
「六根清浄」の使い方・例文
では、「六根清浄」をどのように使えばよいのか、例文を見ていきましょう。
1.山を登りきって頂上からの素晴らしい景色を見た今は、六根清浄の心境だ。
2.苦しい山での修行を、「六根清浄」と唱えることで乗り越えた。
「六根清浄」は、6つの感覚を清らかにすること、そのための修行を意味しますが、例文のように、6つの感覚が研ぎ澄まされて浄化されている状態を意味して使うこともできます。ただし、私たちが日常で感覚を浄化するために山籠りなどの修行を行うことはほぼありません。日常会話で「六根清浄」を使うときには、6つの感覚が浄化されている状態という意味で使うほうがよさそうです。
「六根清浄」には、修行で山に登る際に、掛け声として「六根清浄」と唱えたという使われ方もあります。高山病を防ぐ方法として、富士登山の際「六根清浄、お山は晴天」と歌う、という話もあるぐらいです。
また、私たちが普段何気なく使う「どっこいしょ」とう言葉。これも、「六根清浄」がなまってできたもの、だという説があります。私もよく使いますが、まさかこんな清らかな意味を持つ言葉が語源だとは思わず、びっくりしました。登山が趣味の人とお話する際などの話のタネになるかもしれませんね。
「斎戒沐浴」
「斎戒」が神聖なことを前にして心身を清める、という意味、「沐浴」が体を洗い清める、という意味です。合わせて「斎戒沐浴」は、神聖なできごとの前に心身を内外から清める、という意味になります。
「六根清浄」とは、心を清らかな状態にする、という点で似ていますが、「斎戒沐浴」はこれからきれいにする、のに対して、「六根清浄」はきれいになった状態、というところが違う点です。使うタイミングをよく考える必要がありそうですね。
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