ジョージ・ワシントンはバージニア植民地出身のアメリカ合衆国の初代大統領。独立戦争に参加したときは、その高い人望から司令官に任命されて軍人として名をはせた。合衆国がイギリスから独立したあとは、政治家として植民地のとりまとめなどの対応に奔走する。

当時の発言が偉人の名言として紹介されることも多い人気の政治家ジョージ・ワシントン。彼が残した多くの功績やその後の評価を、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。「ジョージ・ワシントン」は、アメリカ独立戦争で活躍した人物。合衆国の初代大統領として歴史に名を残した。彼は、黒人農場主であり、インディアンを排除するための戦いにも関わっていることから、後世の評価は分かれる。そこで「ジョージ・ワシントン」に関連するできごとをまとめてみた。

ジョージ・ワシントンとは?

image by PIXTA / 56404937

ジョージ・ワシントンは18世紀に活躍したアメリカ合衆国の初代大統領。政治家だけではなく、軍人、黒人奴隷農場主としの顔も持っています。合衆国の首都であるワシントンD.C.の名前の由来にもなりました。

バージニア植民地の地主の息子として生まれる

ジョージ・ワシントンが生まれたのは1732年2月22日。バージニア植民地になるウェストモアランド郡が彼の故郷です。ワシントンの父親はオーガスティン・ワシントン、妻はメアリー・ボールで2番目の妻でした。ともにイギリス出身です。

ワシントンの父親は、彼が11歳の時に死去。そのため、14歳年上であった長男のローレンス・ワシントンが家長としての役目を果たしました。父の遺産の多くを相続したのは長男でしたが、ワシントンも一部の農場を相続します。

ワソントン家の家業は黒人奴隷農場の経営

ワシントン家は、バージニア州にて黒人奴隷農場を経営していました。鉱山の開発にもかかわりますが、地元の富豪になるまでには至りませんでした。

ジョージ・ワシントンは父のプランテーションの一部を相続し、農場主としての経験を積んでいきました。そのためワシントンは若いころから黒人奴隷に囲まれた生活をしており、それが彼の奴隷制度に対する考え方を作り上げていきます。

軍隊の指導者として頭角をあらわす「ジョージ・ワシントン」

Washington on horseback in the middle of a battle scene with other soldiers
By Reǵnier - This image is available from the United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID http://www.loc.gov/pictures/item/2003677702/. This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing for more information., Public Domain, Link

ジョージ・ワシントンが当時のアメリカ大陸のイギリス植民地で頭角をあらわすのは軍人としてでした。彼が参加した戦いは、フレンチ・インディアン戦争とアメリカ独立戦争。ワシントンは戦争の英雄となり、社会的地位を向上させていきます。

フレンチ・インディアン戦争ではイギリス軍に参加

フレンチ・インディアン戦争とは、北アメリカで勃発した一連の戦いのことを指します。アメリカ植民地のイギリス領とフランス領が、それぞれの国の援助をうけて戦いました。イギリス軍は苦戦を強いられるものの、最終的にフランスに勝利します。

ジョージ・ワシントンは、オハイオ領土をフランスから取り戻すためにイギリス軍に参加。撤退に成功させたと伝えられています。フレンチ・インディアン戦争におけるワシントンの活躍は、言い伝えによるところも多く、事実は明確には分かりません。

独立戦争では大陸会議により司令官に任命

1775年から1783年のあいだ、イギリス本国とイギリス領であった13の植民地が繰り広げたのが独立戦争です。イギリス本国が植民地に対して課税を強化。それに反発したことをきっかけに、本国から独立する気運が高まりました。

13のイギリス領であった植民地は本国から独立することに成功します。この戦いで軍隊を率いたのがジョージ・ワシントンは、アメリカ独立の父として語り継がれるようになりました。

\次のページで「初代大統領に選出された「ジョージ・ワシントン」」を解説!/

初代大統領に選出された「ジョージ・ワシントン」

Scene at the Signing of the Constitution of the United States.jpg
By Howard Chandler Christy - The Indian Reporter, Public Domain, Link

1789年、イギリスからの独立を果たしたアメリカ合衆国は、はじめて大統領選挙を行います。このとき投票する権利があった人の数はかなり限られており、ワシントンは 選挙人投票率100%にて当選を果たしました。

蒸留酒に消費税を課したことで暴動が勃発

1791年、ジョージ・ワシントン政権は、アメリカの負債を減らすためにウィスキー税を課税します。このウィスキー税は大規模な製造業者に有利なもので、農民たちの負担は大きくなりました。そこで農民たちが反乱をおこします。

ジョージ・ワシントンは反乱軍のうち20名ほどを捕まえ、見せしめのため一部の人を有罪としました。ウィスキー税の反乱は、アメリカ合衆国憲法に基づき政府が軍事力を行使した初めての事例。政府の権力を国内に示す機会となりました。

イギリスとの関係性の向上に努める

また、ジョージ・ワシントンは、本国であったイギリスとの関係改善にも努めます。とくにワシントンが気をつかったのが貿易でした。そこで、アメリカとイギリスのあいだでジェイ条約を締結します。

イギリスはいくつかの貿易の拠点を解放。独立前にたまっていた負債を帳消しとします。その対価としてイギリスは、アメリカと優先的に貿易ができるように。その結果、長期にわたるアメリカとイギリスの安定した関係が維持されました。

「ジョージ・ワシントン」の黒人奴隷に対する立場

Junius Brutus Stearns - George Washington as Farmer at Mount Vernon.jpg
By Junius Brutus Stearns - http://teachingamericanhistory.org/convention/stearns/, Public Domain, Link

ジョージ・ワシントンは黒人奴隷農場主としての顔を持っています。そのため農場で働く黒人奴隷は身近な存在でした。そのため奴隷の存在に複雑な感情を抱いていたようです。

保有していた黒人奴隷農場は妻の資産

ジョージ・ワシントンは父からプランテーションの一部を相続していますが、そこまで大規模ではありませんでした。彼が広域な土地を取得するきっかけは妻との結婚です。未亡人であった妻マーサは上流階級の農園主でした。

そのためワシントンはバージニア州にて広域のプランテーションを経営するように。奴隷の数は300人を超えていたそうです。ただ、奴隷の家庭のことを配慮して売買は避けるなど、進歩的な考えを持っていました。

合衆国の分裂の原因になると解放を望む

ワシントン本人は、黒人奴隷の保有は経済的に負担が大きく、黒人の家庭ごと売ることを望んでいました。しかしながら、ワシントンのプランテーションには妻の持ち分も含まれています。妻の資産を売ることができず、決断できませんでした。

とくに、ワシントンの奴隷とマーサの奴隷が結婚し、ひとつの家庭を作っていることは、悩みの種であったようです。ワシントンの奴隷だけ売ると家族がバラバラに。そこで妻が亡くなったあとにすべての黒人奴隷を解放することを希望していました。

\次のページで「ネイティブ・アメリカン排除に容赦なかった「ジョージ・ワシントン」」を解説!/

ネイティブ・アメリカン排除に容赦なかった「ジョージ・ワシントン」

Montcalm trying to stop the massacre.jpg
By Wood engraving by Alfred Bobbett, ca. 1824-1888 or 9, engraver, based on painting by Felix Octavius Carr Darley, 1822-1888. - This image is available from the United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID cph.3c20704. This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing for more information., Public Domain, Link

ジョージ・ワシントンは、ネイティブ・アメリカンを徹底的に排除する姿勢を崩しませんでした。彼が軍隊に関わってから、大領領になり政界を引退するまで、継続的に先住民を排除していきます。

インディアンを獰猛な部族と見なす

ジョージ・ワシントンのインディアンに対する厳しい態度の原因はフレンチ・インディアン戦争にあります。この戦争では、イギリス軍とフランス軍が直接に戦うのではなく、それぞれが先住民を兵士として従軍させて代理戦争をしていました。

そのときに先住民が戦う姿を見て、ワシントンは「インディアンは獰猛な部族」という印象を強めます。そのため独立戦争でも、先住民を従軍させながら、従わない部族は迷うことなく排除したり虐殺したりしました。

インディアン地位向上運動では批判対象のシンボル

ジョージ・ワシントンは、「建国の父」として称えられていますが、インディアン地位向上運動の文脈のなかでは正反対です。ワシントンは、アメリカの歴史のなかで、英雄として美化されているに過ぎないと批判されました。

ワシントンら歴代大統領の「顔」が彫られたラシュモア山は合衆国のシンボル。インディアンの土地の占有について抗議するために、その頂上で抗議活動が行われることもありました。インディアンの立場からすると、ワシントンは侵略者に他ならないのです。

「ジョージ・ワシントン」の名言・格言

image by PIXTA / 54179306

ジョージ・ワシントンは、名言や格言を数多く残しています。彼は軍人、政治家である以上に、思想家としての顔も持っていました。ワシントンの言葉は、政治、生活、人間関係、生き方など、私たちの現代の生活にも活かされるものです。

正直は、 常に最上の政策である

アメリカ合衆国は歴史的には短い国。その最初の大統領に就任することは、国のスタート地点に立つことと同じです。政策を打ち出すにもモデルがありません。正直な心を持って政策をうちだせば、それが最も良いものであるだろう。そんなワシントンの実直さを感じさせる言葉です。

自由はひとたび根付きはじめると 急速に成長する植物である

自由とは、アメリカ合衆国の歴史のなかで無視できない重要な言葉。なぜなら合衆国は、長らく本国イギリスの支配下にあり、自由ではなかったからです。また、メイフラワー号にのってアメリカ大陸に来たピューリタンは、本国における宗教的迫害から逃れてきたという経緯が。独立戦争の勝利により自由がぐんぐん成長するだろうという期待をあらわしています。

\次のページで「我々には政党はいらない」を解説!/

我々には政党はいらない

ジョージ・ワシントンが大統領に就任したときに発した有名な発言が「我々には政党はいらない。なぜなら、我々は全て共和主義者だからだ」というもの。アメリカは最初、政党があると国が分裂するため、それはひとつでいいという考えでした。ただ実際は、共和党と民主党が競い合う二大政党制に移行していきました。

大統領を辞任したあとの「ジョージ・ワシントン」

Life of George Washington, Deathbed.jpg
By Junius Brutus Stearns - http://presidentgeorgewashington.wordpress.com/page/11/, Public Domain, Link

大統領を辞任したあとのジョージ・ワシントンの生活はひっそりとしたもの。表舞台に立つことはほとんどありませんでした。

故郷の農園で静かに過ごす

1797年に大統領職を辞任したワシントンは、自身の農場を経営しながら過ごしました。蒸留所をつくり、ウィスキーやブランデーなどの製造にも取り組みます。

フランスとのあいだで緊張が走った時期、アメリカ陸軍の最高司令官に指名されるものの体調が悪く辞退。1799年に病状が悪化し、67歳で亡くなりました。

死去したのちは退役軍人名簿に記載

ワシントンが死去したあと、アメリカ陸軍はワシントンの名前を退役名簿に掲載します。さらに、アメリカ合衆国建国200周年を迎えたとき、ジョージ・ワシントンは軍の最高階級である陸軍大元帥の称号も送られました。ワシントンは、政治家としてだけではなく軍人としても称えられる存在となりました。

「ジョージ・ワシントン」は合衆国建国の父として神話化された

ジョージ・ワシントンは、アメリカ紙幣の顔であり、首都ワシントンD.C.の由来でもあります。アメリカ海軍には、ワシントンの名前を冠した艦艇が多数存在。彼の名前は、アメリカが分裂の危機に陥ったとき、それをまとめるシンボルとして、今でも大きな影響力を持っています。歴史上の人物は、とくに古い時代の人ほど、後世にて意味づけされているもの。それを踏まえて、その歴史を知ろうとする姿勢が大切です。

" /> アメリカ初代大統領「ジョージ・ワシントン」の生涯を元大学教員がわかりやすく解説 – Study-Z
アメリカの歴史世界史歴史独立後

アメリカ初代大統領「ジョージ・ワシントン」の生涯を元大学教員がわかりやすく解説

ジョージ・ワシントンはバージニア植民地出身のアメリカ合衆国の初代大統領。独立戦争に参加したときは、その高い人望から司令官に任命されて軍人として名をはせた。合衆国がイギリスから独立したあとは、政治家として植民地のとりまとめなどの対応に奔走する。

当時の発言が偉人の名言として紹介されることも多い人気の政治家ジョージ・ワシントン。彼が残した多くの功績やその後の評価を、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。「ジョージ・ワシントン」は、アメリカ独立戦争で活躍した人物。合衆国の初代大統領として歴史に名を残した。彼は、黒人農場主であり、インディアンを排除するための戦いにも関わっていることから、後世の評価は分かれる。そこで「ジョージ・ワシントン」に関連するできごとをまとめてみた。

ジョージ・ワシントンとは?

image by PIXTA / 56404937

ジョージ・ワシントンは18世紀に活躍したアメリカ合衆国の初代大統領。政治家だけではなく、軍人、黒人奴隷農場主としの顔も持っています。合衆国の首都であるワシントンD.C.の名前の由来にもなりました。

バージニア植民地の地主の息子として生まれる

ジョージ・ワシントンが生まれたのは1732年2月22日。バージニア植民地になるウェストモアランド郡が彼の故郷です。ワシントンの父親はオーガスティン・ワシントン、妻はメアリー・ボールで2番目の妻でした。ともにイギリス出身です。

ワシントンの父親は、彼が11歳の時に死去。そのため、14歳年上であった長男のローレンス・ワシントンが家長としての役目を果たしました。父の遺産の多くを相続したのは長男でしたが、ワシントンも一部の農場を相続します。

ワソントン家の家業は黒人奴隷農場の経営

ワシントン家は、バージニア州にて黒人奴隷農場を経営していました。鉱山の開発にもかかわりますが、地元の富豪になるまでには至りませんでした。

ジョージ・ワシントンは父のプランテーションの一部を相続し、農場主としての経験を積んでいきました。そのためワシントンは若いころから黒人奴隷に囲まれた生活をしており、それが彼の奴隷制度に対する考え方を作り上げていきます。

軍隊の指導者として頭角をあらわす「ジョージ・ワシントン」

Washington on horseback in the middle of a battle scene with other soldiers
By Reǵnier – This image is available from the United States Library of Congress‘s Prints and Photographs division under the digital ID http://www.loc.gov/pictures/item/2003677702/. This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing for more information., Public Domain, Link

ジョージ・ワシントンが当時のアメリカ大陸のイギリス植民地で頭角をあらわすのは軍人としてでした。彼が参加した戦いは、フレンチ・インディアン戦争とアメリカ独立戦争。ワシントンは戦争の英雄となり、社会的地位を向上させていきます。

フレンチ・インディアン戦争ではイギリス軍に参加

フレンチ・インディアン戦争とは、北アメリカで勃発した一連の戦いのことを指します。アメリカ植民地のイギリス領とフランス領が、それぞれの国の援助をうけて戦いました。イギリス軍は苦戦を強いられるものの、最終的にフランスに勝利します。

ジョージ・ワシントンは、オハイオ領土をフランスから取り戻すためにイギリス軍に参加。撤退に成功させたと伝えられています。フレンチ・インディアン戦争におけるワシントンの活躍は、言い伝えによるところも多く、事実は明確には分かりません。

独立戦争では大陸会議により司令官に任命

1775年から1783年のあいだ、イギリス本国とイギリス領であった13の植民地が繰り広げたのが独立戦争です。イギリス本国が植民地に対して課税を強化。それに反発したことをきっかけに、本国から独立する気運が高まりました。

13のイギリス領であった植民地は本国から独立することに成功します。この戦いで軍隊を率いたのがジョージ・ワシントンは、アメリカ独立の父として語り継がれるようになりました。

\次のページで「初代大統領に選出された「ジョージ・ワシントン」」を解説!/

次のページを読む
1 2 3 4
Share: