この記事では「糟糠之妻」について解説する。

端的に言えば「糟糠之妻」の意味は「貧しいときから一緒に苦労を重ねてきた妻のこと。」ですが、四字熟語の多くは古典が基になっている。それを抜きに意味を覚えたところですぐに記憶から抜け落ちてしまう。元の話やドラマを理解しておくと、忘れないし、本当の意味で言葉を使うことができるぞ。

センター国語190点オーバーの古典・歴史マニアのライター タケダ タケシを呼んです。一緒に「糟糠之妻」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/タケダ タケシ

年間200冊を超える本を読み、センター試験国語では190点オーバーの無類の国語好き。同時に歴史・古典のオタクでもある。熱い語り口が特徴。満点に届かなかった理由は漢字の「書き」ができなかった模様。なお、数学の失敗で国立大にも受からなかったらしい。反面教師にしてくださいとは本人の弁。

「糟糠之妻」の意味や語源・使い方まとめ

image by iStockphoto

それでは早速「糟糠之妻」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。
桜木先生もおっしゃっていましたが、意味をただ覚えることではなく、元になった故事や経緯を把握することが重要です。意味をサラッと流してもらい、語源に注目してみてください。言葉の持つ歴史や、本当の面白さ、豊かさがわかります。

「糟糠之妻」の意味は?

「糟糠之妻」を辞書で引くと、次のような意味が出てきます。言葉を学ぶときは辞典・辞書は極めて有用です。
アナログ・デジタル・ネットどんな辞書でも構いません。こまめに辞書を引くクセをつけてください。
意味はさらっと、と言っていたのに辞書?と思われるかもしれませんが、辞書を引いてわかるものは意味だけではないのです。

ちなみに筆者はネットで調べる場合「コトバンク」と「goo辞典」を使用してます。

そうこうの-つま【糟糠之妻】
貧しいときから一緒に苦労を重ねてきた妻。▽「糟糠」は酒粕(さけかす)と米ぬか。貧しい食事の形容。「糟糠の妻は堂より下さず」とも常用される。貧しさを共にしてきた妻は、自分が富貴になっても大切にするという意。

辞書を引くと意味のほかに出典や用例を見ることができます。

先ほどからお話させていただいているように、大事なのはドラマ!であり文化!なので「意味」だけではなく「出典」とか書かれている箇所が非常に重要です。上記の辞書を確認すると出典『後漢書(ごかんじょ)』宋弘伝(そうこうでん)との記載されています。後漢が始まったばかりの時期、光武帝に仕えた朝臣、宋弘という人物のエピソードがもとになっていることがわかるのです。

それでは今から2000年前。おいしい話が転がり込んできても、じぶんの通すべき筋を通す真面目一筋な官僚のお話です。

「糟糠之妻」の語源は?

宋弘は前漢末期、新、後漢と三つの時代にまたがって中国の宮廷で活躍した人物です。才能がありかつ真面目な人柄で知られ、高い地位にあっても自分の手元に蓄財するわけではなく、貴賤の分け隔てなく一族に分け与え自分には何も残らなかったというエピソードまであります。簡潔に言ってめちゃくちゃいい人です。
そんな人柄から多くの人に愛され、ある時皇帝の未婚の姉までもが宋弘に思いを寄せました。ただ、その時宋弘にはすでに妻がいたのです。そこで皇帝は一つ宋弘を試してみることにしました。宋弘を呼び、姉を後ろに隠れさせてこう聞いたのです。「高い地位についたのならば、それにふさわしい人間と付き合うべきだ。裕福になったなら、それにふさわしい妻を迎えるべきだ、ということわざがあるが、どう思う?」と。
宋弘はそれに答え、「私は貧しい時交友のあった友達が本当の友達だ。貧乏な時代を一緒に耐えた妻をこそ大切にすべきだ、と聞いております」といいました。これで望みがないことが分かった皇帝の姉はあきらめたそうです。このエピソードがが元になり、「糟糠之妻」という故事が生まれました。

\次のページで「「糟糠之妻」の使い方・例文」を解説!/

「糟糠之妻」の使い方・例文

「糟糠之妻」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。

亡妻は、糟糠の妻で、且つ、いろいろ、家庭的な面倒をかけているので、その死を迎えて、感想がないわけがない。<獅子文六・娘と私>

ずっと一緒に過ごしてきた奥さんを亡くしたときの悲哀が出ている例文になっています。この一言が入るだけで夫婦の持っている長い歴史が思い浮かぶのです。

「糟糠之妻」の類義語は?違いは?

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では類義語を見てみましょう。

「苦楽を共にする」

一緒に苦労をし、一緒に楽しむ。結婚式の誓いの言葉で「病めるときも、健やかなるときも」などというフレーズもありますが、プラスの感情の時もマイナスの場合も一緒にいることで作られる絆は大切にしたいものですね。

\次のページで「「糟糠之妻」の英訳は?」を解説!/

「糟糠之妻」の英訳は?

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では、英語にはどんな表現があるでしょうか。イングランドの枯野を想像しながら使いたい言葉です。

「through thick and thin」

良い時もわるいときも。thick は厚いthinは薄いを意味します。古い英語表現で当たりにくさが多い茂ってる時も、枯れはてているときも一緒にいる関係。配偶者であれ、友達であれ、そういう関係でいたいものですね。

宋弘は未遂に終わりましたが、自殺をしたことがあります。反乱軍が首都を征服し、仕えることを求められた際、水に飛び込みこれを拒否したのです。前述しましたが、宋弘の活躍した時代は前漢末期、新、後漢の三つにまたがる激動の時代。王朝が切り替わる際は波乱がつきもので前漢から新への転換は平和的に行われた(禅譲)ことになってますが実質はクーデター。さらに政治が失敗し新から後漢に代わる際には赤眉・緑林の乱という大戦乱がありました。その後も各地で群雄割拠の様相を呈しましたので糟糠の妻のエピソードを聞いて想像するようなほんわかした時代ではまったくありません。
そんな状況下で中華をまとめ上げ、戦国時代のようになるでもなく後漢という統一王朝が成立しえたのは、光武帝の歴史でもまれにみる英雄ぶりにあるといっても過言ではありません。その威厳も、臣下へのカリスマも絶大でした。そんな大英雄の誘いを袖にできる宋弘もまた豪傑であったというべきでしょう。

「糟糠之妻」を使いこなそう

「糟糠之妻」について解説させていただきましたがいかがだったでしょうか。役人として成功するだけでなく、皇帝の姉を妻にもてばもう鬼に金棒であったでしょうに、その誘いをはねのけた宋弘の妻への愛は非常に深いものであったのでしょう。笑って許す光武帝だったからよかったようなものの、皇帝が違えば姉に恥をかかせたとして死罪になった可能性も十分にあります。それでも意志が貫ける宋弘はすごいですね。

現代日本で貧乏から大金持ちへの大ブレイクというと想像しやすいのはお笑い芸人などでしょか。人気者になったとたんに美人の女優さんとアイドルと付き合いだす人を見るとなんだかな、と思う反面昔からの彼女や奥さんを大切にする人を見ると好感度が上がったりします。
酒かすや米ぬかにまみれた妻の方が大切、なんていうと現代ではフェミニストな人たちに攻撃されてしまいそうにも思えますが、糟糠と宋弘が同じ音で掛かっていて、男もひっくりめて貧乏な状態で乗り切ってきたを指していることを覚えておきたいですね。

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国語言葉の意味

【四字熟語】「糟糠之妻」の意味や使い方は?例文や類語も含めてセンター国語190点オーバーの古典・歴史マニアがわかりやすく解説!

この記事では「糟糠之妻」について解説する。

端的に言えば「糟糠之妻」の意味は「貧しいときから一緒に苦労を重ねてきた妻のこと。」ですが、四字熟語の多くは古典が基になっている。それを抜きに意味を覚えたところですぐに記憶から抜け落ちてしまう。元の話やドラマを理解しておくと、忘れないし、本当の意味で言葉を使うことができるぞ。

センター国語190点オーバーの古典・歴史マニアのライター タケダ タケシを呼んです。一緒に「糟糠之妻」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/タケダ タケシ

年間200冊を超える本を読み、センター試験国語では190点オーバーの無類の国語好き。同時に歴史・古典のオタクでもある。熱い語り口が特徴。満点に届かなかった理由は漢字の「書き」ができなかった模様。なお、数学の失敗で国立大にも受からなかったらしい。反面教師にしてくださいとは本人の弁。

「糟糠之妻」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「糟糠之妻」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。
桜木先生もおっしゃっていましたが、意味をただ覚えることではなく、元になった故事や経緯を把握することが重要です。意味をサラッと流してもらい、語源に注目してみてください。言葉の持つ歴史や、本当の面白さ、豊かさがわかります。

「糟糠之妻」の意味は?

「糟糠之妻」を辞書で引くと、次のような意味が出てきます。言葉を学ぶときは辞典・辞書は極めて有用です。
アナログ・デジタル・ネットどんな辞書でも構いません。こまめに辞書を引くクセをつけてください。
意味はさらっと、と言っていたのに辞書?と思われるかもしれませんが、辞書を引いてわかるものは意味だけではないのです。

ちなみに筆者はネットで調べる場合「コトバンク」と「goo辞典」を使用してます。

そうこうの-つま【糟糠之妻】
貧しいときから一緒に苦労を重ねてきた妻。▽「糟糠」は酒粕(さけかす)と米ぬか。貧しい食事の形容。「糟糠の妻は堂より下さず」とも常用される。貧しさを共にしてきた妻は、自分が富貴になっても大切にするという意。

辞書を引くと意味のほかに出典や用例を見ることができます。

先ほどからお話させていただいているように、大事なのはドラマ!であり文化!なので「意味」だけではなく「出典」とか書かれている箇所が非常に重要です。上記の辞書を確認すると出典『後漢書(ごかんじょ)』宋弘伝(そうこうでん)との記載されています。後漢が始まったばかりの時期、光武帝に仕えた朝臣、宋弘という人物のエピソードがもとになっていることがわかるのです。

それでは今から2000年前。おいしい話が転がり込んできても、じぶんの通すべき筋を通す真面目一筋な官僚のお話です。

「糟糠之妻」の語源は?

宋弘は前漢末期、新、後漢と三つの時代にまたがって中国の宮廷で活躍した人物です。才能がありかつ真面目な人柄で知られ、高い地位にあっても自分の手元に蓄財するわけではなく、貴賤の分け隔てなく一族に分け与え自分には何も残らなかったというエピソードまであります。簡潔に言ってめちゃくちゃいい人です。
そんな人柄から多くの人に愛され、ある時皇帝の未婚の姉までもが宋弘に思いを寄せました。ただ、その時宋弘にはすでに妻がいたのです。そこで皇帝は一つ宋弘を試してみることにしました。宋弘を呼び、姉を後ろに隠れさせてこう聞いたのです。「高い地位についたのならば、それにふさわしい人間と付き合うべきだ。裕福になったなら、それにふさわしい妻を迎えるべきだ、ということわざがあるが、どう思う?」と。
宋弘はそれに答え、「私は貧しい時交友のあった友達が本当の友達だ。貧乏な時代を一緒に耐えた妻をこそ大切にすべきだ、と聞いております」といいました。これで望みがないことが分かった皇帝の姉はあきらめたそうです。このエピソードがが元になり、「糟糠之妻」という故事が生まれました。

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