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5分で分かる「薔薇戦争」ランカスター家とヨーク家の争いを歴女がわかりやすく解説

2-3 再び敗北

Battle of Barnet retouched.jpg
不明File:Battle of barnet.jpg, Ghent manuscript, a late 15th-century document (source: Ghent University library, MS236), パブリック・ドメイン, リンクによる

ところがマーガレットの反撃も長くは続きませんでした。亡命したエドワードはフランス王と敵対していたブルゴーニュ公からの援軍を受けてイングランドへ上陸。1471年のバーネットの戦いでウォーリク伯が戦死。更にテュークスベリーの戦いではマーガレットと王太子エドワードが捕虜となることに。こうしてマーガレットはロンドン塔に幽閉され、ヘンリーとエドワードは殺害されることに。こうしてランカスター家の敗北は決定的となりました。

3 薔薇戦争の終焉とテューダー朝の誕生

こうしてランカスター家が敗北し、リチャードの息子、エドワード4世がヨーク朝を成立させることに。ところがこのヨーク朝もすぐに倒され、次のテューダー朝が開かれることに。それではその経緯について詳しく見ていきましょう。

3-1 悪名高き王、リチャード

1461年にヨーク朝を開いたエドワード4世でしたが、1483年に41歳でこの世を去ることに。この時王位を狙ったのが悪名高いリチャードでした。彼はエドワード4世の弟。1452年に生まれ、わずか3歳の時に薔薇戦争が勃発。そして18歳の時に内乱の戦闘指揮官として活躍した人物。リチャードは甥のエドワード5世の摂政となるも、ロンドン塔にエドワードと彼の弟までも幽閉することに。表向きにはエドワードの戴冠式を同年6月に行うと発表したため、前王妃エリザベスは安心しきっていたそう。ところが王子たちは行方不明となり(殺害されたのではないかと思われる)、実際に戴冠したのはリチャードでした。

3-2 消えた王子たち 

Simmler Children of King Edward.jpg
Józef Simmlercyfrowe.mnw.art.pl, パブリック・ドメイン, リンクによる

これはドラローシュ「ロンドン塔の王子たち」。この絵画で2人の幼い少年たちが描かれています。右の少年はこれから起こる運命に気づき少し青ざめているのでしょうか。そして頬が赤く愛くるしい弟はドアの方を見つめ怯えているよう。2人の足元にはドアに向かって吠える犬。シェイクスピアの「リチャード3世」を題材に描かれたことが分かりますね(シェイクスピアではリチャードが通ると犬が吠えるというものがある)。

リチャード3世が本当に手に掛けたのか不明ですが、はっきりと分かっていることは、前王の死後すぐに王子たちをロンドン塔へ幽閉したのは彼だったということ。更に議会の場で、王子たちは前王の私生児だから王位継承権はないと言い張り自身が戴冠したという事実。悪名高いリチャードですが、これはシェイクスピアの作品からそのようなイメージがつくことに。シェイクスピアはエリザベス女王の庇護を受けていたため、いわば敵からみた人物像だったためここまで悪役として描かれたのではないかという見方もあります。

3-3 ランカスター家のヘンリー登場

こうしてリチャードは摂政から王に即位することになりました。ところが正当な王位継承者だった王子たちの行方不明と、強引に戴冠をしたリチャードのやり方に対して重臣の間では反発が起こることに。そしてフランスへ亡命していたランカスター家の傍流ヘンリー・テューダーがフランス王から援軍を受けて1485年にイングランドへ上陸。反リチャード派の貴族らは一斉にヘンリーを支持しました。リチャードはボズワーズの戦いでヘンリーと戦いましたが、戦況は味方の裏切りもあって命を落とすことに。そしてヨーク家のリチャードに勝利したことで、ヘンリー・テューダーはテューダー朝を開くことに。こうしてヨーク朝はわずか24年で幕を閉じ、広義ではリチャード3世はプランタジネット朝最期の君主となりました

\次のページで「3-4 テューダー朝を開いたヘンリ7世」を解説!/

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