
「実事求是」
類義語にはもう一つ、「実事求是(じつじきゅうぜ)」があります。事実の実証に基づいて物事の真理を追求することという意味です。「事を実にして是を求む」と訓読し、「実事」は実際のこと、「求是」は真理や誠を窮(きわ)め求めることを表しています。
また、もとは中国の清朝の考証学の学風のことで、現在の中国でも使われていますよ。考証学とは、根拠を明示して論証していく学問のすすめ方のことです。
「冷暖自知」の対義語は?
次に、「冷暖自知」の対義語についての説明です。「冷暖自知」の自ら実践する意味に対して、実践の伴わないような四字熟語を二種類紹介するので、ニュアンスも含めて詳しく見ていきましょう。
「空理空論」
「冷暖自知」の対義語には、「空理空論(くうりくうろん)」があります。意味のほうは、実際とはかけ離れたような役に立たない理論や考えのことです。「空理」も「空論」も現実には役に立たない理論や議論のことを表しています。
もともとは、世の中のものはみんな因縁によって起こる仮のものであり実体がないという仏教の言葉からきていますよ。そこから転じて、現実的ではない概念的な理論のことを言うようになりました。
「眼高手低」
対義語には、もう一つ「眼高手低(がんこうしゅてい)」があります。目は肥えているが能力や技能が十分でないこと、または、批評する力はあるが創作力はないことという意味です。「眼高くして手低し」と訓読し、「眼高」は見たり批評すること、「手低」は実行力が低いことを表しています。
そこから転じて、理想は高いものの実行力が伴わないことという意味で使われることもありますよ。「眼高手低の…」「眼高手低に…」という使い方をするのが一般的です。
「spiritual enlightenment only comes through personal experience」
「冷暖自知」の英訳には、「spiritual enlightenment only comes through personal experience」があります。直訳すると「個人の経験を通して得られる悟り」です。
「spiritual」は、日本語でもスピリチュアルと言われることもありますが「精神的な、宗教的な」という意味があります。「enlightenment」は、「啓発する、教化する、明らかにする」という意味の動詞「enlighten」の名詞形です。
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