代の日本では、諸藩お抱えの武士が主な戦力で、外国との戦闘を想定した国軍は幕府直属の武士たちだけでした。欧米列強と対等に渡り合うには、相応の軍事力が必要です。そのため、旧来の武士を解体し徴兵制による国軍の設置を推進しましたが、これは武士の特権を剥奪することにもつながります。長い論争の末、日本は徴兵令による国軍設置に踏み切ったのです。

税制改革、学制改革、兵制改革の3つが、大久保が掲げた富国強兵の根幹を成すものでした。

「富国強兵」を使いこなそう

今回の記事では、「富国強兵」について、意味や由来、使い方について説明しました。富国強兵は日本の近代史に必ず出てくる言葉なので、誰もが目にしたことはあるはずです。歴史以外の場面で富国強兵という言葉を使うことはほぼないと思いますが、逆に歴史上の意味を知っておくことで、役立つ場面が格段に増えるでしょう。

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【四字熟語】「富国強兵」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

この記事では「○○」について解説する。

端的に言えば、富国強兵は日本が欧米に追いつき、追い越すことを目標にした大久保利通が掲げた明治維新のスローガンですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

元塾講師で、解説のわかりやすさに定評のあるgekcoを呼んです。一緒に「富国強兵」の意味や例文、類語などを見ていきます。

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「富国強兵」の意味や語源・使い方まとめ

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富国強兵は「ふこくきょうへい」と読みます。それでは、早速「富国強兵」の意味や使い方について詳しく見ていきましょう。

「富国強兵」の意味は?

富国強兵には次のような意味があります。

国を豊かにし兵力を増強すること。国の経済力・軍事力を高めること。明治政府の基本政策の一。

出典:大辞林 第三版(三省堂)「富国強兵」

明治維新後の、日本の政治スローガンとして非常に有名な言葉です。歴史の教科書で見たことがある方も多いのではないでしょうか。

富国」は国を豊かにすること、つまり経済力の強化を意味します。

強兵」は兵力の強化、という意味です。

「富国強兵」の語源は?

明治政府のスローガンとして有名な言葉なので日本発祥の言葉と思われがちですが、実はそのルーツは中国です。意外に古く、紀元前770年ごろまでさかのぼります。紀元前770年~紀元前220頃の中国は春秋戦国時代と呼ばれ、大小さまざまな国が中国大陸に誕生し、各地で戦争を繰返していました。この頃、中国の各国が諸子百家と呼ばれる優秀な人材を登用し、こぞって新しい兵器や戦術の導入を進めました。この政策が富国強兵と呼ばれていたのが始まりです。

日本においても、最初に富国強兵を主張したのは明治政府ではありませんでした。江戸時代中期の儒学者が、富国強兵という概念の必要性を書物の中で説いています。

幕末の時代になり、日本が海外に目を向けざるを得なくなり、他国との力の差を痛感するようになると、対外的な富国強兵の必要性が高まりました。そうした流れを受けて、明治政府が富国強兵をスローガンに掲げるようになった、というのが、我々の知る富国強兵の由来なのです。

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