
「見違えるようになる」
この場合「見違える」のはその人ではなく、周りの人です。周りの人が見て、見まちがうほどに変わってしまうことを「見違えるようになる」と言います。
「人が変わる」と「見違えるようになる」の使い方・例文
同じような内容の文章を「人が変わる」と「見違えるようになる」を使ってそれぞれ作ってみましょう。
入社一年目には、しばしば自分勝手な意見を言っていた新人が、二年目になって人が変わったように素直でまじめに仕事に取り組むよい社員に育っていて、驚いた。
入社一年目には、しばしば自分勝手な意見を言っていた新人が、二年目になって見違えるように素直でまじめに仕事に取り組むよい社員に育っていて、驚いた。
「人が変わる」の対義語は?
人が変わる、の対義語は、人は変わらない、という意味の言葉でしょう。例えば、「頑固一徹」や「意固地」という言葉があります。
「頑固一徹」
良くも悪くも「頑固」というのは、かたくなに変わらないことを表します。良い意味では「筋を通す」ということで、人が言うからだとか、世間の情勢がそうだからといって、安易に考えや態度を変えたりはしません。これはある意味立派だと言えます。
一方で、間違えたことをしていても謝らない、間違いを認めないというのも「頑固」と言えますが、これはほめられたことではないでしょう。
「一徹」というのも同様で、一途に思い込んだ道を決めた方法でつき進むということで、「頑固一徹」は、良い意味でも悪い意味でも、変わらない、変えない、ということを表します。
「意固地」
「意固地」の場合には、より悪い意味が強まります。
あの人は意固地だから、という場合、あまり良い意味はありません。人の意見を聞かずに自分の考えにこだわって、おかしなことをするというニュアンスになります。
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