安土桃山時代日本史歴史

「南蛮文化」とは何?その特徴や伝来したものを元大学教員が解説

南蛮医学は科学と神学のミックス

南蛮文化として独自の医術も浸透します。医学の紹介者として中心的な役割を担ったのが宣教師ルイス・デ・アルメイダ。ハンセン病患者のための施設を設立した人物です。これらの施設を通じて南蛮医学がひろがりました。

アルメイダは西洋流の外科医療を担当。いっぽう、内科や薬は僧侶であった日本人キリシタンが担当しました。科学的な医療だけではなく「神秘の力」も併用。聖水や祈祷文などを用いることで、キリスト教に対する求心力を高めていきました。

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どの時代も病気を治癒させる技術は特別なものだった。病気を治せるから信仰する人も多かっただろう。キリスト教を広めるうえで医学が持つ力は絶大だった。

南蛮文化に由来する食品

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現代にも引き継がれている南蛮文化の最たるものが食べ物でしょう。とくに「南蛮菓子」と呼ばれたお菓子類は、今でも日本で愛されています。

カステラはポルトガルのお菓子のアレンジ

カステラは、ポルトガルから伝わった南蛮菓子のひとつ。イベリア半島にあったカスティーリャ王国のお菓子「ボロ・デ・カステラ」が日本に伝わり独自に発展しました。つまりカステラの語源は、ポルトガル語のたカスティーリャなんですね。

作り方のルーツは諸説がありますが、そのひとつが「パン・デ・ロー」。卵の黄身をたっぷり使ったふわっとした生焼けが特徴的なメレンゲの焼き菓子です。

金平糖はポルトガルのコンフェイトが由来

南蛮文化に由来するもうひとつのお菓子が金平糖。ポルトガル語のコンフェイトが語源です。宣教師のルイス・フロイスが、織田信長に京都の二条城で会ったとき会ったときにプレセントしたお菓子が金平糖。きれいなガラス瓶に入れて差し出されたそうです。

こうしたゆかりもあり、金平糖は献上品として日本に浸透していきました。ちなみにポルトガルのコンフェイトは、金平糖のような透明感はなく、カラフルなキャンディーという印象です。

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今でも南蛮文化に由来する食文化が数多く残っている。祭りの定番であるカルメ焼き、砂糖がたっぷりの文旦漬け。蒸しパンやビスケットも、南蛮貿易に由来する。砂糖たっぷりの食べ物が中心だ。

南蛮文化はキリシタン弾圧と共に消えたのか?

戦国時代の末期になると増加するキリシタンに警戒心を強める動きも出てきます。その先駆けとなるのが豊臣秀吉による長崎の宣教師の虐殺。通称、日本二十六聖人殉教事件と呼ばれています。江戸時代になると徳川幕府が禁教令を布告。キリスト教を弾圧するようになりました。そこで信者たちは「隠れキリシタン」として、表向きは仏教徒を装いながら信仰を続けます。その結果、南蛮文化の一部は隠れキリシタンの文化として独自の変容を遂げました。南蛮文化は単なる西洋文化の受容に終わらず、当時の人々の考え方や行動にも影響を与えます。そのクライマックスとなるのが天草四郎による島原の乱。そのあとはひっそりとキリスト教の信仰や南蛮文化は継承されました。

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hikosuke