生物学

用不用説の提唱者「ラマルク」について知ろう!現役講師がさくっと解説!

よぉ、桜木建二だ。この記事では、ラマルクという有名な科学者について学んでいこう。

高校生諸君にとって、ラマルクといえば「用不用説」というイメージが強いと思う。彼は生物の進化というものを考えるうえで大きな役割を果たした人物なんだ。

大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに解説してもらおう。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/小野塚ユウ

生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。

ラマルク

ラマルクは18世紀中ごろから19世紀にかけて活躍したフランスの博物学者です。フルネームはジャン=バティスト・ピエール・アントワーヌ・ド・モネ、シュヴァリエ・ド・ラマルク(Jean-Baptiste Pierre Antoine de Monet, Chevalier de Lamarck)といいます。

生物の分類や進化について重要な功績を残しており、高校の生物学でも進化論について学習する際に彼の名前を耳にするはずです。

生涯

ラマルクは1744年、フランス北部のピカルディで生を受けました。貴族の家庭ではありましたが裕福ではなく、ラマルク自身11人目の子どもという環境で育ちます。

成長したラマルクは神学校に入学しました。本人の希望というよりも、父親たっての希望に沿った結果です。ところが1760年にその父親が死去すると、彼は自分で馬を購入し、フランス軍に入隊することを決めます。ヨーロッパ各地で戦闘が勃発していた七年戦争に参戦し、活躍しました。

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ラマルクの家は、代々フランスの軍隊に参加してきたという歴史があったというな。

七年戦争は1754年から1763年に起きた、プロイセン王国とオーストリアの対立が核となった争いだ。

軍での仕事を終えると、彼は当時大流行していた博物学に興味を示すようになります。18世紀のヨーロッパでは、遠く離れた植民地からそれまで見たことのないような動植物の標本が流入してきたり、リンネやビュフォンといった博物学の巨匠が誕生するなど、博物学がとても盛り上がっていたのです。

パリで博物学や医学を学んだラマルクは、1788年に王立植物園で標本を管理する職に就きます。その後1793年には国立自然史博物館に移り、教授として昆虫などの無脊椎動物を中心に研究しました。

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Jules Pizzetta – Galerie des naturalistes de J. Pizzetta, Paris: Ed. Hennuyer, 1893, パブリック・ドメイン, リンクによる

1801年に『無脊椎動物の体系』を発刊。研究の中で生物の進化にも気づき、1809年の『動物哲学』で自論を展開しました。

晩年に失明するなどの不運もありましたが、家族の助けを借りながら大著『無脊椎動物誌』を完成させます。1829年に85歳で亡くなりました。

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