この記事では「酔生夢死」について解説する。

端的に言えば酔生夢死の意味は「何も有意義なことをせず、無駄に一生を過ごすこと」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

10数年間、中高生に学習指導をしているライターヤマトススムを呼んです。一緒に「酔生夢死」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/ヤマトススム

10数年の学習指導の経験があり、とくに英語と国語を得意とする。これまで生徒たちを難関高校や難関大学に導いてきた。

「酔生夢死」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「酔生夢死」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。読み方は「すいせいむし」です。「酔生夢死」について、意味だけでなく多面的に見ていくことで理解がより深まりますよ。

「酔生夢死」の意味は?

「酔生夢死」には、次のような意味があります。漢字を見ているだけでもなんとなく意味がわかりそうな気がする人もいるかもしれませんが、正確な意味を確認しておきましょう。

1.何もせずに、むなしく一生を過ごすこと。生きている意味を自覚することなく、ぼんやりと無自覚に一生を送ること。酒に酔ったような、また、夢を見ているような心地で死んでいく意から。

出典:新明解四字熟語辞典(三省堂)

四字熟語辞典には「生きている意味を自覚することなく」とありますが、生きている意味とはなかなかはっきりと言えることでもありませんし、人それぞれの違いもあります。しかし、一般的には「人の役に立つことをしたこと」「何かしらを成し遂げたこと」「自らが成長したと感じられること」「人との交流の中で温もりや喜びを感じること」などでしょうか。

こういった経験がないままに一生を終えてしまうことであると言えます。人間は、達成感や心が揺さぶられる経験が必要なものかもしれませんね。

「酔生夢死」の語源は?

次に「酔生夢死」の語源を確認しておきましょう。「酔生夢死」は中国の北宋時代の儒学者である程顥(ていこう)によって書かれた『明道先生状』に由来します。

『明道先生状』には、「高才明智と雖(いえど)も、見聞に膠(こう)せられ、酔生夢死して自ら覚(さと)らざるなり」とあり、「才能があり聡明な人であっても、見聞ばかりにこだわっていると、酒に酔って夢を見ているかのように一生を送ることになり自分で気づかない」という意味です。

このように、もともとは実体験が伴わないことを指していましたが、転じて何もせずにぼんやりと一生を送るという意味に広がっています。

\次のページで「「酔生夢死」の使い方・例文」を解説!/

「酔生夢死」の使い方・例文

「酔生夢死」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。文法的な使い方にも注目していきますよ。

1.空虚な気持ちのままで毎日生活していると、あっという間に酔生夢死の人生を終えることになる。
2.酔生夢死であると自覚してからは、少しずつ自分の生き方を考えるようになった。

「酔生夢死」の使い方として、例文1.の「酔生夢死の…」、例文2.の「酔生夢死である…」などを紹介しました。いずれも四字熟語自体は名詞として使っており、うしろに助詞や助動詞を伴った表現になっていますよ。

また、基本的にはマイナスのイメージの表現なので、「酔生夢死となってしまった」「酔生夢死ではいけない」というニュアンスで使うことが多くなっています。

「酔生夢死」の類義語は?違いは?

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それでは、「酔生夢死」の類義語についての説明です。ここでは、二つの類義語を紹介しますが、それぞれの特徴やニュアンスも含めてチェックしていきましょう。

「無為徒食」

「酔生夢死」の類義語には、「無為徒食(むいとしょく)」があります。意味は、何もしないで毎日を無駄に過ごすことです。「無為」は何もしないこと、「徒食」は働かずに無駄に毎日を過ごすことを表しています。「徒」は「いたずらに」「無駄に」という意味があり、無駄に骨を折るという意味の「徒労」という言葉がありますよ。

「酔生夢死」の転じたほうの意味は「何もせずむなしく一生を送る」ということなので、「無為徒食」は非常に意味が近くなっている表現です。

\次のページで「「飽食終日」」を解説!/

「飽食終日」

類義語には、もう一つ「飽食終日(ほうしょくしゅうじつ)」があります。一日中食べるだけで、他には何もせず無為に過ごすことという意味です。「飽食」は飽きるほど食べるということ、「終日」は一日中ということを表しています。

「飽食終日」は論語に「飽食終日、心を用うる所無きは、難いかな」という記述がありますよ。「朝から晩まで食べてばかりで、頭を使わないのは困ったものだ」という意味です。

「酔生夢死」の対義語は?

次は、「酔生夢死」の対義語についての説明です。どのような意味合いについて対になっているのかが対義語によって違うので、注意しながら見ていきましょう。

「精励恪勤」

「酔生夢死」の対義語には、「精励恪勤(せいれいかっきん)」があります。意味のほうは、「力の限りに仕事や学業に励むこと」です。「精励」は力を尽くして努めること、「恪勤」は真面目に一生懸命仕事をすることを表しています。

無駄に過ごす意味の「酔生夢死」に対して、「精励恪勤」は目的に一生懸命取り組むということで反対の意味になっていますよ。

「波瀾万丈」

対義語には、もう一つ「波瀾万丈(はらんばんじょう)」があります。変化が劇的であり人生の浮き沈みが非常に激しいという意味です。「波」は小さな波、「瀾」は大きな波であり、「万丈」はその高さが大きいということ、波の上下が激しいということを表しています。

「酔生夢死」はぼんやりと一生を過ごすという意味とは反対に、「波瀾万丈」は浮き沈みが激しい人生であるという意味合いになっていますよ。

「酔生夢死」の英訳は?

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最後に、「酔生夢死」の英訳についての説明です。「酔生夢死」の意味をとらえた表現があるので、一緒に見ていきましょう。

「idling one's life away」

「酔生夢死」の英訳には、「idling one's life away」があります。直訳は「生活から離れてだらだらする」です。「生活」を現実的な営みと考えると、現実逃避して怠惰に暮らすという意味としてとらえることができます。

ほかには、「lotus-eating」という表現があり、直訳は「ロートスの実を食べること」です。ロートスの実を食べると、浮世の苦しみを忘れ楽しく過ごすことができるとされています。

\次のページで「「酔生夢死」を使いこなそう」を解説!/

「酔生夢死」を使いこなそう

今回の記事では「酔生夢死」の意味・使い方・類語などを説明しました。

「酔生夢死」は酒に酔ったように夢を見ているような心地で死んでいくという意味がありますが、自覚していないという意味もあるところが特徴です。「自覚していない」というのは、語源では「酔生夢死して自ら覚らざるなり」と「酔生夢死」に続く部分の表現になっています。この続く部分までが、「酔生夢死」の意味に込められていると考えられますよ。

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【四字熟語】「酔生夢死」の意味や使い方は?例文や類語などを現役塾講師がわかりやすく解説!

この記事では「酔生夢死」について解説する。

端的に言えば酔生夢死の意味は「何も有意義なことをせず、無駄に一生を過ごすこと」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

10数年間、中高生に学習指導をしているライターヤマトススムを呼んです。一緒に「酔生夢死」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/ヤマトススム

10数年の学習指導の経験があり、とくに英語と国語を得意とする。これまで生徒たちを難関高校や難関大学に導いてきた。

「酔生夢死」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「酔生夢死」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。読み方は「すいせいむし」です。「酔生夢死」について、意味だけでなく多面的に見ていくことで理解がより深まりますよ。

「酔生夢死」の意味は?

「酔生夢死」には、次のような意味があります。漢字を見ているだけでもなんとなく意味がわかりそうな気がする人もいるかもしれませんが、正確な意味を確認しておきましょう。

1.何もせずに、むなしく一生を過ごすこと。生きている意味を自覚することなく、ぼんやりと無自覚に一生を送ること。酒に酔ったような、また、夢を見ているような心地で死んでいく意から。

出典:新明解四字熟語辞典(三省堂)

四字熟語辞典には「生きている意味を自覚することなく」とありますが、生きている意味とはなかなかはっきりと言えることでもありませんし、人それぞれの違いもあります。しかし、一般的には「人の役に立つことをしたこと」「何かしらを成し遂げたこと」「自らが成長したと感じられること」「人との交流の中で温もりや喜びを感じること」などでしょうか。

こういった経験がないままに一生を終えてしまうことであると言えます。人間は、達成感や心が揺さぶられる経験が必要なものかもしれませんね。

「酔生夢死」の語源は?

次に「酔生夢死」の語源を確認しておきましょう。「酔生夢死」は中国の北宋時代の儒学者である程顥(ていこう)によって書かれた『明道先生状』に由来します。

『明道先生状』には、「高才明智と雖(いえど)も、見聞に膠(こう)せられ、酔生夢死して自ら覚(さと)らざるなり」とあり、「才能があり聡明な人であっても、見聞ばかりにこだわっていると、酒に酔って夢を見ているかのように一生を送ることになり自分で気づかない」という意味です。

このように、もともとは実体験が伴わないことを指していましたが、転じて何もせずにぼんやりと一生を送るという意味に広がっています。

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