今回は遺伝学上の重要な学説の一つ、染色体説を勉強しよう。

高校生物基礎で遺伝について学習するときに、染色体説の名を聞くはずです。今回は染色体説の内容だけではなく、それを提唱した科学者サットンの生涯についても学んでみよう。

大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに解説してもらおう。

ライター/小野塚ユウ

生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。

染色体説とは

染色体説とは、「遺伝情報の単位である遺伝子が細胞内の染色体上に存在する」という仮説です。1902年にウォルター・サットンという人物によって提唱されたことから、“サットンの染色体説”と紹介されることもあります。

ここで、遺伝学の苦手な方のために少しだけ用語の解説をしておきましょう。

遺伝子
…遺伝情報の基本単位。「花の色を決める遺伝子」「ある酵素を作る遺伝子」など、遺伝子によってそれぞれの個体の形質(=形や性質)が決まってくる。

染色体
…DNAとタンパク質(ヒストン)で構成された構造物。普段の細胞内に染色体は見られないが、細胞分裂の準備段階になるとばらばらだったDNAとタンパク質が集まって染色体になる。
染色体の本数や形は生物によって異なる。

今日では、染色体に遺伝子があるということは周知の事実です。しかしながら、サットンが自説を提唱するまで、遺伝子と染色体の関連性を大々的に述べた研究者はいませんでした。

サットンの研究

サットンは、バッタの細胞を研究するなかで染色体説にいたりました。バッタの染色体は大きく観察しやすいという特徴があり、染色体を研究テーマにしていたサットンにとってよい実験材料だったのです。

体細胞の染色体の本数や形を調べたのに加え、サットンは配偶子の染色体の観察に成功します。そこでサットンは配偶子形成の際に染色体の数が半分になる減数分裂が起きることに気づきました。

減数分裂
…配偶子(精子や卵子)が形成されるときに起きる特別な細胞分裂。
通常の細胞分裂であればあらかじめDNAのコピーをして染色体が2倍になり、それが新しい細胞に分配されて同じ数の染色体をもった新しい細胞ができる。
減数分裂では、2回連続で細胞分裂を行うため、最終的にできた細胞(配偶子)には半分の数の染色体しかない。

\次のページで「染色体説の実証」を解説!/

サットンは「この染色体上に遺伝子が存在すると仮定すれば、メンデルの法則に矛盾することなく遺伝のメカニズムを説明できる」と考えたのです。

オスとメスの配偶子から子どもができると、子どもの細胞には両親からもらった染色体が存在します。同じ遺伝子の存在する同じ形の染色体を相同染色体といい、相同染色体を両親から1本ずつもらうのです。

この相同染色体にメンデルの考えた「遺伝情報」があるとすると、見事にメンデルの法則(とくに「分離の法則」)に従います。サットンの発想は的を得たものでした。

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ところが、染色体説が論文で発表されても世間にはほとんど受け入れられませんでした。

そもそもメンデルの法則が“再発見”されたのが1900年であり、まだ研究者の間に遺伝学や”遺伝子”という考え方が浸透していなかったのです。また、遺伝という複雑な“現象”が、染色体という“物質”の動きで説明できる、というのも、当時の人々にはいまいちピンとこなかったのかもしれません。

染色体説の実証

染色体に遺伝子があるという染色体説が広く認められるようになるまでは、少し時間が必要でした。

1910年、染色体説に転機が訪れます。アメリカの生物学者トーマス・ハント・モルガンの研究室が行った、ショウジョウバエをもちいた実験が、染色体説を強く支持する結果を出したのです。

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モルガンのチームや弟子たちはその後もショウジョウバエの遺伝を研究し、染色体説の正当性を強化。さらに遺伝子の連鎖や組み換えといったより複雑な遺伝の現象を明らかにしていきました。いずれも、染色体上に遺伝子があると考えれば理屈が説明できる現象ばかりだったのです。

世界の科学者がそれぞれに行う遺伝の実験が、染色体説が事実であるという証明につながっていきました。1920年代にもなると、染色体説がまぎれもない事実であるということがほとんどの科学者の共通認識になったのです。

さらに時代が下ると、遺伝子は染色体を構成するDNAに存在しているということもわかりました。今の私たちがよく知る遺伝学の知識というのは、染色体説やメンデルの法則の再発見があった1900年ごろから急速に解明されてきたものなのです。

サットンの生涯

ウォルター・サットンは1877年にアメリカのニューヨーク州で生まれました。機械いじりが得意で、家が農家であったことから農機具の修理なども行っていたといいます。

成長するとカンザス大学へ入学。機械好きの性格もあって、大学では工学を学んでいましたが、1897年に弟が伝染病で亡くなったことをきっかけに生物学へ転向します。

1898年から細胞学者マクラングのもとで染色体の研究を始めました。2年後にはコロンビア大学にうつり、前述したバッタの染色体を本格的に研究します。前述の染色体説を考え出したのは、若干25歳。大学院生の時でした

Walter sutton.jpg
不明 - http://www.genomenewsnetwork.org/resources/timeline/1902_Boveri_Sutton.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる

後世に名を遺す学説を提唱したサットンでしたが、その当時は注目されず、本人も博士課程を中退してしまいます。数年たってまた大学へ戻り、1907年に医師免許を取得すると、その後は医師として仕事をしました。

1916年。急性虫垂炎の合併症が原因となりこの世を去ります。わずか39年の生涯でした。

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image by Study-Z編集部

もう一人の提唱者

染色体説はサットンが提唱したと記述されることが多いですが、一部では染色体説のことを”サットン・ボヴェリの染色体説”ということがあります。ボヴェリというのは、染色体の重要性に早い段階で気づいたもう一人の科学者の名前です。

テオドール・ボヴェリはドイツの生物学者。サットンよりも15年早い1862年に生まれています。亡くなったのは1915年なので、サットンとほぼ同時代を生きた人物といえるでしょう。

Theodor Boveri.jpg
不明 - Theodor Boveri 1862-1915 aus: Hans Stubbe:Kurze Geschichte der Genetik bis zur Wiederentdeckung Gregor Mendels Jena, 2. Auflage 1965. Quelle dort: aus Forscher und Wissenschaftler im heutigen Europa Bd. 2: Erforscher des Lebens. Oldenburg/Hamburg:Stalling, パブリック・ドメイン, リンクによる

ドイツのボヴェリはウニの研究を行う中で、「染色体に不足があると発生がうまく進まない」ということを発見しました。間接的にではありますが、「遺伝という現象に染色体が重要な役割を果たす」という関係を見いだしていたということになります。

このことから、染色体説の提唱者にこのボヴェリの名を加えることがあるんです。

遺伝学の著しい発展へ…

染色体およびDNAに遺伝子がある、ということが解明されて以降、遺伝学は驚くような勢いで進歩してきました。DNAの塩基配列やゲノムの解明、遺伝子の人為的な操作や合成…数十年前の科学者でも、今の時代の研究を見たら驚嘆するでしょう。

そんな進歩目まぐるしい遺伝学の発展のヒントになったのが、サットンの染色体説なのです。

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理科生物細胞・生殖・遺伝

サットンの「染色体説」ってどんな内容?現役講師がサクッとわかりやすく解説!

今回は遺伝学上の重要な学説の一つ、染色体説を勉強しよう。

高校生物基礎で遺伝について学習するときに、染色体説の名を聞くはずです。今回は染色体説の内容だけではなく、それを提唱した科学者サットンの生涯についても学んでみよう。

大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに解説してもらおう。

ライター/小野塚ユウ

生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。

染色体説とは

染色体説とは、「遺伝情報の単位である遺伝子が細胞内の染色体上に存在する」という仮説です。1902年にウォルター・サットンという人物によって提唱されたことから、“サットンの染色体説”と紹介されることもあります。

ここで、遺伝学の苦手な方のために少しだけ用語の解説をしておきましょう。

遺伝子
…遺伝情報の基本単位。「花の色を決める遺伝子」「ある酵素を作る遺伝子」など、遺伝子によってそれぞれの個体の形質(=形や性質)が決まってくる。

染色体
…DNAとタンパク質(ヒストン)で構成された構造物。普段の細胞内に染色体は見られないが、細胞分裂の準備段階になるとばらばらだったDNAとタンパク質が集まって染色体になる。
染色体の本数や形は生物によって異なる。

今日では、染色体に遺伝子があるということは周知の事実です。しかしながら、サットンが自説を提唱するまで、遺伝子と染色体の関連性を大々的に述べた研究者はいませんでした。

サットンの研究

サットンは、バッタの細胞を研究するなかで染色体説にいたりました。バッタの染色体は大きく観察しやすいという特徴があり、染色体を研究テーマにしていたサットンにとってよい実験材料だったのです。

体細胞の染色体の本数や形を調べたのに加え、サットンは配偶子の染色体の観察に成功します。そこでサットンは配偶子形成の際に染色体の数が半分になる減数分裂が起きることに気づきました。

減数分裂
…配偶子(精子や卵子)が形成されるときに起きる特別な細胞分裂。
通常の細胞分裂であればあらかじめDNAのコピーをして染色体が2倍になり、それが新しい細胞に分配されて同じ数の染色体をもった新しい細胞ができる。
減数分裂では、2回連続で細胞分裂を行うため、最終的にできた細胞(配偶子)には半分の数の染色体しかない。

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