この記事では生物学者エイブリーの行った実験を学ぼう。

エイブリー(もしくはアベリー)はカナダに生まれ、アメリカで医師・研究者としてはたらいた人物です。彼の実験は遺伝学史・生物学史上重要な役割を果たしたのですが、その意味を理解するには、時代背景やその前後に行われたほかの科学者の研究を知らなくてはならない。

大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに解説してもらおう。

ライター/小野塚ユウ

生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。

はじめに

皆さんご存じの通り、生物の体の設計図である遺伝情報(ゲノム)はDNAに存在しています。最近はこれが常識のようになり、遺伝子やゲノムといった言葉がニュースから聞こえてくることも増えました。

しかしながら、「遺伝情報がDNAにある」という事実が研究者の間で解明されたのは、20世紀も半ば。比較的最近の出来事といえます。

今回のテーマである”エイブリーの実験”は、遺伝情報がDNAに存在しているということを証明した歴史的な実験です。エイブリーの実験が契機となり、DNAという物質の本格的な研究が進み始めました。

時代背景

実験の具体的なお話に入る前に、エイブリーの時代にDNAや遺伝子がどのように認識されていたのかを把握したいとおもいます。

遺伝学の本格的なスタートは1900年に”メンデルの法則”が“再発見”されたころといえるでしょう。数十年前に司祭メンデルが発見し、それから忘れ去られていた遺伝の法則が、3人の科学者によってその価値を見出され、生物学者の間に広く知れ渡ることになりました。

さらに、1902年には染色体説が提唱され、1920年代には遺伝情報の基本単位=遺伝子の存在や、それが染色体上にあるようだ、という知識が広まります。

image by iStockphoto

ここからが問題でした。染色体という構造物はタンパク質DNAによって構成されています。遺伝情報が暗号のように記録されているのだとしたら、それはタンパク質の方にあるのか、それともDNAなのか…多くの生物学者は「タンパク質の方に遺伝情報が存在する」と考えたのです。

このころすでに、タンパク質の多様性や生体内での重要性がよく知られていました。1900年ごろにエミール・フィッシャーがアミノ酸からペプチドを合成することに成功したこともあり、単純な物質から複雑な物質まで、生物のあらゆるパーツをつくっているタンパク質に注目が集まっていた時代だったのです。

image by iStockphoto

一方、DNAは小さく短い分子だと考えられており、「染色体中にあるものもタンパク質を保護している物質」程度のものだというくらいの認識でした。DNAが高分子だということが分かったのは1934年、スウェーデンのカスパーソンによる研究です。その発見があってもなお、DNAが染色体にある意味を正確に理解できる人はいませんでした。

\次のページで「グリフィスの実験」を解説!/

グリフィスの実験

上記のような時代にあり、DNAの重要性を示唆する実験がイギリスのグリフィスによって行われます。1928年のことです。

厚生省の細菌学者だったグリフィスは、肺炎双球菌という細菌をマウスに感染させる実験を行いました。

肺炎双球菌には「R型」「S型」の2つのタイプがあります。R型に病原性はありませんが、S型には病原性があり、感染すると宿主に肺炎など死に至るほどの重い症状を引き起こすという、恐ろしい細菌です。

グリフィスはR型菌とS型菌をマウスに注射し、S型菌を打ったマウスだけが発病して死ぬことを確認しました。また、S型菌を加熱した(=死んだS型菌が含まれている)ものを別のマウスに注射し、そのマウスが生き残ることも確認します。

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そして、R型菌にS型菌を加熱したものを混ぜた液体をマウスに注射しました。すると、病原性がないはずのR型菌にも関わらず、マウスは肺炎を起こして死んでしまったのです。マウスの死体からはR型菌に加え、S型菌も検出されました。

この実験から、グリフィスはR型菌の形質を変化(形質転換)させる何かの物質が、S型菌を加熱したものに含まれていたと考えたのです。

このグリフィスの論文が、エイブリーを歴史的な実験に向かわせるきっかけになりました。

エイブリーの実験

エイブリーの実験が行われたのは1944年。グリフィスの実験から16年後のことです。彼もグリフィス同様に肺炎双球菌とマウスを使いました。

エイブリーはまず肺炎双球菌のS型菌(病原性あり)の細胞構造を破壊します。いわば“死んだS型菌の残骸”になった状態です。これをDNAとタンパク質に分け、それぞれをR型菌(病原性なし)と混ぜます。

そして、それぞれの混合物をマウスに注射。結果は「S型菌のDNA+R型菌」を注射したマウスだけが肺炎を発症する、というものでした。

image by Study-Z編集部

この実験結果により、タンパク質ではなくDNAの方に形質転換を引き起こす遺伝情報が存在している、という可能性が一段と高くなったのです。

この実験はかなりの注目を浴びましたが、結果を見てもなお「遺伝情報はタンパク質にある」と主張して譲らない科学者がたくさんいました。実験に用いた「S型菌のDNA」のなかに小さな分離できないほどの”他の何か”が混ざっていて、それが遺伝情報をもっているのではないか?などというような批判です。

エイブリーはその後も研究を続け、慎重な実験を重ねてDNAが遺伝情報の本体である可能性は高くなっていきました。しかしながら、批判する科学者たちにDNAの重要性を認めさせるのには、次の歴史的な実験を待たなければならなかったのです。

\次のページで「DNA研究のその後」を解説!/

DNA研究のその後

1952年、アメリカのハーシーとチェイスという二人の研究者の行った実験により、遺伝情報がタンパク質ではなくDNAにあるということが確定的になりました。この二人は肺炎双球菌ではなく、T2ファージというウイルスを使っています。

とうとうDNAという物質が生物の体内で演じている役割が明確になりました。ここから分子レベルの遺伝学が急速に進み始めます。翌年の1953年にはフランシスとクリックによりDNAの二重らせん構造が解明されました。

Oswald T. Avery portrait 1937.jpg
不明 - http://profiles.nlm.nih.gov/CC/A/A/L/P/_/ccaalp_.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる

実は、前述の”エイブリーの実験”が行われた1944年、エイブリーはすでに67歳でした。1955年に亡くなりましたが、ハーシー、チェイス、フランシス、クリックらの研究成果は生前に目にしています。

エイブリーの実験に触発されてDNAに注目した研究者らの成果を聞き、彼は次のような言葉を残したそうです。

"It's lots of fun to blow bubbles but it's wiser to prick them yourself before someone else tries to."

「シャボン玉をたくさん飛ばすことは楽しいが、誰かがそれを針で突こうと試みる前に君自身が試みる方がより賢い」

\次のページで「ハーシーやフランシス、クリックはノーベル賞を受賞したが…」を解説!/

ハーシーやフランシス、クリックはノーベル賞を受賞したが…

「DNAが遺伝情報の正体である」という発見は、とてつもなく大きな功績です。それにもかかわらず、エイブリーはノーベル賞を受賞せずこの世を去りました。研究者らの間では、「エイブリーはノーベル賞を受賞すべき人物であった」と今でも言われるほどの功績を残した人物だったのです。

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理科生物細胞・生殖・遺伝

エイブリーの実験ってどんなもの?DNAの役割を見つけた歴史的実験を現役講師がサクッとわかりやすく解説!

この記事では生物学者エイブリーの行った実験を学ぼう。

エイブリー(もしくはアベリー)はカナダに生まれ、アメリカで医師・研究者としてはたらいた人物です。彼の実験は遺伝学史・生物学史上重要な役割を果たしたのですが、その意味を理解するには、時代背景やその前後に行われたほかの科学者の研究を知らなくてはならない。

大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに解説してもらおう。

ライター/小野塚ユウ

生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。

はじめに

皆さんご存じの通り、生物の体の設計図である遺伝情報(ゲノム)はDNAに存在しています。最近はこれが常識のようになり、遺伝子やゲノムといった言葉がニュースから聞こえてくることも増えました。

しかしながら、「遺伝情報がDNAにある」という事実が研究者の間で解明されたのは、20世紀も半ば。比較的最近の出来事といえます。

今回のテーマである”エイブリーの実験”は、遺伝情報がDNAに存在しているということを証明した歴史的な実験です。エイブリーの実験が契機となり、DNAという物質の本格的な研究が進み始めました。

時代背景

実験の具体的なお話に入る前に、エイブリーの時代にDNAや遺伝子がどのように認識されていたのかを把握したいとおもいます。

遺伝学の本格的なスタートは1900年に”メンデルの法則”が“再発見”されたころといえるでしょう。数十年前に司祭メンデルが発見し、それから忘れ去られていた遺伝の法則が、3人の科学者によってその価値を見出され、生物学者の間に広く知れ渡ることになりました。

さらに、1902年には染色体説が提唱され、1920年代には遺伝情報の基本単位=遺伝子の存在や、それが染色体上にあるようだ、という知識が広まります。

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ここからが問題でした。染色体という構造物はタンパク質DNAによって構成されています。遺伝情報が暗号のように記録されているのだとしたら、それはタンパク質の方にあるのか、それともDNAなのか…多くの生物学者は「タンパク質の方に遺伝情報が存在する」と考えたのです。

このころすでに、タンパク質の多様性や生体内での重要性がよく知られていました。1900年ごろにエミール・フィッシャーがアミノ酸からペプチドを合成することに成功したこともあり、単純な物質から複雑な物質まで、生物のあらゆるパーツをつくっているタンパク質に注目が集まっていた時代だったのです。

image by iStockphoto

一方、DNAは小さく短い分子だと考えられており、「染色体中にあるものもタンパク質を保護している物質」程度のものだというくらいの認識でした。DNAが高分子だということが分かったのは1934年、スウェーデンのカスパーソンによる研究です。その発見があってもなお、DNAが染色体にある意味を正確に理解できる人はいませんでした。

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