安土桃山時代日本史歴史

「南蛮文化」とは何?その特徴や伝来したものを元大学教員が解説

よぉ、桜木建二だ。南蛮文化とは戦国時代から安土桃山時代にかけての文化のこと。ヨーロッパ諸国のなかでも、とくにポルトガル人とスペイン人との貿易を通じて多くのものが伝来した。当時のイエズス会の宣教師たちが、さまざまな物品を布教のために大名に贈呈。それをきっかけに日本人は西洋文化を知ることとなった。

それじゃ、世界的な大航海時代の影響や江戸幕府の禁止令発布による隠れキリシタンの活動などを視野に入れ、「南蛮文化」の由来を日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。日本文化をたどるとき「南蛮文化」を避けて通ることはできない。「南蛮文化」は、芸術や物品だけではなくキリスト教の布教とも関連するものだ。さらに江戸時代の宗教政策にも影響を与える。そんな「南蛮文化」の歴史に注目して解説する。

南蛮文化とは?

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南蛮文化とは、戦国時代から安土桃山時代にもたらされた西洋風の文化のこと。とくに南蛮貿易と一緒にもたらされたことから、スペインとポルトガルの影響が強く見られます。

戦国武将が取り入れた西洋文化

南蛮人の語源は中国語の「南蛮」。中国大陸を支配している朝廷が、南方で独自の政権をもつ異民族を「南蛮」と呼んでいました。日本で使われた南蛮人は「南のほうから来た得体のしれない人たち」というニュアンスだったのでしょう。そこから南蛮=スペイン人やポルトガル人を指すようになりました。

当初の南蛮文化の主な受容者は戦国武将たち。イエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島の種子島に来たことから、九州地方を中心に南蛮文化が広まります。特に戦国武将に、スペインやポルトガルの品々をプレゼントすることで、南蛮文化が浸透しました。

南蛮貿易を通じて生まれた文化

スペインやポルトガルの船が日本に来た目的は南蛮貿易を推進すること。そこで戦国大名たちに渡したプレゼントが南蛮文化として定着しました。たとえば、時計、めがね、鉄砲、ブドウ酒、オルゴールなど。戦国大名と親しくなることで、貿易の拠点を作れるように方向づけました。

キリスト教の布教の成果もあり、長崎各地に教会が設立されます。教会は信仰の拠点となるとともに南蛮貿易で取引する物品を貯蔵する倉庫としての役割を果たしました。ポルトガル船が最初に宣教師と一緒に日本に来たことは、ある意味、貿易促進のための戦略だったとも言えます。

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今の日本で南蛮という言葉に触れるのはチキン南蛮くらいだ。しかし南蛮文化は、現代の生活にも色々な影響を残している。そんな南蛮文化について一緒に紐解いていこう。

南蛮文化が生まれた背景

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南蛮文化が日本にもたらされる背景として重要なのが大航海時代。とくに、最初に日本との交易を推し進めたのがポルトガル。マカオを拠点として獲得したことから日本との交易を模索します。

世界は大航海時代の真っただ中

アジア交易の始まりは、バスコ・ダ・ガマのインド到着に始まります。カリカットを拠点にアジアの物品をヨーロッパに持ち帰りました。とくに重要な拠点となったのが明朝のマカオ。とくにポルトガルが狙ったのは中国の生糸そして日本の銀でした。

イエズス会は布教を通じて貿易をサポート

イエズス会は日本にキリスト教をもたらすだけではなく、南蛮貿易を進めるうえでクッションとしての役割を果たしました。最初、ポルトガル船は琉球王国にて交易を模索。しかしポルトガルの占拠を警戒して拒否されます。そこで九州に上陸してからは、キリスト教の教えを通じて距離を縮めていきました。

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