
端的に言えば「六根清浄」の意味は「眼・耳・鼻・舌・身・意の六根を清浄にすること」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
学習塾経営者で国語が得意なぼすこを呼んです。一緒に「六根清浄」の意味や例文、類語などを見ていきます。
ライター/ぼすこ
国立大学教育学部卒業後、学習塾を経営。読書好きが高じて蓄えた幅広い知識と、得意教科である国語力で、四字熟語をわかりやすく解説していく。
「六根清浄」の意味は?
「六根清浄」について、辞書には次のように記されています。
1.六根の執着を断ち、清浄な精神を所有し霊妙な術を修得すること。六根浄。
2.山参りの修行者や登山者などの唱える言葉。
出典:大辞林第三版(三省堂)「六根清浄」
「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」は、仏教に関する言葉です。「六根」とは、人間に備わっている、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)に第六感を司る「意識」を加えた6つの感覚を指します。「清浄」は、仏教において、けがれのない清らかな状態という意味です。
仏教における「悟り」に近づくためには、六根が煩悩にまみれていてはならない、つまり第六感を含めたすべての感覚が清らかでけがれがないことが大切であると考えられています。
これらを清らかにするためには、不浄なものを、見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触らない、感じない、ことが必要。そのために行われるのが山籠りや山参りなどの修行であり、修行を成し遂げることで「六根清浄」となるのです。苦しい山参りを乗り越えるために、修行中に「六根清浄」と唱えることもあるそうですよ。
「六根清浄」の語源は?
「六根清浄」の意味を確認したところで、次にその語源についても見ていくことにしましょう。
「六根清浄」は仏教に関係する言葉だということも前項でお話しましたね。仏教にも多くの宗派があり、経典もさまざまにありますが、「六根清浄」を最初に確認できるのは、大乗仏教の初期の経典である「法華経」です。
「法華経」は全部で28の題目から構成されており、「六根清浄」は第十九の「法師功徳品(ほっしくどくほん)に登場します。簡単に引用すると、「法華経を大切にし、暗唱したり、書写するなどして功徳を得ると、この功徳によって、六根は荘厳で清浄となる」と書かれており、これが「六根清浄」の元となったのです。
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