今回は遺伝学の祖ともいわれる人物、メンデルについてみていこう。

「メンデルの法則」は高校で学ぶ生物学でも必ず登場することから、彼の名前はよく知られている。しかしながら、その人生や人物像についてまで踏み込まれることはあまりないな。メンデルの生涯やその業績について、改めて学んでみよう。

大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに解説してもらおう。

ライター/小野塚ユウ

生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。

メンデル

グレゴール・ヨハン・メンデルは19世紀に生きたオーストリア帝国の司祭です。修道院に所属する傍ら自然科学を学び、後述するメンデルの法則を発見しました。生物の教科書には必ずと言っていいほど名前の載っている偉人です。

生涯

メンデルは1822年に当時のオーストリア帝国、ハインツェンドルフという街に生まれました。農家の子供として生まれた彼は、成長するにつれて自然科学に興味を持つようになります。

1840年からオロモウツという街の大学で哲学や物理学を学んだのち、ブリュン(現在のブルノ)の修道院に所属することにしました。

科学を学んでいたメンデルが急に修道院に入ったのには理由があります。ブリュンの修道院には数学者や哲学者、植物学者などが所属しており、専門的な学問を学ぶことができたのです。家があまり裕福でなく、大学の学費にも圧迫されていた彼にとって、修道院はよりよい環境でした。

もちろん修道士としての勉強もおこない、1847年には司祭に任ぜられます。

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科学の勉強を続けていたメンデルは、1851年に名門ウィーン大学に留学するチャンスを得ます。2年の大学生活の中で、植物学や動物学、物理学、数学などを学びました。

1853年にブリュンの修道院に戻ると、司祭としてはたらく傍ら、科学を教えるために教壇に立ちました。1868年には教師としての活動を終え、修道院の長を務めますが、それからはなかなか自身の研究を行うことができなかったようです。

1884年、61歳でこの世を去りました。

メンデルの法則

“メンデルの法則”とは?

“メンデルの法則”とは、メンデルが論文『植物雑種に関する研究』で発表した遺伝の法則をまとめたもので、“優性の法則”、“分離の法則”、“独立の法則”の3つからなります

それぞれの法則は以下のようなものです。

優性の法則
形質(=形や性質などの特徴)には優性の形質と劣性の形質があり、雑種の第一世代ではすべての個体に優性の形質があらわれる。劣性の形質はかくれてしまう。

分離の法則
雑種の第二世代では、優性の形質をもった個体と劣性の形質をもった個体が3:1の比率に分離してあらわれる。

独立の法則
2つ以上の異なる形質はそれぞれ独立に遺伝する。

メンデルはエンドウマメを使った交雑実験を行い、この3つの法則を導き出しました。

そして彼は「親の形質が子に伝わるのは、その情報をもった粒子のようなものが受け渡されるからではないか」「粒子のようなものを想定すれば、3つの法則を説明できる」と考えます。

\次のページで「メンデルの実験」を解説!/

Gregor Mendel Monk.jpg
Bateson, William - Mendel's Principles of Heredity: A Defence, パブリック・ドメイン, リンクによる

メンデルよりも前の時代。人々は農作物の栽培や畜産の経験から、「子が親に似ること」「子が親の形質を受け継ぐことが多いこと」をなんとなく知っていました。大きな実をつける株をかけ合わせれば、その子どもも大きな実をつける…というような品種改良も、自然に行われています。

しかしその仕組みは、例えるならば2種類の液体を混ぜるように、両親の性質が混ざり合って子に伝わると考えられていたのです。

仮に遺伝情報の本体が液体のようなものであるとするならば、一度混ざり合った情報がはっきりと分かれて出現するのは不自然。メンデルの導き出した独立の法則や分離の法則は成り立たないでしょう。メンデルが「粒子のようなもの」を想定したのは、とても画期的なことでした。

image by iStockphoto

のちの世で、メンデルの考えた「粒子のようなもの」はのちに遺伝子と呼ばれるようになり、それが「粒子」ではなく、DNAという高分子の一部であるということが解明されます。

メンデルの実験

メンデルは修道院の庭に生えていたエンドウマメを実験に使い、メンデルの法則を導き出しました。実験が行われたのは1856年から1863年の間です。

遺伝という現象を解明するため、メンデルはエンドウマメの7つの形質に注目し、それぞれの形質をもった純系の株をつくりました。

純系とは、「自家受粉を繰り返すことで遺伝的に均質な状態になった系統」です。純系の個体を交雑させ、その子どもに現れる形質を比較することで、メンデルは前述の3つの法則を見つけました。

では、例をあげましょう。

メンデルが実験に使用したエンドウマメは、花の色が2種類ありました。紫色のものと白色のものです。

その辺に生えている紫色の花をつけるエンドウマメ(以下、[紫])を2株とってきて受粉させると、その子どもはすべて[紫]になる…と思いきや、白い花をつけるエンドウマメ(以下、[白])が生まれることがあります。これは、それぞれの[紫]が2つもっている“花の色を決める遺伝子”のうち、1つが[白]にする遺伝子だったためです。

\次のページで「忘れられたメンデル」を解説!/

1つでも[紫]の遺伝子をもっていると、その子どもの花の色は紫になります。一方、花の色を白にするには2つの遺伝子両方が[白]の遺伝子でなくてはいけません。

image by Study-Z編集部

このとき、紫色にする遺伝子を優性(もしくは顕性)、白色にする遺伝子を劣性(もしくは潜性)である、と表現します。そして、「優性の遺伝子のみ」「劣性の遺伝子のみ」をもった系統を純系と呼ぶのです。

純系ではない個体、いわゆる雑種のものは、複数種類の遺伝子が混ざってしまっています。これを実験に使うと結果にばらつきが生じるため、遺伝の法則を研究するには遺伝子が「整っている」純系を使うことが重要なのです。

image by iStockphoto

純系をつくるには自家受粉を何代も繰り返し、その中からよい個体を選抜していく作業が必要です。メンデルが何年にもわたってこの実験を手掛けたのも必然だったといえるでしょう。

忘れられたメンデル

1865年にメンデルは自分の研究成果を発表します。ところが、ほかの科学者にほとんど注目されなかったのです。生物の遺伝という不思議な現象を解明する重要な手掛かりの一つだったにもかかわらず、“メンデルの法則”は忘れ去られていきます。

死後数十年がたった1900年。メンデルの法則が世界の3人の科学者に改めて見いだされ、遺伝の謎が急速に解明されていくのですが…これはまた別の機会にお話ししましょう。

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理科生物細胞・生殖・遺伝

”メンデルの法則”で有名なメンデルってどんな人?現役講師がわかりやすく解説

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Bateson, William – Mendel’s Principles of Heredity: A Defence, パブリック・ドメイン, リンクによる

メンデルよりも前の時代。人々は農作物の栽培や畜産の経験から、「子が親に似ること」「子が親の形質を受け継ぐことが多いこと」をなんとなく知っていました。大きな実をつける株をかけ合わせれば、その子どもも大きな実をつける…というような品種改良も、自然に行われています。

しかしその仕組みは、例えるならば2種類の液体を混ぜるように、両親の性質が混ざり合って子に伝わると考えられていたのです。

仮に遺伝情報の本体が液体のようなものであるとするならば、一度混ざり合った情報がはっきりと分かれて出現するのは不自然。メンデルの導き出した独立の法則や分離の法則は成り立たないでしょう。メンデルが「粒子のようなもの」を想定したのは、とても画期的なことでした。

image by iStockphoto

のちの世で、メンデルの考えた「粒子のようなもの」はのちに遺伝子と呼ばれるようになり、それが「粒子」ではなく、DNAという高分子の一部であるということが解明されます。

メンデルの実験

メンデルは修道院の庭に生えていたエンドウマメを実験に使い、メンデルの法則を導き出しました。実験が行われたのは1856年から1863年の間です。

遺伝という現象を解明するため、メンデルはエンドウマメの7つの形質に注目し、それぞれの形質をもった純系の株をつくりました。

純系とは、「自家受粉を繰り返すことで遺伝的に均質な状態になった系統」です。純系の個体を交雑させ、その子どもに現れる形質を比較することで、メンデルは前述の3つの法則を見つけました。

では、例をあげましょう。

メンデルが実験に使用したエンドウマメは、花の色が2種類ありました。紫色のものと白色のものです。

その辺に生えている紫色の花をつけるエンドウマメ(以下、[紫])を2株とってきて受粉させると、その子どもはすべて[紫]になる…と思いきや、白い花をつけるエンドウマメ(以下、[白])が生まれることがあります。これは、それぞれの[紫]が2つもっている“花の色を決める遺伝子”のうち、1つが[白]にする遺伝子だったためです。

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