女性問題のイメージが強いクリントン元大統領ですが、当時の政治・経済政策はどうだったのでしょうか。関連する話題や写真と共に、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- 「ビル・クリントン」とは?
- 不遇だった幼少期時代
- 弁護士時代にヒラリーと出会う
- 「ビル・クリントン」はアーカンソー州にて政治活動を開始
- 連邦下院議員選は共和党に敗北
- 知事選挙にて初当選を果たす
- アメリカ合衆国大統領となった「ビル・クリントン」
- 経済政策優先が支持されて勝利
- インターネットバブルでアメリカ経済を好転させる
- 「ビル・クリントン」のアジア外交は親中派
- 中国優遇の経済政策を進める
- 日本に円高不況をもたらす政策も
- 中東問題はパパブッシュの方針を継承
- 湾岸戦争の和平交渉は結果を残せず
- サダム・フセインとの対立が続く
- スキャンダル多発の人生だった「ビル・クリントン」
- モニカ・ルインスキー事件は生々しいものに
- 妻ヒラリーのフォローで弾劾裁判を乗り切る
- ビルクリントンの評価はスキャンダル発覚と共に低下
この記事の目次
ライター/ひこすけ
文化の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。「ビル・クリントン」は、大統領選でジョージ・H・W・ブッシュに勝利して米国大統領になった人物。のちに妻ヒラリーが立候補してトランプと戦ったときは夫として選挙運動に参加した。そんな元大統領に関係する情報をまとめてみた。
「ビル・クリントン」とは?
ビル・クリントンとは、弁護士そしてアーカンソー州知事を経て合衆国大統領となった政治家です。彼の妻はヒラリー・ロダム・クリントン。ファーストレディであると同時に、女性として初めて大統領候補に指名された人物です。
不遇だった幼少期時代
1946年にアーカンソー州で生まれたビル・クリントン。当時の名前はウィリアム・ジェファーソン・ブライス・ジュニア。父親は、彼が生まれる前に自動車事故で亡くなっていました。
母親がロジャー・クリントンと再婚、3人の生活がはじまります。新しい父親はアルコール中毒の傾向がありました。そのためビル・クリントンは幼少期、かなりの暴力を振るわれることに。父親が発砲した銃弾で危険な目に合うこともありました。
弁護士時代にヒラリーと出会う
ジョージタウン大学を卒業したあと、ビル・クリントンは奨学生としてオックスフォード大学に留学する機会を得ます。帰国したあとはロー・スクールに入学。そこで妻となるヒラリーと出会いました。
1973年博士号を取得したあとは、アーカンソー大学のロースクールの教員となります。同時にビル・クリントンは政治に対する興味を深め、民主党の選挙運動に参加するようになりました。
「ビル・クリントン」はアーカンソー州にて政治活動を開始
By White House photo office – http://www.reagan.utexas.edu/archives/photographs/large/C39192-3.jpg, Public Domain, Link
ビル・クリントンの最初の政治活動は1974年に行われた中間選挙。連邦下院議員選挙の出馬でした。アーカンソー州の民主党予備選で勝利し、本選挙に進出します。
連邦下院議員選は共和党に敗北
本選挙で議論となっていたのがウォーターゲート事件。これは、1972年の大統領選挙戦のときにワシントンD.C.の民主党本部で起こった、不審者の侵入、盗聴、もみ消し、隠ぺいなどの、一連のスキャンダルです。
このスキャンダルから、リチャード・ニクソン大統領は、大統領弾劾発議の末に辞任することになりました。ニクソン政権の不正に対する世論の反発は強く、民主党の躍進が期待されます。しかし、クリントンは僅差で共和党候補者に敗北しました。
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